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170 非正規教員を体験して感じたこと

公立学校の教員を早期退職して大学院で研究を始めた私ですが退職後も非正規教員として学校で教えることがありました。大学でも仕事をしていましたのでほとんどが非常勤講師です。かつて勤務していた中学校のこともありますし、市内の別の学校のこともあります。県立学校や私立の学校でも教えました。多くが教育委員会からの依頼です。私のようなものにも要請があるのはそれだけ教員が不足しているということなのでしょう。病気療養などで年度の途中で急に代替教員が必要になったり、短期間の仕事を依頼する場合は人材を確保するのが難しく、一定の教職経験があり、時間的に融通の利く私など便利な存在だったのかもしれません。

非正規で仕事をしてみると正規教員だった時には見えなかったものが見えてきました。非正規の先生と仕事をすることはたびたびありましたが、先生たちはこんな風に感じていたのかと改めて思うことが少なくありませんでした。

非正規教員については雇用や賃金の問題、業務の問題、社会的評価の問題など様々な課題が指摘され、リアルな実態も報告されています。(『教員不足クライシス~非正規教員のリアルから迫る教育の危機』旬報社)

ここでは非正規教員としての体験を通して私が感じたこといくつか挙げてみたいと思います。些細なことであまり取り上げられることのない内容も含んでいます。あくまで私個人の感想として読んでいただけたら幸いです。

机に置かれたままの湯飲みに複雑な思いを感じる

初めて学校に行き、職員室の座席に案内されたとき、机の上にモノがたくさん置かれていることがあります。前任者が使っていた机をそのまま使用することが多いですが、時にそれ以外の机を提供されることもあります。いずれにしても机の上に教材やプリントなどが山積みになっていることがあります。

休職者の場合、本人のものが置かれているのは理解できます。片付ける間もなく病休に入ることだってあるでしょう。でもそれ以外の教師が物置代わりに使っていることもあります。生徒から集めた課題やプリントがうず高く積み上げられています。湯飲みや菓子の空き袋、食べかけのカップ麺などが置かれていることもあります。飲みかけの湯飲みが放置されているとがっかりします。忙しくて片づける時間がなかったのだろうと思いながらも、その程度にしか受け入れられていないことに寂しさを感じます。

「空きコマ」に不合理を感じる

非常勤講師の仕事は授業を行うことであり、授業のコマ数によって報酬が支払われます。授業の準備やテストの採点など授業以外の時間に行った業務に報酬は支払われません。授業をするためにはやらねばならないことはたくさんあるのですがそうしたものは労働報酬の対象とは見做されないのです。

だから授業のない時間、いわゆる「空きコマ」は時間が拘束されますが無報酬です。学校によっては配慮して「空きコマ」が生じないように時間割を組んでくれることもありますが、年度の途中などではそれが難しい場合もあります。その際は無給で学校に居ることになります。極端な場合は1時間目と5時間目に授業があり、中の3時間は「空きコマ」だったりすることもあります。教材研究や課題のチェックなどに充てますが「ただ働き」をしているようでジレンマを感じます。束縛されない時間なので校外に出ることもできますが、中途半端な時間なので有効には使えません。

自分の職務範囲を超えて仕事をすることにためらう

前述のように非常勤講師の仕事は授業を行うことでそれ以外の業務はありません。校務分掌もなければ部活や委員会の指導も求められません。業務が限定されているので気楽だと言えば気楽です。

正規教員もそれを認識しているので余計な仕事は持ち掛けて
きません。でもまれに仕事を頼まれることがあります。多忙で手が回らないときなど遠慮がちに「手伝ってもらえない?」と言ってくる人がいます。もちろん強制ではありませんから断ればよいのですが、助けを求めるほど忙しいのかと思うと無下に断るのも躊躇われます。仕事を引き受けながら「職務ではないのに」とモヤモヤすることがあります。

さらに自分がそうした仕事を引き受けることが他の非常勤講師に影響を及ぼさないとも限りません。「あの人はやってくれたのにこの人はやってくれない」という不満がにつながるかもしれないからです。

どこまで自分のやり方で行うか迷う

それほど長期間ではない代替を頼まれることがあります、その際は自分の独自性をどこまで出して授業を行うか迷うことがあります。正規教員がいずれ戻ってきたときに授業がやりにくくならないためです。引継ぎで本人のやり方を聞いていれば自分もそれに沿って授業を行うようにしています。引継ぎができない場合は生徒にそれまでの様子を聞き、授業の進め方など極端に違わないようにして授業をします。その方が生徒の戸惑いも少ないでしょうし、本人が戻ってきたときにもやりやすいと思うからです。

もちろん代替教師であっても独自性を出すことに問題はありません。教師はみんな違うのですからそこまで気を遣う必必要はないとは思うのですが。

気遣いのことばに疎外感を感じる

周囲の気遣いが却って疎外感を感じさせることがあります。職員会議や研修会などがあるとき、「非常勤の先生は参加しなくてもいいですよ」と言われることがあります。非常勤講師は基本的に会議への参加は求められません。研修も対象とはされません。でも研修をいっしょに受けたいと思うときもありますし、職員会議に出たいと思うこともあります。気を遣って言ってくれているのでしょうが、疎外されているように感じることがあります。

生徒に関する情報は非常勤講師と言えども必要です。でも会議に出ないと情報が得られず、何か問題が起きていても蚊帳の外に置かれてしまいます。生徒の個人情報に関して非常勤講師は部外者扱いなのかと思うことがあります。情報がないためて不適切な指導を行ってしまうこともあります。除外されることで一抹の寂しさも感じます。

そんなこと気にせずにやればよいと言われそうな小さなことばかりですが、非正規で仕事をすることがなければ感じることのなかったことです。体験することで同じ職場で共に仕事をする非正規の先生へのまなざしを得ることができました。

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