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【読書会感想】「演じる」ということについて 

 
 次回のにしじまさんの読書会のテーマが「演じる」と聞いて、なにかティーンエイジを描いた小説を紹介しようと思い、「演じる」ということと思春期を、自分が太く結びつけて考えていることに少し驚いた。数冊の候補が浮かんだが手元に本がなく、別に何かないかと本箱を漁っていて見つけたのがこの本です。

平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』

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 演劇は、人類が生み出した世界で一番面白い遊びだ。きっと、この遊びの中から、新しい日本人が生まれてくる。
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 この本を読んだきっかけは、私が過去に通っていた読書会で課題本になったからだ。今は交流がないけれど、この読書会は大好きで、参加出来てとっても良かったし、なんだかんだ趣味で読書会に参加しているのはこの会で出会った諸々の影響だと思っている。手放さずに手元に残してあるのもなにかの縁と思い、読書会の前夜に慌てて読み直しました。

 新書大賞にランキングされ話題になったのを覚えているが、10年も前の本になる。本の中に、日本が「みんなちがってたいへん」な社会に本格移行するまでに「20年か30年の猶予」という記述があるが、そのうちの10年が過ぎてしまったわけだ。
 10年前に私がこの本で特に印象に残ったことは、コミュニケーション能力と言われるもの大半はスキルや慣れであること、練習すればある程度身につき、その程度のものだということが一つ目。
 そして、求められるコミュ力には、異文化理解能力、自分の主張を伝える力と同時に、空気を読む力や協調性といった日本社会従来型のものがあり、ダブルバインドの状態にあることが二つ目。社会人数年目の当時の自分にとって、前半の能力が明示的に求められるのに対し、後半の能力が暗示的に、しかし強力に求められることに対する納まりの悪さを、この本が解してくれた。

 今回読み直して特に思ったことは、「対話」のこと。AとBで話しCに至る、つまりAもBも同じく変わることを前提とした対話は、なかなかに難しく、それはこの十年で増々難しさも重要性も増している。社会に目を向ければ、冗長性が高く、面倒で、時間がかかる「対話」に耐える体力を失い(あるいは抑々無くて)どうしようもなくなっているように見える。

 この本で、対話を作る日本語が不足しているという点で日本語には対等な関係で誉める語彙が極端に少ない例が引かれていて、これは私が学習支援の場で子どもを褒めるときにも感じる。
 関係性が出来ている子どもなら、「いーねー」「いーじゃん」「すーばらしい!」「ナイス!」などと、くだけた感じで言うことができる。あと「超いい」「天才」も私はよく言う。「すごーい」とか「すごいじゃん」も子どもの前でよく使いはするが、内心「すごい」と「やばい」は同じような意味で思っているので、もう少し好ましい感じの色を付けて言いたいときに困る。それより困るのが、初対面やちょっと重々しく言いたい場合。「とてもよいと思います」「よく出来てますね」などは、言うときの態度に気を付けても急に上からっぽくなるのだ。素直にいいなと思った気持ちを伝えるに、どうもしっくりこない。なんか良い言い方ないですかね。

  読書会では、全く予想していなかったわけではないが、もうお一方この本を紹介された方がいて、にしじまさんも平田オリザさんの著作を紹介されていました。嫌われないために演じること、役割やキャラを演じることのポジティブな面とネガティブな面、演じることでいろんな立場や考え方を知ることができるなど、今回もとても面白かった。
 なおみさんが、我が子には「根拠のない自信」を贈りたいと思っていたとおっしゃっていて、深く共感した。私にそれをくれたのが母だったからだ。母にとっては、たまたま娘が私であったのだと思うが、母は人生をかけて私をかけがえのない子としてくれた。だから私は人生をかけがえのないものと信じることができる。自分の人生をかけがえないと信じることは、きっと自転車みたいなもので、漕ぎ続けていないと倒れてしまう。倒れてしまうと、とても辛いだろうと思う。
 

 こちら、にしじまさんの次回の読書会です。