実践探究⑤ 5/14

今週の実践探究はかなりタフでした。そして、長女の「やりたくない」に付き合ってくださったメンターのテル、ワッキー、ツナに本当に感謝です。

かなり赤裸々に事実を書き、長くなってしまったので、お時間がない方は最後の方の適当なところから読んでください。

GW開けの実践探究前に親子げんかをした

仕事をしながら、実践探究の30分ほど前、長女に「もうすぐはじまるからそろそろ行ったら」と声かけをすると、「実践探究行きたくない」とのことでした。しばらく等話をしていると、「実践探究やめたい」と言いはじめました。

なるほど。。。

母:どうして行きたくないの
長女:だって、ずーっと調べるの大変だから
母:じゃあ、大変になったら途中で探究の教室で遊んでていいよ
長女:やだ
母:じゃあ、今日は行ってだらだらしてていいよ
長女:そしたら行かなくても同じじゃない
母:(確かに)

母:とにかく行くだけ行って。行って顔を見せないとテルはHにどうしていいか分からないから。
長女:じゃあ、行って楽しそうにしとけばいいの?
母:(装う技を身につけたのか・・)

そして、こんな会話もしました。

母:やめたいなら自分でテルに言ってね
長女:やだ
母:自分のことだから自分で言って
長女:だって、(辞めたいって)言ったら(自分が)イヤな気持ちになるから。○○(小1のときに週1で通っていた習い事付き学童)のときはH(私)がやめたいって言ったら、Hが自分で言わなくてもママがすぐにいいよって言ったじゃん!
母:(確かにそうだった)
母:だって、○○はママもイマイチかなと思ってたし、先生はそんなに仲良くなかったから。でも、ママはテルとワッキーのことが好きで、Hもテルのことは好きでしょ。あと、テルだったらHの言うことよーく聞いてくれると思うんだよ。
長女:テルもイヤになってきた
母:(なるほど・・・)

話をしているうちに実践探究の開始時刻も過ぎてしまいました。それでも、何とか行ってほしいと思い、あの手この手を試しました。前日、探究学舎のRくんが元素カルタ完成までの苦労話をYouTubeで公開しているのを姉妹でとても熱心に観ていたので、その話題も出してみました。

母:Rくんだって、元素カルタつくるとき何回も断られて落ち込んで、でも何回もいろいろな人にお願いしてたの、YouTubeで観たでしょ。
長女:でも、HはRくんじゃない
母:(確かに)

そして、キレた私はこんなことも言いました。今思うとひどいですね。。。

母:何でも大変なことは絶対あるんだよ。大変なことがあってすぐに辞めるんだったら、何にもできないよ。勉強で難しいことがあったら辞める、ピアノで難しいから辞める、テニスが大変だったら辞める。じゃあ、ぜーんぶ辞めて、ずーーーーっとぐーたらしてればいい!!
ママも今日ご飯作るの大変だから作らない!!大変だから明日もつくらない!!そんな子のためにご飯作りたくない!!!
長女:やだーーー

そのあと、「ママが一緒だったらいいよ」とのことで、何とか探究学舎へ。

なんとか教室にたどり着いたもの探究ははじまらない

探究学舎近くの駐輪所に自転車を止めたあと、少しでも楽しい気持ちで教室に行こうと、地下から行くことを提案しました。地下は迷路みたいになっていて、長女はもともと迷路好きなので、楽しく教室まで行くことができました。探究学舎についたら何事もなかったように探究するかもと淡い期待を抱きました。

現実はそんなに甘くはありません。教室では私にべったりで、保護者用の待合スペースから実践探究用のスペースには行くことができませんでした。メンターのテルやワッキーが気にして声をかけてくれ、それなりに受け答えはしていましたが、気持ちが乗らないようでした。

おもしろいと思うことを長女にきいた

いつまでもグダグダの長女にキレそうになりながらも、YeLLで習った、まずは「相手の関心に関心を向ける」ことを実践しようと思い、実践探究に行くまでに観ていたボンボンTVの話をふってみました。すると、ボンボンTVの話にはのってきました。そして、そこからどうやって実践探究に繋げるかがポイントです。

長女は普段からスマホで写真やLINEカメラのデコレーションをするのが大好きで、私は教えないのにいろいろな機能を見つけては可愛く、あるいは、面白くデコレーションをしているので、動画を自分でつくることを提案してみました。探究学舎は授業やクエストの動画を子どもも楽しく観れるように工夫して作っているので、このあたりは探究学舎にとっても得意領域のはずです。

最初は「難しそうだからイヤだ」と言っていましたが、ひとまず、「どんな動画がつくりたい?どんな動画がおもしろいと思う?」と聞くと、すらすらと動画の構想が出てきて、さらに、とても楽しそうに話をしたのでびっくりしました。

長女がおもしろいと思うものとして最初に挙げたのは、「友達ふたりが喧嘩をしているところに転校生がきて、やめて!と言うと、友達が喧嘩をやめてなかなおりする」というストーリーでした。基本的には喧嘩をしない穏やかな子なので、おそらくこのストーリーはYouTubeから出てきたものだと思います。

でも、いかにも娯楽用のYouTube動画にありがちなストーリーで、正直、親としては、喜べないものでしたが、ぐっと堪えて「いいねー」と言い、さらに「出演者は誰?」、「Hは何の役をするの?」等さらに詳しくきいていきました。長女はとても楽しそうにアイデアを話していました。そして、これらのストーリーに共通している(と私が思った)「ドッキリ」、「友達関係」の要素が今の長女の関心ごとであるはずなので、これらをうまく利用できないか考えました。

「おもしろいこと」をやってみたらとても盛り上がった

しばらくするとテルが様子を見にきてくれました。長女に今おもしろいと思っていることを説明するように言うと、最初ははずかしそうにしていましたが、テルがさりげなく、かつ、一生懸命に聞いてくれたので、自分が考えたストーリーを恥ずかしそうに、でも、嬉しそうに話していました。

そんな長女に対し、テルは「いいねー、じゃあ、やろう」と言ってくれました。そして、ワッキー、ツナに協力してもらい動画の撮影会がはじまりました。長女が私のスマホで撮影をし、他にも何人か集まってきて、とても楽しそうに撮影をしていました。

はじめての動画編集も楽しんだ

長女は動画編集をしたことがありませんでしたが、今までの彼女の好きなことの傾向から、やれば好きになると思っていました。そこで、帰宅後、「編集してみたい?」と聞くと、「うん」と嬉しそうに言ったので、急いで食事を済ませ、iMovieで2本の動画を繋げ、多少のエフェクトをつけて1分程度の動画を作成しました。もともと私も動画編集が好きなので、私も楽しくなってきて、エンドロールをつけたり、長女が弾いたピアノをバックミュージックに流したりして、我ながらよい仕上がりになりました。

長女は赤ちゃんのころから、集中すると何故か口がパクパクするのですが、今回も口をパクパクさせながら、カット、トランジション、フェイドアウト等の編集をしました。

さらに、できた動画をYouTubeにアップしたあと、「テルにメッセージ送る?」と聞くと、嬉しそうに「うん!」と言い、自分でDiscordでメッセージを送り、テルもたまたますぐに返事を返してくれたので、何度かメッセージのやりとりをしていました。

振り返り(子どもの思考と行動)

勢いであらぬ方向に行くことがある:長女は基本的に穏やかな性格ですが、たまにびっくりするほど凶暴になります。この日の親子ゲンカの時はまさにこのモードになっていました。そして何もかもイヤになってしまっていたのだと思います。

以前、ピアノを辞めると行った時も同じモードでした。そして、ピアノは先生に思い留まらせてもらった後、今でも楽しそうに弾いています。

実はこのあと1週間観察の間見ていると、学校のChromebookの壁紙をダイオウイカにしたり、ダイオウイカの本を一人で読んだり、「ダイオウイカ諦めたんじゃないの」と聞くと「ううん」と言ったりしたので、ダイオウイカ愛は冷めていないようです。

「大変なことでも、何とか乗り越えればいいことがある」ことを子どもに理解させるのは至難の業:ピアノやテニスを通じて、最初は出来なくても何度も練習をすれば出来るようになるという経験はしているはずですし、Rくんのことも話としては理解しているはずです。しかし、ダイオウイカについては、ダイオウイカを見るため、窪寺さんと会うためにまず必要な調査に求められる「努力」が大きすぎ、かつ、その「努力」が本当にダイオウイカや窪寺さんに繋がる道筋が見えないため、目標を諦めたい、実践探究を辞めたいと言う気持ちになるのだと思います。

過去の成功体験があればこれを心の拠り所にして自己解決できたのでしょうが、外から口で言って理解してもらうのは難しそうです。

「そんな子のためにご飯作りたくない!!!」は、子どもにとって恐怖のフレーズ:以前同じように激しい親子ケンカをした時も、最後の決めセリフは私のこのフレーズだったと思います。子どもは、親が思う以上に親に依存しているのだと思いました。そして、長女は依存せざるを得ないから折れた、私は対話ではなく言葉の暴力で解決したとも考えられると思います。

とにかく友だちと盛り上がるのが楽しい:撮影会があんなに盛り上がった理由は、わかりやすいネタだったこと、大好きなメンター3人に演技をしてもらえたこと、メンター3人の演技がすごかったことの他に、何人かの子どもと撮影したことがあると思います。友だちと遊ぶのが好きな一方で人見知りの長女にとっては、友だちと盛り上がった時間は友だちが多い子以上に楽しい時間のようです。辛い時の必殺技として利用するのもよいと思いました。

装う技の存在を知っている:これは探究とはあまり関係ありませんが、「行って楽しそうにしとけばいいの?」は、私にとって衝撃でした。本心とは違う態度を見せることを生活の中で学んだのでしょう。長女の成長を感じるとともに、心配が増えました。この技を学んだということは、長女が楽しそうにしているように見えても、それが本心かどうか分からないということです。装うことが必要なこともありますが、一人では乗り越えられないこともあるので、私でなくても、誰か、素直な自分の気持ちを話せる人がいる状態にしておいてあげたい、そして、誰かに言うことで自分が少し救われることを早めに理解させてあげたいと思いました。また、母として、私を理解者の候補のひとりにしてもらえるように、普段からしっかり子どもの気持ちに向き合っていきたいとも思いました。

振り返り(親の対応)

休んでいいよと言えない:不登校の子どもが学校に行きたくないと言う時は無理せず休ませてよいという話をよく聞きますが、この日、長女が「実践探究行きたくない」と言ったとき、何故私はむきになって行かせようとしたのでしょうか。実践探究の期間が3ヶ月程度と短いこと、月謝があることが頭の隅にあったから、つまり、「もったいない」精神があったからだと思います。また、一回休んで次回から元気に行ってくれる確証があるなら休んでいいよと言えたかも知れませんが、これを契機にもう行かなくなるリスクについても考えたのだと思います。

もう少し気持ちを大らかにもちたいところです。

ねばならない論へのすり替わり:私は、「大変なことでも、何とか乗り越えればいいことがある」ことを伝えたかったのに、「ご飯を作らない、そんなこのためにご飯作りたくない!!」と言っています。、「大変でもやらないといけないことがある」と伝えており、何だか論点がずれてきています。話をするなら、私が困難を乗り越えていいことがあった経験であるべきでした。

探究に必要なもの(素人の考え)

探究をするためには、「問い」を立てる力がとても大切だと実感しました。

思い返せば、探究学者の授業を2年間受けてきて、与えられた刺激に対して長女が「すごい!」と興奮することは何度かありました。そして「すごい!」と感じた内容についてはよく憶えています。しかし、そこから「じゃあ、これはどうなっている?」という問いを立てたことはありません。ダイオウイカが大好きで、窪寺さんが初めて生きたダイオウイカを撮影された時の様子を記録したNHKスペシャルや深海生物のMOVEを何度も観たり、窪寺さんのイカ研究のサイトを観たりはしましたが、私が知る限り、今まで長女から「問い」が出たことはありませんでした。

ダイオウイカに対する「思い」が十分に強ければ「問い」が出てきたのかもしれませんが、一方で、問いを立てるためには何らかの能力を身につける必要があると思いました。

2日ほど考え、「問い」には、2種類あると思いました。そして、どちらかの問いが十分な燃料になれば探究が継続するのですが、長女にはどちらの燃料も十分はなさそうです。
1. 対象物をもっと知るための問い
2. 目標を達成するための問い

1.は、研究者の方々が出されるような問いです。長女の場合は、「ダイオウイカはどこに卵を産むのか」、「ダイオウイカは何故今まで撮影されなかったのか」のような問いが該当します。長女は、実践探究で「ダイオウイカのはてな」を考えようというお題をいただいて2, 3コ書いていましたが、週末、他にないか聞いてみると「本やDVDに出ていること以外に関心を持つ」感覚がないようでした。

(追記)あとでよく考え、「ダイオウイカのはてな」を2, 3コ考えたことは、実はそれ自体がすごいことなのかもしれないと思いました。これは長女がダイオウイカの力を借りて初めて出した知的な「問い」だったのですから。

2. は、現状の課題は何か、どのようにすれば目標を達成できるかのようなビジネスでよくある問いです。長女の場合は、「ダイオウイカを見る」、「窪寺さんに会う」という目標に対して、「どのようにすれば目標を達成することができるか」のような問いが該当します。週末、長女に「どうしたら長女は窪寺さんに会うためにはどうしたらいい?」と聞いたところ、沈黙が流れてそのままになりました。そもそも、どうしたらいいかの考え方が分からないようでした。

まずは窪寺さんにお会いすることを考えると、
・どこにどのように連絡すればよいか考える
・知らない人から「会いたい」と言われた人がどのような気持ちになれば「会おう」という気持ちになるか考える
必要があると思い、「カノンちゃんはどのようにして会いたい気持ちをヒカキンに伝えたか」と、身近な例を出して長女と次女に聞いてみました。ヒカキンのYouTube全部に会いたいと書く、すごく会いたいとお手紙を書く等の意見は出てきましたが、そこから長女と窪寺さんの場合の解決には結びつかないようでした。

「問い」を立てる力はどのようにすれば習得できるのか、残念ながら今のところ私には解なしです。

あるいは、小さなことでも自分が「やりたいと思うこと」をやることで、心が「やりたい」モードになり、大きな「成し遂げたいこと」が出てくるのかもしれません。奥田浩美さんのお嬢様がこのまま大学に進学することに対して躊躇されていた時、浩美さんが「親の好みとは関係しない、小さな欲望3つ」を叶えることを提案され、お嬢様も3つの欲望を完遂されたあと、お嬢様が夢を語るようになられたという話をされていたのがとても印象的でした。「1日中ボンボンTVを1日中観る」、「素敵なお洋服を買う」のような欲望を気の済むまで叶えてあげると何か変わるのかもしれません。

あるいは、多くの小学3年にはまだ「問い」を立てるのは難しいのかもしれません。いくら好きでも、それと「問い」が立てられるのは別なのかもしれません。であれば、「友達同志で盛り上がる活動が、後で振り返ったら探究だった」という方針もアリなのかもしれません。

そもそもなぜ探究するのか

ここにきて思いました。「そもそもなぜ私は長女に探究してほしいのか」

探究と言えば私の中でやっちゃんと藤原さとさんです。そこで、藤原さとさんの「「探究」する学びを作る」を読み返し、さらに、もっとさとさんの世界観を知りたくて蓑手先生との対談を観ました。

HTHでは、学びを「公正」のため、そして、その「探究」をその手段としているとのことでした。

「何のために私たちは学ぶのか」という問いは非常に重要だ。ハイ・テク・ハイはそれを「公正」のためだとしたが、この言葉を選択した理由を知るほどに、同校の思想の深さを知ることになる。
ハイ・テク・ハイは「公正」を「誰もが、人種や性別や、性的な意識や、身体的、もしくは認知的能力に関わらず、同じように価値ある人間だと感じることができること」と定義するが、・・・

出典:「探究」する学びを作る/藤原さと

また、蓑手先生は、探究をする理由を以下のようにお話されていました。
1. 探究することで学ぶことや成長することが楽しいにつながりやすい。学んだことが役に立つかは分からないが、学ぶことや成長することが楽しいと知っていれば辛いことでも乗り越えられる
2. 与えられたものではなく、誰も答えを知らないもの、自分が好きで始めたものは失敗しやすいが、失敗は成長への一番の近道
3. 探究によって自分の癖を知り、自分の成長戦略を知ることができる

では、私はなぜ私は長女に探究してほしいのか。私は長女にどうなってほしいのか。

長女が、自分の好きなことや得意なことで世の中に価値を提供し、世の中によい影響を与え、それにより自分も幸せを感じてほしいと思っています。そして、私もそうありたいと思っています。

ということは、蓑手先生のお考えがとてもしっくりくると思いました。

悪くない

先週金曜日以降、私も悶々としたし、長女も悶々としたと思います。もしかして、私は本当にダイオウイカが見たいのか、私は本当に窪寺さんに会いたいのか、何のために探究するのかと、自分でも考えたかもしれません。もし、そんな風に考えたのなら、まさに、そのように考えたこと自体が成長で、実践探究により少し成長できたということなのかなと思いました(上のように考えたかどうかは聞いていませんが)。