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私が起業した時の話をしようか


・なぜ起業(独立)を選んだのか

18歳から働き出し身内の電気工事をしていたが、その後、尊敬できない人と仕事をするのが嫌になり、いつかは自分が先頭に立ってやりたいという思いがあり「社長になりたい、人の上に立ちたい」という安易な考えで電気工事で起業(独立)という決断をした。
独立して「自分ならもっと効率よくできる、責任を持ってサービスを提供したい」ということはその頃から思っていた。
謎の自信だけは持っていたのである。

最初はやりたいこともなく、給料が良い仕事をしようとぐらいしか考えておらず、身内に誘われ18歳から電気工事を始めたのが電気工事を始めたきっかけだった。
大手製鉄会社の下請けに入り非世界観が新鮮だった。
ただただいろんなことが知りたいと思い日々過ごしていた。
しかし、一年経ったころ自分に少し変化が起きていることに気づいていなかった。仕事ができない人、効率、要領の悪い人に苛立ちを感じることが多くなっていたのだ。当時の先輩と話している時に私の話になりその先輩に言われたことがとても衝撃的だった。
先輩は「周りの人はなにも変わっていない、お前が入ってきた時と同じままだ。変わったのはお前で、早いペースで仕事を覚えて、できるようになったことで周りも見えてきたからお前が良い方に変わってきたんだ」
そう言われたときすごく驚いた。自分がそんなに効率よく仕事ができるようになっている自覚もなく周りの評価は数年先輩たちを追い抜いていた。
そんな話をした日から独立するという選択肢が自分の中に浮かぶようになった。そこから独立したいとう思いとまだ技術がないのに独立して大丈夫なのかという葛藤の日々が数年続いた。
23歳の時その日は突如訪れた。
その日も普通に作業していたが、やはりいつも通り効率が悪く作業内容もわかっていない人ばかりだった。だから一人で作業をこなしてしたら私が一人でやっているのが気に食わなかったのか怒鳴り上げてきた。
なぜ私が怒鳴られないといけないのか全くわからなかった。
やらないといけない仕事をこなして、他の人が失敗していたことをカバーしてお客さんに謝り、一番年下の私がなぜそこまでしないといけないんだと、一気に感情が爆発しもうやってられないと思い、その場で辞めると言い独立を決意した。
独立を決意したものの、何をしたら良いのかもわからず、ただ不安な日を数日過ごした頃に電話が鳴った。
以前仕事を頂いてたお客さんからだった。
どこからかわからないが私が独立したことを聞き「仕事を依頼したい」と連絡をくれたのだ。とても嬉しかった。助かったと思ったことを鮮明に今でも覚えている。
そのお客さんは「信用できる出し、ちゃんと責任を持って仕事をこなしてもらえるからお願いしたい」と言ってくれた。
その時とても救われた気がした。自分がやってきたことは間違いじゃなかったと自信がついた日でもあった。
「これから先は絶対に信用が必要になる、仕事を出す人を選んでいる」
と確信したのだ。
他のお客さんからも徐々に依頼が来るようになり生活することに困らないくらいは仕事がいただけていた。
だがずっと順調にいくわけもなかった。
急に予定していた仕事がなくなったり、取引の経営悪化で報酬がしは割れなかったりと金銭面でのトラブルが起きることがあった。
もちろん勢いだけで企業した私には運転資金などなく支払ってもらえないとお金が一切ない状態だった。
どうしようもなくなった私はお金を借りるように行動したが、銀行は貸してはくれなかった。とりあえず凌ぐためにクレジットカードを酷使しなんとか食い繋いだ。
だがカードにも限界がき、現金もほぼない状態。
本当にやばいと感じていた、そんな私だが当時彼女がいた。
なぜか、そんな状態なのに結婚しようと思い、結婚した。
親族は喜んでくれたかはわからないが反対はされなかった。
そんなボロボロな状態で結婚生活が始まったが、金銭面の状況は変わらなかった。このままではダメだと思い恥を忍んで親族にお願いしお金を借りた。
そこから金銭面での修正を行なった。キャッシュフローの見直しだ。
きちんと見直し、政策金融公庫で運転資金を借り入れし、取引先を増やし顧客単価を上げ試行錯誤した結果なんとか運営できるようになったのだ。
そのようなこともあり、世の中の中小企業は自分と同じことが起きている可能性があるのではないかと思うようになった。国の政策や、補助金・助成金を調べたり、経営者の方とお話しする機会があるときは経営について聞くことにより失敗談や悩みを知りもっと勉強するようになった。
もっとこれから成長するぞと思っていた矢先、
私にとってまた大きな決断を迫られる出来事が起きた。
第一子が産まれたのだ。心臓に持病があり動揺を隠しきれなかった。
まだ産まれて間もない子がいろんな管や機械の線を身につけられてる姿を見ると言葉にならなかった。
入院生活も続き、妻も衰弱していく中、今まで通り仕事もこなしていたが、
このまま電気工事をしていては、子供と一緒にいてあげれなくなるという思いが強く、子供と過ごす時間が欲しいを思い始め、時間や場所に縛られず自由に動ける仕事にしようと決意した。
そこで出会ったのが広告でたまたま出てきた動画クリエイターのオンラインスクールだった。
趣味でバイクに乗るため記録用で動画を撮って自分で編集もしていたため
私には、動画クリエイターの勉強はハードルが低く感じた。
すぐさまオンラインスクールに申し込み勉強をしていたが、
知れば知るほど奥が深く簡単な気持ちで入会したが少し自分の中で違うのかなと思ったりもした。
とりあえず続けなければと思い続けていたら、スクールの中でマーケティングというものを知った。
工業系の高校で建設業の私には全く縁のないことで最初は、何のことか全くわからなかった。
まずは無料のマーケティングのセミナーを受けて無理そうなら辞めておこうと思っていたが、セミナーを受けてみると内容が私にとってワクワクするものであった。「もっと知りたい、もっと勉強したい」と思いマーケティングのスクールに入会した。
そこでの勉強は電気工事を始めた時の新鮮さがあり楽しかった。
「これは私に合っているかも」と思い無我夢中で寝る間も惜しんで勉強し
空き時間には本を読み、YouTubeでマーケティングの情報を漁る日々になった。そこで知ったのがUSJをV字回復させてさせた第一人者
『森岡毅』さんだ。(だからタイトルも少しパクリ気味)
こんなマーケターになりたいと思ったが私とはレベルが違いすぎるという思いがあり弱気になっていた。
だが自分にもできることはあると考え、自分自身に落とし込んだのが
中小企業のサポートだ。
電気工事で独立し苦労もした経験もあり、今度は私が世の中の中小企業を助けてあげようと思い、マーケティングコンサルタントとしての活動を始めるきっかけだった。
マーケティングコンサルタントとして活動することにより、今より時間に余裕ができるような未来が想像でき、私自身も満たされ、世の中の中小企業の助けもできると考えた。
そこからマーケティングコンサルタントとして活動することに迷いはなかった。すぐさま別事業でマーケティングコンサルタントとして活動を始めた。
自分の失敗経験を活かせることもあり電気工事も続けながら
マーケティングコンサルタントとしても活動をしている。
私と同じような失敗をしてもらいたくない思いもあり、私が失敗のモデルとなり知ってもらうことが何よりの説得力のある提案ができるのだ。
なぜ失敗体験が説得力があるのか。
何よりみんな失敗が怖いからだ。
失敗したくない
という気持ちはみんな持っている。
だから失敗させないために私たちのようなコンサルタントがいる。
顧客との信頼関係の大事さ』
『集客の大事さ』
『客単価の大事さ』
『キャッシュフローの大事さ』
このようなことをきちんと理解してもらいたい。
そうすればちゃんと結果はついてくる。
独立して間もない時、年配の職人さんに言われたのが
「お金は後からちゃんとついてくる」と言われた。
当時は何を言ってるのか全く理解できなかったが今ならわかる。
自分自身がきちんと良いサービスを提供し、信頼関係を築けていればそこに自然とお金が集まってくるということだ。
若い頃にはわからなかったことが自分自身で経験することによって理解できるようになる。
私が大事にしていることは『顧客との信頼関係』『行動すること』
信頼関係がなければサービスは成り立たない。
行動しなければないも変わらない。
今思い返せば辛い時期もあり良い時期も経験し人生の岐路にも立たされた
そんな経験も今では財産であると思っている。

結論
・経験に勝る価値のあるものはない・

だから、皆さんは色々挑戦し、経験してほしい。失敗を恐れないでほしい。
失敗してもどうやって改善するかを考え
もがき、足掻き、諦めなければ活路は開け、行動すれば必ず成功するのだ。
そんなことしたくない!って方はコンサルタントに相談することが最善の策だ。

最後まで読んでくれた方には感謝いたします。
こんな零細企業の一人のお話に付き合ってくださり
ありがとうございます。
皆様の成功をお祈りております。




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