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【本】イエスの幼子時代

 読書会で紹介してくださった方がいらっしゃったので読んだが、そうでなければ手に取ることはなかったと思う。ありがとう。面白くて一気読みでした。

J・M・クッツェー『イエスの幼子時代』

シモン:初老の男。ダビードと一緒にノビージャの町へ来る(そして出ていく)
ダビード:5歳くらいの男の子。ノビージャに来る途中、大事な手紙を失くしてしまう
イネス:アラサー女性。テニスをしていたら、ダビードの母になる
アルバロ、エウヘニオ:シモンと同じく荷を担ぐ仕事仲間
フィデル:ダビートの親友
エレナ:フィデルの母

 何故だろうと思ったことは、ラストまで読んでも謎のままである。読んでいる途中は、読み進んだらわかるのかな、と思うじゃないですか。とうとう分かんないのかよwとなります。

「ぼくは星って数字だと思う。あれは11番だし」と、空に指を突き出す。「あれは50番で、あっちは33333番」
「ああ、そうか、一つ一つの星に番号をふれる?と訊きたかったんだな?たしかにそれも星を同定する方法の一つだが、やけに退屈だし、想像が膨らまないな。固有名詞があった方がいいと思う。おおぐま座とこぐま座とか宵の明星とかふたご座とか」
「違うってば、わかってないなあ。星はいっこいっこが数字だって言ったんだよ、ぼくは」

第二十章 235p

 物語を通して、哲学的な対話がシモンと他の人との間で交わされる。哲学的なことを言ってるな、以上が私にはよくわからないのだが、対話の内容は身に覚えがある話であり、だからこそそこには可笑しみがある。とりわけダビートは、言葉や数を独自のやり方でとらえているようで、特にラストにかけて、学校をやめるやめない転校するしないの様子は、脳の少数派である子どもが多数派の中で陥るまさにその状況の描写に見えた、直接的には。その裏には、まだ何か隠されているのだろうか。

 続編の『イエスの学校時代』をこれから読みます。楽しみ!

 

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