見出し画像

若い院生との接し方

大学院には学部を卒業してそのまま大学院に入学したいわゆる「ストレートマスター」と呼ばれる人たちと、社会人としての経験を積んだあと入学した社会人院生の両方がいます。私が入学した大学院にも社会人経験者はたくさんいました。

その中の一人がある日憤慨した様子で私にこう言いました。「まったく不愉快。あんな若造に偉そうに言われたくない」聞くとゼミの発表でストレートマスターたちからいろいろ意見を言われたのですが、その際に偉そうな言い方をする院生がいたそうです。

その院生は彼女の息子ほどの年齢ですが、大学院では彼女より「先輩」です。私は彼女に言いました。「意見を言ってくれたのだからよかったじゃない。何も言われないより言ってもらった方がいいと思う。彼は研究ではあなたより先輩なんだから、貴重なアドバイスとして有難く受け取ったらいいんじゃないの?」と。彼女は「そうだけど…  でも言い方ってあるじゃない? すごく偉そうなのよ、若いくせに」と納得がいかない様子です。

「自分より若いのに」という気持ちが彼女の中に強くあるのでしょう。たしかに社会人として大学院に入学すると若い院生との年齢差を感じることは多いです。若い院生の方も同じかもしれません。でも研究では年齢差はあまり意識しない方がよいと思います。若くても自分より研究を長くやっていれば先輩です。専門的なことは自分より知っていることが多いかもしれません。人生経験が長いからと言って、自分の方が何でも知っていると考えるのは間違いです。意見は謙虚に受け取り、異論があればそれを示せばよいのですし。ゼミは率直な意見を交換する場なのですから。言い方が偉そうで失礼に感じることはあるかもしれませんがそれはまた別の問題です。

とはいえ若い院生との接し方に戸惑うことは私にもありました。たとえば、若い人の中には厳しい意見を言われると落ち込んでしまう人がいます。先述したようにゼミは率直な意見を言い合う場だと思うので、私は疑問に思うこと、間違っていると思うこと、改善した方がよいと思うことなど遠慮なく言うように心がけています。それが研究では必要だと思うからです。他人からの指摘で自信を失う必要など全然ないと思うのですが、時に厳しい意見を言われて「傷つく」人がいます。人格を否定されているように感じるのでしょうか。中学校の教員の時は、生徒に何かを言うとき本人が傷つかないように言葉を選んでいましたが、大学院生に対しても同じように気を遣わなければいけないのかと思うと複雑な気持ちになりました。

若い院生の中に不必要な「気づかい」が見られることもあります。同世代の院生には意見が言えても、親世代の院生には遠慮して意見がなかなか言えないようなのです。気持ちはわかりますが、研究仲間としての立場は同じです。不要な壁は作らず、対等に議論ができれるのがよいと思います。

一方、社会人院生の中に若い院生を子ども扱いする人を時々見かけます。特に現職教員に多いように思います。彼らはストレートマスターを学校現場の生徒と同じように扱いがちです。ストレートマスターも現職教員を研究仲間というより「先生」として見る傾向があり、指導教授に次ぐ指導者として見てしまうようです。現職教員は現場の状況をよく知っていますし、教える技術も優れています。現場経験のないストレートマスターが現職教員から学ぶことは少なくありません。それが教職大学院の良いところでもあります。でも、若い院生が遠慮して批判的な意見も言えないというのであれば残念です。現職教員は若い院生との接し方に配慮する必要があると感じています。

授業以外の場でも若い人たちとの接し方に戸惑うことはありました。食事や飲み会での「おごり」です。年上だからついおごってあげようと思ったとき、「おごられる理由はないので」と言って断られたことがありました。彼女にとっては子ども扱いされたような気分だったのかもしれません。もちろんおごられて喜ぶ院生もいますし、おごってもらおうとするちゃっかりした人もいます。人それぞれではありますが。

いずれにしても必要以上に年齢を意識せず、院生として対等に接し、お互いに学び合いながら研究に取り組むことが大事だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?