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【読書会感想】紹介したかった本のことなど

 にしじまさんの次回の読書会、所用で出られないのだが、次回のテーマは「人生に意味づけは必要だろうか?」。テーマを聞いて紹介したいなと思ったのがこの本のこの章です。

上間陽子『裸足で逃げる』

 それはまだ、亜矢の人生に統合されない記憶だ。それはただ、断片のまま、そこにある。                       

「病院の待合室で」

 亜矢は中学二年生の時に集団レイプされていて、そのときのことを身体の不調や何かの記憶との重なりがあると、ふいに話し出す。上間さんはその言葉を聞き、こんなに早く大人にならなくていいと思っている。
 亜矢が、断片のままにある記憶とともに生きていくことのしんどさを想像してみる。それでも生きていくことが尊いんだ、と自分に確認し祈るような事しか出来ない。

 私にも、思わず叫んで気を逸らせなければやってられない程思い出したくない記憶があるが、それは大枠で言えば、私が人を傷つけたというものである。その出来事をどう自分の中に位置づけてよいのか、置きどころが未だわからない。自分の選択で、ああしなければ、あっちを選んでいれば、という後悔の念もあるが、後悔のカテゴリに入れられる言葉は、今は無理でもなんとなくいずれ自分の人生として受け止めることが出来るような気がしている。そう思えることが、恵みなのだと思う。


 学習支援で関わっている子どもに「センセーの黒歴史は?」と聞かれたことがある。聞いた子どもが中学生だったので、自分の中学生時代で限定し「中学」「黒歴史」のワードでヒットするエピソードを思い出そうとしたが、アラフォーの頭には何も思い浮かばない。中学生時代は遠く、ある程度には落ち着いて眺められる。
 咄嗟に思い出したのは、放課後の埃っぽい放送室で友達と一緒に見た『少女革命ウテナ』のこと。ブラウン管テレビの音量を絞って、友達とくっついてドキドキしながら見た。「世界を革命する力を」は、ピンク色の髪の主人公の声で今も鮮明に脳内再生できるし、当時はよく心の中で唱えていたと思う。これは、懐かしい思い出で黒歴史ではないので、子どもの質問の回答にはならず、代わりにブラウン管テレビとは何かについて語ることになってしまった。

 放課後の埃っぽい放送室の中に確かに私はいて、笑ったり泣いたりしていた。昔の私が今の私を支えていると思うし、今の私が昔の私を守っている。守るというのは、何らかの意味を持たせるということ。自分の人生に統合することだ。
 そして、守るというのはまた、記憶を断片のままにしておく事でもあるのだと思う。断片のままに、寝て食べて起きる。私も亜矢も、自分で、自分に必要なだけ、自分の人生に意味をつけられるといい。

こちら、にしじまさんの読書会です。