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勤務医が「個人」で生きるということは


僕はフリーランスの心臓専門医だ。

皆さんは「医者」で「フリーランス」と聞いてもいまいちピンと来ないとおもう。

医者の所属や有り様というものは実に奇妙で特殊なため、まずは簡単にそのシステムを説明する。

医師の就職ルートは大きく2タイプ

医師が雇われ勤務医として就職するには2つの方法がある。

①医局に所属する


1つは一昔前までは9割以上の医者が選択していた「医局」を介した就職だ。かなり独特の制度であり、詳細は割愛するが、端的にいうと大学に所属し、そこの人事で色々な病院を転勤しながら働くという方法である。
大学からの医師派遣によって地域の医療圏をバランスよくコントロールするには良い制度であるが、一方で人事権は教授一人にあるため、独裁政治になるリスクがある(というか大体なってる)という問題もある。


②自身で就活する


2つ目の方法は他職種同様、自分で働きたい病院を探し、履歴書を書いて面接を受けて直接雇用契約を結ぶ方法だ。昨今は特に都心ではこの動きが加速している。医局のしがらみを嫌い自分自身で働く場所を決めたい若手が増えているからである。

僕は、後者である。

研修医から専門医になるまで、自身で3度の就活を経験している。
当時はまだ医局に所属する人が多かったため、ややマイノリティであった。

僕はいわゆる”ブランド病院”で研鑽を積んできたため、毎回多くの志望者がいる中でのselectionを勝ち抜いて働く場所を決めてきた。

そのため、心のどこかに大学の医師と比べ、

「個人で生きている」

という自負があった。

しかしながら、ある日それは大きな勘違いであったと気付かされる。

バイト先での悲劇

以前のnoteでも書いたが、医者はバイトをする。

メインの常勤先とは異なる病院で週に半日〜1日程度外来や手術の手伝いをするという仕事だ。

収入upや病院同士の連携強化、患者集めなど病院、医師ともにwin-winなシステムだ。

僕が某総合病院で働いていた時のことである。

僕は総合病院で働く傍ら、近くの小さいクリニックでバイトとして派遣されていた。
そこでは、心臓の医者は週に半日しか来ない僕のみであり、若手の割にはかなりの裁量権をもらって専門診療を行っていた。自身のモチベーションも高かったため、症例確保のため前任の医師の2倍近い患者数を捌き、紹介患者も倍増させた。

ハードワークの甲斐もあり、以前と比較にならないほどクリニックと病院は強固な診療体制を構築でき、双方の収益を増大させることにも成功した。

勤務態度も良かったのか、過去に例のない「バイトの昇給」までしてもらった。

自分にしかできない成果を出せている”

そういう実感があった。

およそ3年ほど経った時のことである。

++++++

僕自身がメインの総合病院を退職することとなった。

少し規模の小さい病院ではあるが、より心臓専門に特化した病院への転職であった。

当然僕としては、メインの勤務先が変わっても、クリニックには継続して勤務するものと思っていた。自分自身の裁量権でどんどん診療を効率化し、クリニックの収益も大きく増やし、自分目当ての患者まで来るようになった勤め先だ。

3年の間には事務方含め、かなりコアな関係性を築いていた。

事務長から「ちょっとお話が…」と言われた際には、
また昇給でもあるのだろうか?と内心浮かれていた。

そして、実際に話し合いの場で事務長から告げられた言葉は

「契約終了」であった。

後任は継続して元の総合病院から医師の派遣をお願いしたとのこと。

僕は動揺した。慌てて理由を聞くと、

”先生にはとても感謝しているよ。今まで一番良い先生だった。でもね、今の総合病院はネームバリューもあるし、いつでも患者を受け入れてくれるけど、先生の新しい勤務先はそうではないよね?何かあった時にそれでは困るんだよ。”

「でも、最近では自分に診てもらいたいと紹介状を持ってくる患者さんも増えています。それはどうなるのでしょうか?」


”それはこっちでなんとか言っておくよ。先生は人気があったかも知れないけど、それは総合病院のおかげでもあるよね?”

今思ってみれば、クリニックの意見は至極真っ当である。
ただの駆け出しの医者に大した価値などあるはずもない。

”有名な総合病院から来ている”
ということに価値があるのだ。

それをあたかも自分自身に力があるように勘違いしていたのだ。

業界問わず、大企業で働く人なら誰でも陥る勘違いだ。

組織の看板を失って初めて気がつく。当時の僕は社会人歴も浅かったし、目の前の仕事に必死であり、いわゆる社会というものの仕組みを全く理解していなかった。

そこに若さゆえの思い上がりもしっかりと重なっており、当時の自分にとっては全く想像もしていない「契約終了」であったため、ひどく落ち込んだ。

自分個人の力と思っていたものは、所属先の後ろ盾あってのモノだったということだ。

雇われであるかぎり個人で生きることはできない

この当たり前のことが理解できていなかった。
「個人」で生きていけるかどうかは「専門性」「人柄」「スキル」などで決まるものと勘違いしていた。

大事なことはその在り方として、

ビジネスそのものを自分自身でやっているか否か”

である。

それは唯一無二の腕を持つ天才外科医でも同じだ。

大学病院に所属し、最先端の機材を使い、難度の高い手術ができる天才外科医も、機材も人も十分にないド田舎限界集落の病院に飛ばされれば、同じパフォーマンスは出せない。

せっかくの類まれなスキルを活かせず、かつての「スーパードクター」として生きる道はない。

どんなにスキルがあろうと雇われた場所で求められた仕事をして、日銭を稼がざるを得ないのだ。

一方で、「天才外科医」であることを活かし、並行して自身でコンサルティング事業を展開したらどうだろう。アドバイザーとして手術をサポートしたり、講演会を開いたり、若手医師の指導や専門の医療器具を開発するという方法だ。

これであれば、同じド田舎限界集落で働く機会があったとしても、その在り方、働き方は大きく異なるはずだ。

「今や自分のスキルを披露する機会がなくなった(かつて天才外科医だった)雇われ勤務医」ではなく「地方の医療技術を発展させる事業まで展開しているスーパードクター」となるだろう。

つまり「個人」として生きるには、実力だけではなく、その「在り方」が大事なのである。

サラリーマンにハイスペもクソもない

雇われには等しく価値がない。

結局は自分で事業を持たねば個人で生きているとは言えないのだ。

雇われには十分な社会保障と安定した給料が約束され、業績が悪化しても借金のリスクもない。辞めたくなったらいつでも辞められ、まともに仕事しなくたってそう簡単にはクビにならない。それが雇われだ。

その恩恵を十分に享受しながらも「個人で生きたい」というのは反吐が出るほど甘い考えだ。

経営者から見れば、僕らは経費である。

ビジネスモデルという機械を回す「充電式乾電池」である。
決まった時間に決まった乾電池としての仕事をこなして、家に帰り、気晴らし(充電)をして、また翌日決まった時間に与えられた仕事をやってくれればそれで良い。

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雇われである以上、医者という参入障壁が高く、専門性が高い仕事であっても「個人」として生きることは難しい。

しかも、それは技術や知識を磨くというベクトルでいくら努力をしても変わらない。

知識と技術の向上を絶やすことなく、目の前の命に向き合いながら、自身の在り方もよく考える必要がある。



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