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【エッセイ】「思う存分、幸せになれ」vol.4 「給食」

先日たまたま観ていたテレビ番組で、全国の給食が特集されていた。ご当地の食材を使った献立や高級食材を使った献立など、実に多種多様な給食に「ほぇ〜」と感嘆の声が出る。今はますます美味しそうな給食が増えているのだな、と思った。ただ、それを観ながらも、やはり私には給食への苦手意識が拭えないことをひしひしと感じた。これに関しては全国の給食を作ってくださっている方々、本当に申し訳ない。だが、ここでは給食が美味しくないとか、そういう類のことを言いたいわけではないのだ。

私は幼い頃から少食だった。3歳まではよく食べていたのだが、幼稚園へ入る頃から徐々に少食の人生に突入。小学校に入ると、その差はますます顕著に表れはじめた。クラスの中でも食べるスピードがズバ抜けて遅く、周りのクラスメイトが全部食べ終わって遊びに出て行っても、私はまだ半分も食べていないということが日常茶飯事だった。食べることは好きだが、すぐにお腹がいっぱいになってしまう。給食は内容や量が決まっている為、自分だけやめることができないし、はやく食べなくてはと思えば思うほど食べ物が喉を通らない。また、急かされると漫画のように「ウプッ!!!」と吐きそうになってしまうので、もうどうしようもない。

牛乳も悩みのひとつで、IBS持ちの私にとってはこれがかなりしんどかった。飲んで数分したらトイレに直行。調子がいい時は持ち堪えるのだが、お腹を壊している思い出がほとんどだ。もはや笑えるくらい私の腸の反応は速く、我ながら他に類を見ないほどのお腹よわよわ人間であった(今もだ)。牛乳と麦茶、どちらにしますか?というように選ばせてくれたらよかったな…といまだに思う。

私の家は転勤族だった為、私は小学校を2度ほど転校しているのだが、もちろんどこにいっても給食は付き物。隣の席の子に食べられない分を食べてもらっていて大人に怒られたり、パンを秘密で持って帰っては捨てられず、給食袋に溜め込んでいってそれがバレて怒られたりと、様々な策を試みたが全て失敗に終わった。

中学校からは持参のお弁当になった為、私は給食を卒業した。持参のお弁当なら時間内に食べられなくて残しても、持って帰ってきて家で食べられる。少しだけ自由が生まれた。そこから昼食に対する焦燥感や不安がやっと無くなっていった。おそらく私は、給食自体が苦手なのではなく、「自由がきかず急かされながら食べるあの時間」が苦手だったのだと思う。

恵まれていたことはわかっている。美味しいごはんがしっかりと食べられることはありがたいことだ。だが、急かされるようにご飯を食べなければいけない時間が苦痛だったことも確かだ。残せないし、かと言って食べきれるわけでもない。「普通の子ができることを私はできない」という一種の劣等感も生まれた。好き嫌いせずにはやく沢山食べられる子は「良い子」かもしれないが、こういう人間が、子どもが、いることも理解してくれたら嬉しいと思ってこれを書いている。

当の本人が一番悩んでいるのだ。多くを食べられないこと。時間をかけなければ食べられないこと。無理に食べようとすると吐きそうになること。食べた後にお腹を壊すこと。マイノリティで、周りと違う自分に苦しめられている。だからもし、こういう子がいたら、「はやく食べなさい」「全部食べなさい」と外野から追い詰めないであげてほしい。あの時、「大丈夫だよ」と言ってくれる大人がいれば、どれだけ心強かっただろう。

私は今、自分の好きなものを好きなだけ作って、ゆっくり時間をかけて食べる。それがとても幸せだ。食材の美味しさをより実感するし、食べることも料理をすることも大好きになった。

私はきっとこの先、周りの子どもや自分の子どもに言うだろう。

「大丈夫。自分のペースでいいからね」

どうしても比較や差が生まれるのが人間社会だ。それは幼い頃も社会人になっても変わらない。だけど、あなたのままでいいんだよ、と伝えたい。生きづらいことがあっても胸を張って堂々と幸せに生きていけばいいのだ、と。

気づけば時計の針が正午を回っている。お腹も空いてきた頃だし、お昼ごはんを作るとしよう。大好きなミネストローネを作って、カリカリに焼いたトーストと合わせ、サラダも付ける。そうだ、祖父から貰った紅茶も飲もう。

よし、気持ちが上向きになってきたぞ。
こうして私は今日も食べることを楽しんでいる。


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