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「おいしいお肉になってほしい」と高校生は言った

美味しいステーキを食べるたびに思います。私がこんなに美味しいお肉を食べられるのは牛を育て、屠殺し、食肉として加工してくれた人たちがいるからだと。偽善的だと言う人もいるかもしれませんが、美味しさに感動した時などは特に思います。そういう人たちがいなかったら私は食べることができないのですから。

牛肉に限らずお肉が私の口に運ばれるまでには私の知らないところで様々な人が関わっています。その人たちはいったいどんな気持ちで作業をしているのだろうと思いますが、普段はそんなことは考えず当たり前のように食べていました。

そのように毎日何気なく食べているお肉ですが、そこには多くの人の思いが込められていると感じたのは、数日前のテレビ番組で聞いた高校生のことばからでした。NHKで放映している『新日本風土記』です。この番組は毎回興味深く見ていますが、先日放送された「飛騨ふゆごよみ」(2023年2月の再放送)で飛騨高山高校の動物科学科に在籍する女子高生が出ていました。彼女の家は畜産農家です。番組では彼女が父親といっしょに雌牛の出産を手助けする場面が出ていました。難産で母牛と子牛のどちらの命も危ないと判断した父と娘は出産を手伝うことを決めます。二人で子牛の足を引っ張る場面は緊迫感があり思わず息を飲みました。助産の途中で彼女は飛ばされて尻もちをつきました。それほど大変な仕事であることがわかります。無事に子牛が生まれた時、父娘はにほっとした様子でお互いの労をねぎらいます。ステキな父娘です。その時の気持ちを聞かれた彼女はこう答えました。「お肉になっちゃうんですけど新しい命が生まれるのはすごくうれしい」と。心に残る言葉でした。

彼女は学校でも仲間といっしょに牛を育てています。彼女たちが世話をするのは「みちこ」「とわ」「もみじ」と名付けられた三頭で、「和牛甲子園」に出品するため毎日精魂込めて世話をしています。「和牛甲子園」というのは全国の農業高等学校で飼育された和牛の品評会です。出品される「みちこ」と「とわ」が東京の食肉市場に送られていく朝、彼女が別れ際に涙を流しながら言った言葉も私の心に深く残りました。彼女はこう言いました。「さみしいけど美味しいお肉になってくれたらうれしい」と。

私だったら売られていく牛を見たらまず「かわいそう」という気持ちになるでしょう。でもそれは私が部外者だからだと思います。第三者の立場で見ているからでしょう。でも彼女は「うれしい」と言いました。「殺されるのはかわいそう」ではなく「おいしいお肉になればうれしい」と彼女が言うのを聞いて、畜産に関わる人の心の内を見た気がしました。美味しいお肉を味わうだけの私には言えない重みのある言葉です。


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