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【エッセイ】「思う存分、幸せになれ」vol.6 「青春」

母が「買いたいものがある」と言うので、数年ぶりに都心の方へと行ってきた。昨今はコロナの流行もあり、できるだけ近場で買い物 or ネットショッピングが我が家の主流となっていた為、大勢の人で賑わっている街に行くのは、なんだかそわそわしてしまった。ちょっとだけいい服を着て電車に飛び乗る。

駅に降り立つと、おそろしいほどの人の多さに眩暈がした。マスクをつけているというのに、さまざまな匂いが鼻を通り抜け、地元では見ないような奇抜なファッションを身に纏った女性たちが足早に前を横切っていく。こんな忙しない街で、大学生の頃は散々遊び呆けていたのだから、あの頃の私はよほど元気が有り余っていたのだなと感じる。

長居はしない予定だったので、私と母は無駄な動きをせずに買い物を始めた。さすが都心、商品の在庫も種類も多くて、洗練された物が沢山ある。次から次へと目移りしてしまうほどだ。人も物も溢れているこの街は、日々の鬱屈とした気持ちを忘れるにはちょうどいい。最近はこうした場所にめっきり来なくなっていたが、久しぶりに来られてよかったと思った。新しい物を見るだけでも心に清々しい風が通るような気持ちになる。空っぽになっていた数年分のエネルギーが補充された気がした。

ひと通り買い物が済むと、「せっかくここまで来ているから百貨店で夕食を買って帰ろう」という話になった。いわゆるデパ地下に入ると、これまた人、人、人。ごった返すとはこういうことだなと考えながらも、それだけ世間はコロナの自粛生活から脱してきているのだなと実感した。少しずつ、でも確実に、コロナ流行前の社会に戻ってきているのだ。

全ての買い物を終わらせて帰路に着く。電車に揺られながら、少しだけ今日のことを思い出していた。大通りや店の中を歩くと、嬉しそうにはしゃいでいるのは、学生がほとんどだった。友人もしくは彼氏彼女と仲良さげに話しながら買い物を楽しんでいる。その姿を見て、学生時代の自分をおこがましくも重ねてしまった。私が大学生の頃、ほぼ毎日行っていたあの街は、もう“今”の学生たちの街となっていたのだ。そして私はあっという間に、その世代からはみ出してしまっていた。久しぶりにあの街へ行き、私も上の世代になったのだなと痛感させられた。

寂しさと、どこか優しい気持ちが入り混じる。もう私はあの頃には戻れない。昔読んだ本の一説に「青春とは、振り返った時に、あれが青春だったのだと気づくもの」と書いてあったが、その通りだ。あの頃の私は、最先端のファッションに身を包み、美味しいものを食べ、楽しいイベントに参加して、友人とショッピングをしたり、プリクラを撮ったり、毎日がバラ色だった。当時は気づいていなかったが、きっとあれが私の青春だったのだろう。そして、もしかしたらこう感じている今日の私も、いつかの未来の自分にとっては青春の真っ只中にいる私なのかもしれない。

家に着き、百貨店の焼き鳥を頬張る。おいしい。冷えたビールを飲む。うまい。買ってきたご飯を食卓の上に並べて、家族と談笑していると、なぜだか少しだけ涙が出そうになった。他者から見て、何か凄く素晴らしいことが起きているわけではない。あの頃と比べると、年も少しばかり重ねて、誇れるようなこともなくなった。だけど、穏やかな日々を過ごし、こうやって生きているというその事実が、今の私にとっては幸せなことなのだと強く思えたのだ。

ふとスマホの画面に目を遣ると、写真の「思い出」の欄に、あの頃の私が映っていた。画面の中にいる私は可愛らしく笑顔を作ってこちらを見ている。今の私は…と鏡を見ると、締まりがなく酔って赤くした頬。その腑抜けた顔に笑ってしまう。だけどなぜだろうか、とても好きなのだ。あの頃の私も可愛らしかったが、私は今の私を何よりも愛おしいと思っている。

あの頃に戻れなくても大丈夫だ。この私を、ありのままの私を大切にして生きていきたいと思うよ、と私は鏡の中の私に笑いかけた。


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