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閑話休題

今日はちょっと変わった回にしよう。
テーマは『note』です。大学4年生(1回目)の夏に始めて、もうすぐ2年。noteそのものに対する思いやこだわりも十二分に膨らんでいる。

ひとつは『文章を書くこと』に今まで以上に慣れたということ。
大学のレポートや課題でも千度書かされたけど、あれはタスクなので好きで書いていたわけではない。でもnoteを始めて自由に自分の好きな文章を書くようになってから、やっぱり僕は書くのが好きなんだと思えるようになった。今、仕事の研修で何かと書く機会はあるが、全く苦痛ではない。noteで自然と鍛えられた部分はあると思う。

第二に、noteを始めた初期の頃と比較したら、自分の執筆スタイルがかなり確立されてきた。自分で言うのも何だが、ポエミーな文体だと思う。良くも悪くも。恋愛系の記事は時々読み返してみたら恥ずかしくなる時がある。

各回の記事タイトルと見出し画像については、かなり拘っている。どちらもその記事の内容になるべく相応しいものを、毎回時間をかけて考えている。
お察しの方もいるかもしれないが、タイトルは音楽関連であることが多い。曲の名前とか、歌詞の一節とか。それが僕の言いたいことを端的に表しているからね。「時間よ止まれ」「さよなら大好きな人」なんてそのままw

あとは定型文。近頃はやや砕けてきてるけど(w)、文章の最後は決まり文句で締める。実は年ごとに変えていたんだよ。気付いた?

自分のnoteに対してはこんな感じだが、他の人の書いた文章にも大いに興味がある。それぞれの人の"色"があって、フォントは同じなのに全く違う世界が広がっていて、いつも新鮮な気持ちで読んでいる。

中には「あっ、たぶんこの人は自分と近い匂いがする(恐れながら)」と仲間意識みたいな感情を抱くこともある。そういう人を見つけたらついフォローしたくなる。向こうも僕のプロフィールとかをちらっと覗いて、恐らく同類だと思ってくれるだろうと期待して。でもそれはただの独り善がり。一方的に自分が思っていただけ。要は、フォローしたからといって相手もフォローを返してくれるとは限らないということです。

共通項があったり、性格が似ていたり、何かしらの「仲良くなれそうな要素がある」と強く確信したからフォローしたのに、梨の礫。まあ人生ってそんなもんですよ。その人の決断を他人の僕が否定するのは傲慢というもの。あくまでSNSなんで。

ふと自分のフォロワー欄を見る。あ、フォロー返していない人がちらほら。僕も人のこと言えない。


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今日も色んなことがあったな。
仕事のこと、同期のこと、最近の恋愛事情(!)等々、書くネタが溜まりつつある。それらはまた別の機会にということで、今日はこの辺でお暇。

またお会いしましょう。

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