見出し画像

自己肯定感うんぬん(ニートの考察)

こんにちは。ニートのさくちゃんだ。

3つ前の記事、『ニートだけど今日も元気です』がとても好評でびっくりしている。

みんな、ニートに興味があるの?
それとも、自身もニートだからとか?
何はともあれ、読んでくれる人が多いのも、いいねやリアクションをくれるのも嬉しいよ。ありがとう。

ニートはな、もう振り切って、胸張って生きていくしかないからな。
同志たちよ、堂々といこう。

さて今回は、近頃考えてることを少しだけ垂れ流したい。

ちょっと前まで、私は絶望の中にいた。どうして上手く生きられなかったのか、そればかり考えていた。まだまだ人生、先は長いし、何も全てが決まったわけじゃなかったのに。

ちなみに、今は自分のことが好きだと思える。
「こんな自分も自分だな」とか、「自分って結構良い感じに生きてるな」とか。働いてないけどな。
それでも良い感じに生きてるのだ。

自己肯定感ってよく言うよね、最近。
以前、『「思う存分、幸せになれ」vol.5 「救世主」』でも書いたけど、昨今はセルフラブの時代になりつつある。だけど、このごろ思うのは、自己肯定感を上げることは至難の業だってこと。

そもそも、自己肯定感なんてすぐに上がらない。というか、不安定なものでしかない。毎日せっせと自己肯定してても、誰かの言葉やショックな出来事で、自己評価が地に落ちることなんて普通にある。

そしたらどうなる?

そう。

「自分なんて」って自分を責め立ててしまうのだ。

せっせと積み上げていた自己肯定感は何の意味もなくなる。力がなくなってしまう。どうにかしようとしたって、元気のない空元気ほど虚無感を煽るものはない。ぐるぐると不安感に飲み込まれていく。

じゃあどうしたらいいんだろう、と私は考えた。
自己肯定感はやっぱり高めたい。それを維持したい。その解決策を探す為に、たくさん本を読んだ。

私は、どうしたらいいのか。
そして行き着いた先は、

『自己否定感を無くす』

ということだった。


自己肯定の反対は、自己否定だ。つまり、自己肯定感を上げようとせずとも、自己否定感を無くしていけば、自己肯定感は安定するのだ。下がりすぎることはない。

これは意外と盲点で(人からしたら当たり前のことなのかもしれないが)、自己否定感を徹底的に消すことを続けると、ある一点で「あれ?私、私のこと許せるかも…?」と思い始める。そこからは徐々に変化する。結果的に自分を肯定できるように、許せるようになっていくのだ。

だから「自己肯定感を上げて〜」とかいう世間の文句に惑わされず、自己否定感を消していくことこそが、自己肯定感を維持する一番早い解決策なのではないかと私は思う。そうすれば、自分のことを否定せず、穏やかに暮らしていける。

いまだに凹んだり悩んだり考えたりするけどね。
それでも生きやすく生きることは、自分にやさしくすることと同義だと思うよ。

自分にやさしく!
それでこそ、人にもやさしくできる。

私は今日も、自分にも人にもやさしく生きていこうと思う。

あなたも、自分にやさしく生きていくんだよ。

そんなわけで、ここまで読んでくれた方。
ありがとうございました。
またお会いしましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?