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他人の目につくところは自分の欠点でもある

 私は7歳の娘と親子ダンス教室に通っている。
 先日その発表会があった。

 私が通う教室にはとても元気なお節介なお母さん、Aさんがいる。親切なのだけどなんだか押し付けがましくて、ずっと苦手に思っていた。

 発表会のその日、Aさんのその親切さと押し付けがましさは強さを増した。
 泣きじゃくっている子をあやしたりと他の子を甲斐甲斐しく世話するところは私にはできない親切なところ。
 一方、不意に気分で「みんな、円陣組もうよ!」と呼びかける。みんなが集まる。その一人、Bさんがみんなの動画を撮ろうとすると、そのタイミングや撮り方にAさんは軽い文句を言う。
 私からすると、円陣を組もうというAさんもBさんも何も変わらない。それぞれだ。だけどAさんは許せないのだ。自分が思う「いいとき」に行動しない他の人が。

 「こういうところが苦手なんだよなあ」
 そう思いながら私は気づいた。そのAさんの姿は私の姿でもあった。
 
 私も家族や職場の近い関係の人たちにAさんに近い言動をとっていたことがある。自分の世界を周りに押し付け、周りの人たちの世界をはねのける、そんなことをしていたことがあった。
 そんな自分にあるとき気づき、恥じ、最近はそんなことはだいぶ減ったと思うけれど、自分のその欠点が気になるからこそ似た言動をとる人、たとえばAさんが気になるのだ。

 周りの人が誰かを批判する言葉を聞いていて、「え、あなたにもそういうところあるよね?!」と思うことがある。自分の欠点はアンテナがたっているから、他の人にもその欠点が見えたとき、強く反応してしまうのだ。

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