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こんばんは!
 17回目の本日は、「自己紹介」でもお話したフィジー留学についてだ。
 フィジー留学までの流れを知りたい方は、まず以下をご覧いただきたい。

 フィジー留学を、今後検討されてる人を念頭に、できるだけ当時のことを思い出しながら、詳しく書こうと思い二部構成にした。
 それでは、第一弾を始める。


フィジーとは:

 オーストラリアの右側の小さな島国だ。
 フィジー航空から週1で直行便(成田-ナンディ)で飛んでおり、非常に美しい海が有名で、結婚式を行う日本人もいる。

 地図でいうとここだ。

 イギリスの植民地となった時期に、サトウキビのプランテーションが発展。労働力として同じく植民地だったインド人が多く移住し、それによりインド系フィジー人も多く住む。
 民族は大きく分け、インド系とフィジー系の二つが存在する。

 フィジーを題材にした小説としては、「真夏の島に咲く花は」というものもあるので、気になる方は読んでみてはいかがだろうか。 

説明会:

 後日、留学エージェントの説明会に出席するため、母親と東京の雑居ビルに向かった。
 ビルの1フロアのみが会場だったが、多くの希望者は集まっていたため、しばらく待っていた。
 名前が呼ばれると、エージェントの方との1対2(母親と私)での説明が始まった。

 この説明会で一番記憶に残っているのは、そのエージェントの方が、もともとシリコンバレーで働いていたプログラマーだったことだ。
 当時英語の教材でスティーブ・ジョブズのスピーチをかじりつくように読んでいた私は、シリコンバレーといえばLand of Opportunitiesの場所と思っていたので、その一言で集中力が上がった。

 そして、具体的な留学の話になり、これから住む場所やカリキュラムの話が続いた。
 語学学校のルールで、学校の門を越えたら、英語以外は使用禁止で、1度の使用でイエローカード、2度の使用でレッドカード。
 つまり、強制帰国になってしまうという、厳格なルールを適用しており、実際、帰国させられた人もいるという。
 母親と相談し、3ヶ月間の「ホームステイ」を選択した。
 住居は「ホームステイ」という、受け入れ家族の家に住むタイプと、学校併設の寮「ドミトリー」に住むタイプの二種類がある。

 「ホームステイ」は、ホストファミリーと濃密な時間が過ごせるのがメリットだ。
 当然、会話はすべて英語になり、常に英語に触れることができる。
 ただ、後述するが、その濃密さゆえに問題が起きる可能性もある。

 「ドミトリー」は、実際に利用したことがないが、最大のメリットは好きなご飯を、好きな時に食べられるところだと思う。
 寮なので、外食をするも、自炊するも自由だ。
 日本から食材を持ってきていれば、日本食を作れることもできる。
 ホームステイの場合は、基本的に、ホストファミリーに合わせることになる。
 フィジー系のファミリーの場合は、主食はキャッサバというお芋と一品、
 インド系の場合は、チャパティと呼ばれる平たいパンとスパイスの炒め物、と決まっており、なかなか好きなものを好きな時間に食べることが難しい。

 2~3時間ほどで、すべての説明は終わり、帰宅。
 ここで少しずつ自分が本当に海外で一人に住む実感が湧いて、緊張と興奮でその夜は寝られなかった。

出発の日:

 出発の日は4/24。
 高校の卒業式を終え、すぐの出発だった。
 家を出る直前は、大好きな犬に会えなくなるのが寂しくて泣いた。
 海外は行ったことあったものの、いずれも家族や学校での行事であったため、一人で乗るのは初めてだった。
 てっきり、チェックインカウンターで、荷物を預ければ、すぐ搭乗口にいけるものと思い、友達や家族と搭乗時間ギリギリまで過ごしていた。
 ファイナルコールとともに自分の名前が聞こえて、びっくり。
 急いで、出国ゲートを出て、何とかギリギリのところで、搭乗することができた。

到着:

 離陸し、だんだんと離れていく街を見ながら、異国で生きていく不安から泣いてしまった。
 そしたら、隣にいた中国人がいろいろ慰めてくれて、不安は少しずつワクワクに変わっていった。

 当時は、成田からフィジーへの直行便はなく、パプアニューギニアでトランジットすることになっていた。
 10時間ほどで、パプアニューギニアの首都ポート・モレスビーに到着。
 このトランジットカウンターで、同じくフィジーの語学学校に向かう人たち10人ほどと合流できた。
 話をしていくと、オーストラリアへのワーキングホリデーを目的に、英語勉強のためにフィジーに向かう人が多かった。
 トランジットは15時間ほど近くあり、やることもなくただ待ちぼうけていた。
 そしてようやく飛行機への搭乗となった。

  セスナ機で、ついにフィジー ナンディー国際空港に到着。
 空港に出ると、外は夜中で、熱帯夜という感じのまとわりつくような暑さを感じた。
 到着後は、「ホームステイ」組と「ドミトリー」組に分かれ、別々で学校側が用意したバンに乗車した。
 一人ずつ家に向かっていき、1時間ほどして自分の家に到着した。
 庭付きの二階建ての家に、お母さんと2人の子供が出迎えてくれた。父親は空港警備の仕事で夜勤で、このときは会えなかった。
 簡単な挨拶をして、ごはんのタロイモと魚をミルクで煮たものを食べた。
 子供たちは、興味深々で満面の笑みでこちらにいろいろ聞いてきた。
 フィジーの英語は想像より聞きやすく、初心者の自分でもなんとか話すことができた。
 食事後はシャワーを浴び、すぐ寝床についた。
 日本を出てから、24時間は超えており、ろくに寝れていなかったため、ぐっすり寝た。

登校日:

 フィジーは日本より3時間ほど進んでいるため、いつもより早めに起きてしまった。
 朝は風がとても気持ちよく、涼しい。
 夜勤明けのお父さんと話しながら、紅茶とビスケットの朝食を済ませ、学校への登校のため、家の前でバスを待つ。
 昨日、学校から渡された住所をバスの運転手に伝え、なんとか学校に到着。
 フィジーのバスは、紐にぶら下がったベルを鳴らす必要があり、最初のうちはまるで使い方が分からなかった。
 校門を越えたら、日本語が使えないということで、緊張しながら、学校の正門を越えた。

フィジーのバス


ということで、本日はこれまでだ。
第二弾は登校初日から帰国までの記事になるので、ぜひお楽しみに。

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