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【読書会感想】僕は、そして僕たちはどう生きるか

 にしじまさんの次の読書会が、「どこからが『私』で、どこからが『私たち』か?」と聞いて、テーマに強く惹かれました。
 例えば職場で私が何かに困っているとする。その何かを、私たちの職場の問題として、私たちが解決に動く。その解決は、誰かの困りごとをも同時にあるいは未然に解決する。そんなことを考えることが時折あるので、私と私たちの間に着目したこの読書会をとても楽しみにしていました。

 そこで絶対紹介したいと思っていたのがこの本。

梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』

 題名から推察出来るとおり、これは、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を意識して著された作品である。巨匠の映画が公開されたタイミングで、『君たちはどう生きるか』も話題になった本なので、吉野の『君たちは~』を読んだことのある方が参加者の中にきっといらっしゃるだろうという予測もあった。

 梨木香歩さんの著作は、私が少女と言ってもいい年齢の頃から繰り返し読んできていて、この本も単行本発売直後に読んでいる。2011年刊行かあ。12年前、私はどこで何をしていたんだっけ。

 今回再読し、12年前に感動したところをしっかりと覚えていた。

 「……泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから」

『僕は、そして僕たちはどう生きるか』24

 心に傷を負った少女が主人公の14歳の少年コペル君に掛ける言葉である。この言葉をこの12年の間に思い返してきた。泣きながら、泣くだけじゃだめなんだと思うことが幾度かあった。
 読書会の前に読み返し、以前に読んだ時より強く印象に残ったのは、ものを食べる描写。少年たちが、自分で手をかけて自分の食事を用意することに、瑞々しい生きる力を感じて嬉しくなった。カンガルーステーキと言った時のマークのぎらぎら光った目も、以前と違ったように読んだと思う。以前はもっと、繊細に理屈っぽく受け止めていた。
 読書会では、少女の言葉と、食べる描写のことと、群れの中で生きながら集団に取り込まれ自分を失うことから逃れるには、常に考え、そのことに注意深くいなければならないと感じたことを述べた。

 にしじまさんの読書会は、テーマから考えたことを持ち寄り、広げて、そこからそれぞれの問題意識によって、それぞれのものを持ち帰っている気がしている。終わった後は、参加する前には気づいていなかったことがいつも何かしらあるので、毎回とても楽しみにしている。
 私、私たち、あなた、あなたたち、彼、彼ら…。これらの間を行き交いながらどう自分を生きていくか。群れの中で自分を失わず生きていくことは、そのことを考え続けることなんじゃないかと思っている。

 こちらには、にしじまさんやかいさんの読書会後のコメントがあります。

 にしじまさんが引用した「死者からの制約」は、終戦記念日を前に心に置きたい言葉。
 私は、私たちには、先の戦争を、原発事故を、繰り返さない責任がある。そのために私が出来ることが、群れの中で自分を失わず生きていこうとすること。あなたや彼が、そうあろうとすることを尊重すること。戦争や事故は、起きてしまえば私がどう生きるか取れる選択は、本当に僅かだ。