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ニートだけど今日も元気です

吾輩はニートである。名前はまだない…

いや、名前はある。さくちゃんという。

4年前にニートとなり、コロナウイルスの流行やらなんだかんだを経て、現在に至る。当時一緒に働いていた同期がしっかり働いて先輩になっている姿を見ると、私は笑えるくらい人生のレールから外れた生き方をしているなと思う。新卒の頃まではそこまで悪くない経歴だったはずだが…。もはやそれも昔の功績である。

これを読んでいるあなた。自身もニートだから読んでいるだとか、そろそろ離職しようと思っているから読んでみたとか、通りすがっただけとか、冷やかし半分だとか色々な状況の方がいると思う。一応断っておくが、そこまで意味のあることは書いていない。自由に見ていってくれ。

無職は社会的に自立していないと言われる。まるで社会のゴミみたいに言われることもある。だけど私はニートになること自体は悪くないと思う。誰にも迷惑かけてないし(ん?親にはかけてるか)、夜更かしできるし、ご飯はおいしいし。お金かけなければ、ある程度趣味も続けられる。こうやってほら、書きたいことも発信できている。

だけど、ニートが良いとも思わない。なぜならニートを続けることは想像以上に苦しいことだからだ。

まず金銭の問題が出てくる。まぁ、これに関しては実家に縋るやらそれまでの自身の貯金を切り崩すやらで、なんとか凌ぐこともできる。

だが、問題はそこじゃない。

ニートの一番の苦痛、それはさまざまな不安と戦わなくてはならなくなることだ。働いていないという不安、社会的に何も生み出していないという虚無感、自分なんて周りからしたらどうでもよくて、必要とされないのだという恐怖…。はじめはそんなもの気にならない。だが、日に日にその想いは強くなる。

独りの時間が恐ろしい。気が狂いそうになったり、もう夜が明けないんじゃないかと思ったりする。孤独というものをここぞとばかりに意識する。その瞬間、思う。

「私は何も持っていない」

これまでの功績も貯金も人脈も、独りの時間には意味をなさなくなる。“私”という存在が、何も持っていないくせに闇の力を持った存在が、自分自身に襲いかかってくる。これは本当に苦しくて恐ろしい時間だ。おそらく、自分こそが唯一、自分の心を切り刻んでしまえるのだとも思える。

その時間を越えて、今ここにいることが、私は「自分すげえな」と思う。孤独に耐えうる強さを手に入れられたことは今後の人生の財産となるとは思う。まだまだ社会的にはメンタル豆腐でよわよわだけど。

何が書きたかったのか迷走にしちゃったな。
まあ、なんだろう、物事って良いも悪いも表裏一体だからな。あと、前回の投稿からだいぶ間があいたのでひとまず近況を書いておきたかった。これからは、ちょこちょことエッセイを書いていくつもりです。ニートについてとか。考えてることとか。日常のあれこれとか。更新待ってくれてる人いるのかな。いなくても書きます。人生は自己満の連続と思っているので。

なんだか今年は暖冬というけど、今週はもっと暖かくなるらしい。嬉しいね。スーパーで春野菜が出始めて、さくちゃんはもう小躍りです。甘くておいしいから。

では、またの機会にお会いしましょう。
読んでくれてありがとうございました。



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