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悩めるコミカライズマン

『薬屋のひとりごと』のコミカライズにあたって、原作の日向夏さんから「漫画として面白くしてください」というお話を伺っていて、実際監修して頂く時も大きなNGを出されることはなく、かなり自由にさせてもらっています。
当然、キャラクターやストーリーの根幹にかかわる部分は変えませんが、いろいろ変更を加えています。

小説では地の文に書かれている部分をなるべく会話や絵で説明するようにしてモノローグまみれにならないよう気を付けるとか、時系列や場面変換を整理して単純化してみたりとか。
主だったところはそんな部分ですが、大きく変更したところもあります。

■猫猫と壬氏の活躍のバランス

これは明確にどこをどう変えたとは説明しづらいんですが、なんとなく猫猫と壬氏にバディ感が出るように活躍のバランスを考えてます。
猫猫が考えていることを壬氏が察している、というのを強調してみたり。

『薬屋のひとりごと-猫猫の後宮謎解き手帳-』9巻60ページ

原作小説3巻の避暑地でのシーン。
李白に助け出された後、猫猫・壬氏・李白の三人で犯人を罠にかける算段を立てている場面で、猫猫の案を壬氏が補強する形にしてみたり。

『薬屋のひとりごと-猫猫の後宮謎解き手帳-』13巻116ページ

GX版の表紙が猫猫単体ではなく壬氏とセットなのが多いのは、そういう理由でもあったりします。

■羅漢vs猫猫の将棋勝負

原作2巻の山場であった羅漢vs猫猫の将棋勝負周りは、かなり原作から変えています。
まず壬氏が羅漢=猫猫の父と知るのは将棋勝負の後にしました。
これは当時の担当さんから「勝負の後に分かるようにしたほうが壬氏の慌てる様が入れられて面白い」と提案されたものでした。
ハラハラは長引いたほうが正体分かった時に「あー!」ってなるよね!
小説では羅漢の登場巻で将棋勝負の顛末も載っていますが、漫画だとそこそこ巻数渡りますからね。

■羅漢・羅半・羅門の礼

原作4巻のシーンになりますが、羅漢が子昌討つべしと進言しにくる場面。
漫画では羅漢・羅半・羅門が壬氏に対して礼をするシーンを入れましたが、原作では「子昌を討て」と跪く羅漢を見て羅門はちょっと悲しげな表情を浮かべていて、非常に羅門の性格が出てる場面でもあります。

「膿は早めに出し切るべきです」
その言葉に羅門は心を痛めた顔をする。心優しき医官には、たとえ反逆とはいえ戦ごとは快く思えないだろう。

『薬屋のひとりごと』4巻251ページ

羅の一族は優れた能力がある反面どこか欠けている部分がある、というのが大きな特徴で、羅門は医学の知識がずば抜けているけど生活力がないと語られています。
それに加えて、博愛主義が行き過ぎていて、養女である猫猫に対する愛情と同じくらい、見知らぬ子一族の人々に対しても情をかけてしまうというところがあるんじゃないかと思っています。
(羅門が博愛主義なのは、選択の廟に登場する老宦官との会話から感じられる)
だからここで羅漢と一緒になって猫猫を助けて欲しいと行動せず、悲し気な表情を浮かべるに留まったんじゃないかと思ったわけです。

ただ、この羅門の感情を説明するのは絵だけでは難しく、伝え方を間違えば博愛主義どころか娘を助けようとしない冷たい養父という印象にもなり兼ねない。
そのへんをセリフやモノローグで表すのも難しい。なぜなら、このシーンは壬氏目線だから。
羅漢目線であれば叔父の性質を理解しているから可能だったかもしれないけど、それはそれで全部言葉で説明するのも野暮というか。
だったら羅家の人が揃って礼をするという風にした方がカッコいい画面になるんじゃないかなというわけで、画を優先にしてこうなりました。
古装ドラマとかで一人に対してみんなが一斉に礼をする場面とか、めちゃくちゃカッコいい。

『薬屋のひとりごと-猫猫の後宮謎解き手帳-』17巻117ページ

……とはいえ、この変更は今でも「あれでよかったのかなあ…」と考えてしまいます。
やはり羅門はあそこで悲しげなまま立っている方が羅門らしかったのではないか?
娘をさらった連中に対しても憐憫の情を抱いてしまうのが羅門なのでは?
そんな風に悶々とするわけです。


ファンの方には原作という他に代えがたい鋳型があるので、その鋳型から大きく逸脱することなく漫画として面白さがプラスできるようにこれからもがんばります。
自由にさせて頂いて、原作の日向夏さんには感謝感謝なのです。

……と、こんな何のためのまとめかよくわからん記事を育休後の連載再開に向けて作業しているなか書いているのは、見事にネームに行き詰っているからなんだね!
ネームは楽しいけど難しいねー!!アビャー!


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