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悔しさ

 メンバーに質問している子どもを見ていると、自分が子どもの頃に、誰かに勉強を教えてもらいたかった気持ちを思い出すので、こういう場を大切にしたいと思うのと同時に、少し羨ましく思ったりもする。中高の頃は塾や予備校に通っていたり家庭教師がいる友達が羨ましくて、その頃の私のまだまだ狭い世界には、そういう子の方が多かった。

 大学に行きたかったけど、周りに女性で大学に行っている人がいなくて、強く行きたいと主張することも出来なかった。結婚して息子と娘が生まれ、二人とも大学へ行かせてやることが出来てよかったが、大学生活を謳歌している息子や娘を見ていると、私も大学に行きたかったと悔しい気持ちがある。
 50代後半女性の投稿で、何の媒体で見たかは忘れてしまった。自分の息子や娘を見て悔しく思う気持ちが印象に残り、この女性のことを好きだと思った。

 私の母は、この女性よりも少し年上だが、大学を出ている。家から通える大学に進学できた(入試を通る学力を身につけられた)こと、彼女に男兄弟がいなかったこともあるが、彼女の母(私の祖母)が相当に頑張ったからだと思う。その一点でも、私は祖母を心底尊敬しているし、感謝している。母は祖母のおかげで、大学に通う娘たちを見て上記の女性のような悔しい思いをしなくて済んだ。そして私たち姉妹は、母が支えてくれたからさほど不自由なく大学で学ぶことが出来た。母から「大学で学んだことを社会に生かしたい」と言うのを何度か聞いていて、その気持ちは私の中にもあるけど、私と母では重みが違う。母の言うそれには、好きな仕事を手放した悔しさが含まれていることを私は知っている。

 祖母は戦争に青春をぶっ壊された世代だから、勉強が出来たが家事と弟妹の世話で当然のごとく進学できなかった。祖母は小学生の私に「ばあちゃんは、家では朝から晩まで家事をして勉強する暇なんか少しもなかったけど一番成績が良かった。女学校で優秀で何度も表彰されたが、賞状も描いた絵も縫った服も皆焼けてしもた」と度々言っていて、「ふーん、そう」と雑に聞き流していた。その頃は、子供らしい反発心から内心「本当かよ」とも思っていた。大人になって彼女の生活の細々とした正確さを見るに、そうだったのかもなと思う。大学に進学したーーそれも自分のとてつもない尽力でーー娘たちを見ながら、祖母も悔しく思ったのだろうか。

 子どもがワークに引いた補助線の意味をいっしょに確かめながら、答えまでの見通しと次の手順を考えさせる。祖母や母とは違うが、私なりに自分の悔しさと向かい合っている時間なのだろうと思う。