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レシピから自由になる為のレシピ。その2 「計量をやめてみる。」

黄金比。


「計ったりしないんだ?」

友人宅で料理をしてて言われたことがあります。そうなんですよ、計ったりはしないんです。なかにはありますけどね。しっかり数字を決めてるものも。でも基本的に調味料などを計って料理することはほぼ無くなりました。その後そんな話をしていると、どうも美味しい比率とかがあって、少しでもズレると美味しくなくなるんじゃないかと考えていたそうです。おかしな話です。なぜ他人に好みの味を決めてもらうのでしょう?黄金比とか、人によって違いますからね。



 

計量せずに毎回勘を磨くこと。


これは提案なのですが、なんとなく料理というものが朧げながらわかってきたら、計量はスパッとやめてみませんか?味見をしながら感覚を頼りに味をつけていくのです。例えば照り焼きのタレは[醤油・みりん・酒]の同割1:1:1です。でも計りません。目分量でいれます。そして砂糖も少し入れて煮詰めたら味見をしましょう。しょっぱすぎないか、甘さが足りないか、煮詰め具合はどうだろう、味見したその味に情報が詰まっています。しょっぱさが足りなければ醤油を足す、甘さが足りなければみりんか砂糖、煮詰め過ぎだと感じたら少し水を、そんな風にリアクションすればいいんです。とにかくどんな料理をする時も目分量。毎回毎回そうやって感覚を少しづつ磨くんです。磨くなんていうと鍛錬みたいですが、そうしていれば勝手に磨かれます。一生懸命やらなくてもいい。やってればやがて必ず磨かれます。例えば味噌汁も出汁何カップで味噌何グラムなんて毎回計っていたら面倒ですし、いつまで経ってもアナタの味にならないじゃないですか。アナタの味であることが大事で、大袈裟にいえば、それは必ずしもみんなが美味しいと感じるものである必要もないとも思うんです。誰かの提案する味(巷に溢れるレシピ)と一緒の必要はないんです。アナタの感覚で料理すればよかったんです。それに料理はそんなに厳密なものじゃないんですよ。意外と遊びがあって、幅があるんです。


塩加減はグラデーション。

塩は旨味を引き出すと言います。おいしいものは塩加減の塩梅がいいのは事実ですけど、丁度いい塩加減はある一点ではありません。幅があります。ボクは大きく3段階に分けて考えています。強め、丁度良い、優しめです。この幅以上だと塩っ辛く感じるし、これ以下だと味が舌に乗ってこないので、塩加減以外の調理がいくら完璧でも美味しいとは感じません。でもこの幅の中に入っていれば大抵美味しく感じます。おいしいと感じるのは旨味と塩加減のバランスがいいもの(料理)なので、逆にいえばそのバランスさえ取れていれば案外おいしいと感じるんです。
例えばお肉や魚は塩をして焼いただけで美味しいです。この時も塩加減は3段階で考えますが、お肉と魚は旨味が強いので塩も強めが美味しいと感じます。旨味が強いものには味付けも強めと言うのは、ひとつ美味しさの決まりゴトと言えるかもしれません。(もちろん例外もありますよ)これがバランスです。ところが今度はこれを煮るとなると入れた水分の量で旨味が薄れますので、バランスが崩れます。これに塩をいくら足しても美味しくはなりません。慌てず旨味を補いましょう。大抵は野菜、もしくは出汁などで補いますね。豚汁なんかは豚肉とたっぷり野菜も入れるので出汁いらず。しかも最初に油で炒めてから作るというのも旨味をプラスしています。ヨーロッパの料理では玉ねぎ、人参、セロリをみじんにして炒めたものや、トマト、にんにくなんかも旨味としてうまく使います。インドカレーなんかでも玉ねぎ、トマト、ニンニク、もしくはお豆も上手に使います。もちろん出汁の素という手もあります。が、料理を理解する上ではオススメはしません。とはいえ忙しくて、疲れてしまっているときに片意地はる必要もないですよね。無理なく楽しくできる範囲でやって行きましょう。死ぬまで食べなきゃいけないんだから、少しずつでいいじゃないですか。

やっぱり料理は厳密じゃない

ばあちゃんの里芋の煮っころがしが本当に美味しかったんだけど、出汁も醤油もみりんもドボドボテキトーに入れてたのを覚えている。あれは、ばあちゃんそのものの味だった。

料理って頭で作るものじゃなくて、もっと土地に根ざしたものなんじゃないかと思う。里芋がある地域でしか里芋の料理はないわけで。つまりばあちゃんはその土地で生きた、その土地と切り離すことのできない何かで、本来はそんな生き方が人としては正しいんじゃなかろうかと。その土地とばあちゃんと里芋。醤油もみりんも鰹節も米も、ここで長い時間をかけて紡がれて来たものの流れの中に、ばあちゃんの煮っころがしがあったわけで、ばあちゃん個人の腕という訳ではなかったから美味しかったんじゃないかと推測してみたい。
『その土地の記憶』とでも言おうか、それがあるとして、それを受け取れるにはクックパッドじゃなくて、自分の感覚と仲良くなることが、この身に染み付いた『その土地の記憶』と繋がる唯一の方法なんだと思う。

ばあちゃんの作るカレーには竹輪が入っていて好きじゃなかったけど。

それはまた別の話。

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