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ニートと雨と音楽と。

こんにちは。ニートのさくちゃんだ。

みんな、今日も踏ん張って生きているかな。
元気じゃなくてもかっこよくなくても可愛くなくてもモテなくても仕事ができなくても、どんな自分でも大丈夫だ。

ただ生きている。
そのことにこそ、意味があるからな。
堂々と生きていこう。

さて、最近は暖かさが増してきた…ような気がする。春が近い。太陽の温度をより感じるようになった。だけど春雨前線って言うの?雨は多い。少しだけ憂鬱だけど、この雨のおかげでおいしい野菜が育つのだと思うと、恩恵の水である。

雨といえば、花田裕之の『SUNDAY』を思い出す。知っている人いるかな。結構マイナーな曲だと思う。インターネットで歌詞を探しても載ってなかった。一時期、花田裕之にハマってずっと聴いていたのだけど、特にこの曲が好きだった。ポップで、雨が降っていても気分が暗くならない。

みんなは、好きな曲を選ぶ時の要素って何?
私はね、まずは音から選ぶのだ。走り出しの曲調によって、好きかどうかが決まる。その次に声。好きな声かどうか。最後に歌詞。美しいかどうか。

こうやって書いてみると、私は日本語のことが大好きで、そこから感じられる煌めきを心底愛しているのに、結局のところ、好きな曲を選ぶ要素となると、歌詞は最後なのだなと思った。面白いね。

でも、それもそうか。文章(本など)なら日本語が要素として大切だけど、曲なら、大部分の要素は曲調が主になるものな。声もその次の要素だし。ある意味、歌詞が最後なのは妥当か。しかも、歌詞って日本語じゃなくても、英語やフランス語などでも、“音楽”にはなるもんね。自身の好きな曲も考えてみると、まずは曲調が好きっていうのが圧倒的に多い。新たな発見。

ん?
しかし、だ。

さっきの『SUNDAY』においては曲調も好きだし、花田裕之の声も好きだが、思い出したきっかけは、「雨」というワードだった。つまり日本語。

「雨の日曜日はいつも二人きりで」

その歌詞がポンっと脳内に出てきた。思い出された。そういえば、春の曲とか夏の曲とかって、何をもって分類されるのか考えてみると、日本語なのだ。桜が出てきたり、海が出てきたり、それだけで日本人はそれを季節の歌としてすでに分類している。あと、曲調で「夏っぽいな〜!」はあっても、他は無い気がする。不思議。

季節とか、さっきの雨みたいに誰もがわかる現象とか、そういう日本語が鍵となって、頭が曲を引っ張りだしてくることはよくあることだ。「卒業式」ってワードを聞いたら、何かしらの関連した曲が浮かぶことあるよね。『3月9日』とか。それも同じ。正直、あれが初めから他国の言語で歌われていたら、3月のああいう切なさとあたたかさが入り混じったような感情にはならないと思う。ということは、日本語って曲の中で重要な役割を果たしているのだね。

歌詞を知ってから聴くことで、私たち人間は、「曲(調)が好き」から「曲(そのものを理解して)好き」に変化する気がする。そうすると、日本語は、好きな曲を選ぶ上で最初の要素ではないが、最後の要素としては、かなりの重要度をもって存在しているのだ。…って何をぐだぐだ言ってるんだという話である。

まぁ、なんだろう。
みんな自分の好きな曲は好きでいいよね。
曲調だろうが声だろうが楽器の音だろうが歌詞だろうが、どこかにもしくはどこにも好きがあっていいのだと思う。

というわけで、これを書いている間にも外はますます大雨になってきたよ。
今日は日曜日ではない。
だけど、私は『SUNDAY』を聴く。
好きだから。

ここまで読んでくれた方、ありがとう。
もしよかったらあなたも聴いてみて。
では、またの機会に。



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