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『コイン』とパリからのファンレター
1999年12月31日、ノストラダムスの大予言で世界は滅亡すると言われていた。幸いなことに世界は滅亡することなく、私は2000年のニューイヤーをパリで過ごした。
当時私は一年間パリに滞在していた。その時に持って行ったのが山崎まさよしのアルバム数枚。中でも思い出深いのが『コイン』という曲。夜中に何度も聞いて涙を流した。
友人から借りたポータブルCDプレイヤーパリに留学することになったとき、友人が
『恋人までの距離』ユーロスターでの出逢いと夢の中の街ウィーン
『恋人までの距離』1995年アメリカ映画。リチャード・リンクレイター監督、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー主演。この映画について今回は書いてみたい。(多少のネタバレあり、核心には触れていません)
ブタペストからパリまでユーロトレインでの移動中に出会ったジェシーとセリーヌ。二人は意気投合し、ジェシーが下車するウィーンでセリーヌも途中下車し、14時間だけともに過ごす。ホテルは取らず夜通し街を散策
星の王子さまを育てる学校
「ねえ、ひつじの絵をかいて」
王子さまはぼくにいいます。
およそ人が住んでいるところから千マイルもはなれている砂漠のど真ん中。
ぼくは王子さまにゾウをこなしているうわばみの絵をかきます。
「ちがう、ちがう!ぼく、ウワバミにのまれてるゾウなんかいやだよ」
サンテグジュペリ 「星の王子さま」一部抜粋
だれにも理解されなかったぼく「星の王子さま」の主人公、「ぼく」がウワバミにのまれてるゾウの絵をかくた
南仏ホームステイとポルトガル一人旅~パリ編③~
静かな時間が流れるピカソ美術館ピカソの絵画を初めて目にしたのはいつだろう。おそらく小学生のころ、美術の教科書で目にしたのが最初だと思う。
ルノワールやモネなど美しい印象派の絵画が好きだった私にとってピカソの絵画は奇をてらった落書きのように見えた。
しかし20歳の時、初めて訪れたパリでピカソの絵画を目にした時の衝撃は忘れられない。
落書きのように見えたキュビズムの作品が私の心を大きく揺さぶった
村上朝日堂で村上春樹さんからメールの返信が来た話
村上朝日堂、それは作家村上春樹さんと読者が交流できる夢のようなウェブサイトだ。村上朝日堂は1996年に開設され1999年に閉鎖されている。
14年ほど前、村上さんの大ファンだった私は期間限定で復活した際に
2通ほどメールを送信した。
今回は14年前に私が村上さんに送信したメールの内容を公開したいと思う。
伝説の村上朝日堂村上朝日堂という伝説のウェブサイトをご存じだろうか。
読者からよせられたメー
ある梅雨の日、夢やぶれた私によりそってくれたスガシカオさんの曲
スガシカオさんの曲には麻薬のような中毒性がある。彼の音楽でなければダメだ!他の曲はもう聞けない、そう思わせる強い力がある。特筆すべきはあの文学的な歌詞である。
彼は文筆家ではない、なのになぜこれほど人の心に強く響く言葉を紡げるのだろうか。
梅雨の日の午後、夢やぶれた私に寄り添ってくれた彼の曲と、それが与えてくれたものについて書いてみたいと思う。
夢やぶれて、、、それでも届けたいこの思い小説を書い
南仏ホームステイとポルトガル一人旅~パリ編その①~
早朝パリのカフェにて
旅の行程は、パリに3泊→飛行機でリスボンへ。リスボン6泊→飛行機でパリへ移動。その日のうちにTGVでニースへ。ニースに3週間滞在→パリへ戻り帰国。約一か月の旅だ。
パリには早朝に到着した。まだぼんやりした頭をすっきりさせるため、人影もまばらなシャルルドゴール空港のカフェでクロワッサンとコーヒーの朝食をとった。コーヒーの香りとフランス語の響きが、パリに戻ってきたことを感じさせた
南仏ホームステイとポルトガル一人旅~プロローグ編~
2000年に一年間のパリ留学を終えて帰国した私は、その後日本で全くフランス語に関わらない暮らしをしていた。
高給取りではなかったが、当時実家暮らしをしていたので金銭的に余裕があった。平日のアフターファイブは買い物やグルメ、週末は映画鑑賞や旅行と忙しくしていた。
フランス留学のことなど忘れて、日本での生活を思いっきり楽しんでいた。
帰国から3年たったころには、簡単なフランス語会話すらおぼつかなくなっ