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勉強する意味

社会に出てから学生時代に勉強した内容はほぼ使わない。大学で学ぶ専門科目や国家試験を得るために必 要な勉強は社会に出ても活用できるかもしれない。しかし、自分の専門ではない分野や教養は正直、社会に出て仕事として使う気はしない。

ネットワークの構築

だが自分の専門でない分野や教養があることによって自分の人間関係のネットワークを増やすことができると思う。人は初めて会った人に対して共通の話題を見つけると話しやすくなる。自分の専門でないものの、知識があるとその分その専門の人と話した時にある程度の会話はできる。私はプログラムを書くということ が好きではないがプログラミングの構造をある程度理解することができるため、プログラマーとの会話がある程度で きる。完璧なプログラムは組めなくても大枠だけ理解していればそれを元にプログラマーの手によって実行できる プログラムを完成させることができる。つまり、自分の専門でない知識でもあればそれだけネットワークが広がるのである。あるトピックの話題になった時に自分の持っている知識という手札で相手と会話をすることができるので ある。

自分に合う勉強法を構築する

また、勉強する意味として勉強の「仕方」を学ぶということがあると思う。学生時代に自分に合う学習の仕 方を理解しておくことで社会に出てからもその方法は役に立つ。例えば、新しい仕事についた時、必ず覚えるべ きことや学ぶべきことが出てくると思う。そうなった時にしっかりと勉強してきた人たちは自分に合う勉強法をわかっ ているため飲み込みが早い。仕事の飲み込みが早いのは才能ではなく今まで積み重ねてきたものだと思う。学生時代にたくさんの勉強をして実際に成果を出せた人はその分自分に合う勉強法を身に着けているのであると思う。

知識を持って判断できる

さらに、知識を持っていることで、社会をたくさんの眼鏡で見ることができるようになるというメリットもある。詐欺などの高額請求もその金額が妥当だと思い込んでしまっていたら簡単に騙されてしまう。法律を他者の代理としてお金をもらうような弁護士の仕事をしないにしてもある程度のことを知らないと知らないうちに法を犯すこともあるかもしれない。営業のテクニックを知っているとそれに流されずに自分で判断することができる。「学生の時にもっと勉強しておけばよかった」というセリフをよく耳にするが、これは、自分が知らない知識の範囲内で判断を求められる場面が多いからではないかと思う。社会に出ていくうちに自分の社会の知らなさを体感する場面は多いと思う。その場面に自分が直面した時に「学生の時間のある時や実際に判断するときではない時に勉強しておけばよかった」と思うのではないかと思う。

人生は常に勉強の連続

私にとっての勉強は問題集を解いてその答えがあっていることではない。実社会に理論がどう使われているかを体験することが私にとっての勉強である。もちろんそれが実際に体験できないことも多いが、その時は自分でまずテキストで勉強して、そのあとでそのことに関するコミュニティに参加してみて、実際に体験した人の話を聞くことで、自分が体験できないこともできるようになると考えている。そのように考えると人生は勉強の連続ですね

最後に

この記事は自分の本を自己出版しようとして書いた原稿の一部です。今約5万字まで行っていますが、10万字まで残り半分です、、、
この記事に興味を持ってくださった出版関係者の方、いらっしゃいましたらよろしくお願いします。。。

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