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修士論文は目標ラインを決めて取り組む    

修士論文の計画書を提出したのは2年目の5月でした。研究テーマは入学前から決まっていましたし、論文の構想は1年目の夏ごろから練り始めていました。章立てについても少しずつ考えていました。ストレートマスターの中には入学しても研究テーマが定まっていないという人がいますが、社会人はテーマを決めて入学する人が多いので、ゼミでも最初からテーマに沿った発表をしていました。私もそうでした。だからゼミでの発表は1年目から修論を意識して行っていました。2年間はあっという間に終わってしまいそうな気がしていたので、計画的に進めないと修論を完成させることができないと思ったからです。

研究テーマは多文化社会の教育でオーストラリアを事例として取り上げました。移民国家のオーストラリアでは国の政策として多文化主義が採用され、学校においても社会の言語的文化的多様性に対応した教育が行われてきました。それがどのように行われ、それを実践する現場の教師にはどのような資質能力が求められ、それが教員養成でどのように育まれているかを研究したいと思いました。

グローバル化が進む中で日本の社会にも多様な背景を持つ人々が暮らすようになっています。その中には学齢期の子どももたくさんいます。学校でも多文化共生のための教育が必要ですが、現実には十分な実践が行われているとは言えません。教師にも多様性に対応できる資質能力が備わっているとは言えない状況です。そこで、日本より多様性の度合いがはるかに大きく、歴史的にも長く多様性に対応してきたオーストラリアの事例を研究したいと思いました。それがこれからの日本に役立つと考えたからです。

まず、過去の修士論文を片っ端に閲覧し、どのような論文が提出されているか調べました。大学には過去の修士論文と博士論文がすべて保管されています。それらを見れば論文の構成や体裁などがわかります。この先自分がどのように研究を進めていけばよいかも見えてきます。入試の時は過去問の検討から始めましたが、修士論文は過去の修士論文の検討から始めました。

様々な修士論文がありましたが、体裁はどれもほとんど同じです。「はじめに」に続いて研究の背景と目的、先行研究の批判的検討、研究の枠組みと方法、論文の構成などが記述されます。そしてメインの本論が記述され、そこから導き出される結論と残された課題へと続きます。最後に参考文献一覧が示され、謝辞などが記されます。論文には決まった型があることを知りました。

閲覧していて感じたのは修士論文と言っても玉石混交だということです。内容も分量もまちまちで、中には博士論文と言ってもおかしくないような立派なものもあれば、卒業論文かと思えるようなものもあります。他大学の修士論文も閲覧しましたが、失礼ですが授業の課題レポートのようなものもありました。私が専門とする比較教育学の分野でも、海外の政策文書を翻訳しただけのようなもの、海外調査の報告書のようなものもありました。いずれも審査に合格しているのでしょうが、大学によって基準がまちまちであることを認識しました。それまでは大学院で学位を取得するのだからレベルは高いのだろうと思っていましたが、そうとばかりは言えないということがわかりました。

次に先行研究を検討しました。論文執筆に先行研究の検討は不可欠です。これまでどのような研究が行われ、どこまで明らかにされ、何が課題として残されているかを考察します。私が研究しようとしているオーストラリアの教育に関して日本では教育行政、言語政策と言語教育、移民を対象とした多文化教育が多くを占めていました。 多様性への対応では教師の重要性も指摘されていますが研究はほとんど行われていないことがわかりました。だから私がしようとしている研究は有意義なものになるだろうと思いました。

先行研究の検討では苦労したことがあります、対象の絞り込みです。先行研究は自分の研究に関係あるものを選んで検討するのですが、私にはどれもこれも関係ありそうに思えてなかなか絞り切れないのです。でも、すべて読んでいたらそれだけで修士課程が終わってしまいそうです。先行研究の精選はとても大事です。それでも精選しきれませんでした。

ちなみにこの苦労は私がモノを捨てるのが苦手(!?)であるという性格に由来しているかもしれません。「不要な論文」を思い切って捨てられないのです。「こんまりさん」だったら「ときめく論文だけ残しなさい」とアドバイスするかもしれません。

次に大変だったのが章立てです。章立てが確立すればあとはそれに沿って記述していけばいいのですが、納得のいく章立てがなかなかできないのです。本論の章立てについては何度も何度も組み直しました。説得力のある論文にするにはどのような章立てにしたらよいか悩みながら、章の入れ替えを何度も行いました。たとえて言うなら部屋の間取りや家具の配置を何度も替えてみたり、わずか数ピースのパズルを何度もやり直すような状態です。

章立てができたらあとは一気に執筆です。ゼミや他の授業、学会や研究会などで発表したものをもとに記述を積み重ねていきました。執筆は主に家で行いました。家では四六時中パソコンに向かっていました。自立した子どもの部屋が空いていたのでそこを書斎として使っていましたが、パソコン以外の資料を広げると学習机では狭すぎます。次第にダイニングキッチンの大きなテーブルを侵略することが増えていきました。

ダイニングキッチンだと食事作りをしながらでも論文に取り組めます。一時はそれくらい没頭していました。料理をしている時にも思わぬ考えが閃くことがあります。そんなときはすぐにパソコンに向かってキーボードを打ち始めます。そうしないと忘れてしまからです。でもそのうちに料理をしていたことを忘れてしまい、鍋を焦げ付かせてしまうことがたびたびありました。焼き魚だってどれだけ炭にしたかわかりません。

最終的に修論は2年目の暮れに完成させることができました。提出は年明けでしたが、年内に完成させることができてほっとしました。ただ、そのあと少したって頭髪が一部抜け落ちて脱毛症になっていることに気がつきました。自分でも気づかぬうちに身体に負荷がかかっていたようです。論文に取り組まれる方はどうぞご用心を。

修論の執筆は大変でした。でも今振り返って思うことは修論には完璧を求め過ぎないことが大事だということです。社会人として大学院に入学する人は問題意識が高いのでつい気合を入れて完璧な論文を書こうとします。私も最初はそうでした。でも2年間という限られた時間ですからやれることには限界があります。レベルの高い論文を目指すことは大事ですが、気負い過ぎてもいけないと思います。ある程度「妥協」も必要です。自分なりの目標を設定して、そこまで到達できればよいと考えて取り組むのがよいと思います。


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