ポンコツな自分を受け入れる
松井です。
この間から、noteにしてもメルマガ「裏野良日記」にしても「退屈」に感じるようになっている事に気が付きました。
フロー理論”喜びの現象学”から考えると、この状態は、、、
「スキルが上がってチャレンジが低くなりつつアル状態」
と、予測したので、実は今noteやメルマガにおいて新しいチャレンジをしています。
内容は、、、秘密です。
おかげさまで、結構楽しくなってきています。
ちなみに、内容が秘密なのは、自分の場合は言わないほうが捗るし守れるからです。
私、人に目標や望みを宣言してしまうと、言っただけで終わることが多いんです。
というのも、言ったことで満足しちゃうからみたいですねwww
普通に考えるとおかしな話なのですが、しっかりと定着してから発表する分には問題ないみたいなんで、チャレンジも定着したらお話します。
ちなみに、今までのnoteやメルマガのチャレンジは、、
「なんでも言いから、とにかく毎日書く!」
でした。
投稿さえすればOKって感じだったのですが、それでは退屈になってきました。
つまり、投稿するだけならだいぶ慣れてきたってことですので、こうやってチャレンジをさらしても大丈夫です。
てな感じで、、、
「私は相当にポンコツです」
ポンコツな部分がめちゃくちゃあります。
例えば、誤字脱字が多いとか、比較的にやることが(人よりも大幅に)雑であるとかねwww
時間も忘れるし計画性もなく、記録もおざなりにしてしまうので物事が前に進みにくい。
また、いろんな事に首を突っ込みガチなので、中途半端に完了しないものが増えたり、とにかく物忘れがスゴイとかねwww
この間も、駐車場に車を停めて、運転席のドアを開けっ放しでお家に還っちゃいました。
んで、雨が降ってきてね。
運転シートがずぶ濡れでした。
他にも別の日に、お隣さんに「駐車場の車、運転席のドア空いてましたけど大丈夫ですか?」とお声掛けいただきましたしねw
「いや、大丈夫じゃないっす」と答えてドアを閉めに行きましたよ。
他にも依存症がまあ〜酷い。
今だとお菓子をホントによく食べる。
おそらく過食症だと思いますね。
その前は、アルコール依存でタバコ依存だったしね。
人にも依存しがちかも知れない。
そんな風にもう依存的な症状は治らないレベルです。
ま、、そんな私だからこそ。
【ポンコツさを事実として受け入れて応じる】
いろいろとポンコツさを認めて、それを前提として自分が”やりたい”と思える人生に近づけるように調整しています。
依存症だと受け入れてお菓子を控えるように注意しているし・・・(ここはまだ改善の余地があるねw)
お酒とタバコに逃げちゃうよりも、お菓子の方が自分のなかでまだマシだからね。
タバコやめた時も、お酒やめた時も、人に言わない方が辞められたのね。
ちゃーんと3週間ほど定着してから、人に言うようにしたら上手く行った。
だから、お菓子に関しても、実は人知れずずーっと辞める努力をしている。
ずーっといろいろ調整をしている。
ま、、そもそも依存症だからなかなかうまくいかないけどね。
でも、それは諦める理由にならないし、私は何としてでも治していきたいからね。
ってか依存症をなくしたいっていうより、依存症がでないくらいに充実した暮らしを作り上げて行きたいって感じだけどねw
ま、、、そんな感じで、、、
【自分を知り、認めてそれに応じる】
いろんな事がサラッとできる人もいれば、私のように不器用でほとんどの事が上手くいかない人もいる。
わからないことがあったら自分で調べて、自分で考えて、やってみて改善して・・・ってそんな風に自然とできる人はいる。
私は、意識しないとそれは出来ないし基本的にはナマケモノで頭も悪いし、理解力も乏しい。
そんな自分と分かっているからこそ、自分を赦しつつベストを尽くそうと努力している。
そうなってくると指摘されて「あちゃー」ってショック状態にはなるけど、ショックになった上で、落ち着いて少しずつ修正していける。
一番まずいのは・・・
【ポンコツさを否認する(隠そうとする)】
これが最悪だ。
何が最悪って隠そうとするってことは要するに大きく見せようとするってことだ。
そして、それは本来の自分じゃない自分を見せようとすることだから。
要するに、
「隠そうとする=嘘つき」
ってことになる。
なぜ嘘をついてしまうか(大きく見せようとするか)は、自分の評価が下がるのが嫌だから。
評価が下がれば、自分の存在が危ういと感じているからだ。
つまりは、存在価値の欠乏。
これが根本的な問題となる。
失敗しても、恥をかいても、指摘されても大丈夫。
素直になって認めた上で許して、赦して修正すればいいだけなのにね。
だから、安心してポンコツでいれば言い、ただし隠さなければだ・・・
【嘘を付くとつかれる】
「大きく見せる=隠す=嘘をつく」
これは自分の心にとっても負担が大きい。
だって、整合性を保つのがすげー大変だから。
だから、カッコつけは、最強の心の負荷。
自分のポンコツさを先に曝け出すほうが断然楽!!!
んで、私はこの心の負荷の低さをすんげー大事にしているから。
ぜーんぶ、曝け出そうと努力している。
んで、だいぶ曝け出せるようになった。
もちろん、まだまだ曝け出せてない部分は存在していると思う。(自分ではまだ見えないけど)
其の上で、もうひとつだけ行っておきたい。
【言わなくて言いことは言わない】
嘘を付く、隠すのは最低最悪な戦略だけれども、とは言え誰の利益にもならない事や人が傷つくことは言わなくても良い。
もちろん、ちゃーんと目的があって「言うべき時」ってのはあると思う。
でもね、何でも曝け出せばいいってもんではない。
それは別に聞きたくないっていう曝け出しも存在している。
でも、それって曝け出してみて人目に晒されることで少しずつ掴んでいくことだし、初めはひかれるくらいに曝け出した方が良いと思いますね。
って話は曝け出すの方向にいってるけどw
要するに大切なのは、、、
【ポンコツな自分を認めたほうが好かれる】
ということだ。
ただ、認めると開き直るは微妙に違うとは思う。
ポンコツさのせいで人に迷惑がかかったとすればそれはしっかりと謝った方が良いと思います。
ポンコツな私でもいいでしょ!って攻撃的に詰め寄ったら、自分にも相手にも心のプレッシャーになるんじゃないかな?
隠してさえなければそこが治るか治らないかは問題ではない。
素直に、そうであることを認めて、それに応じようとすることが大事。
自分はこうなんだからいいでしょ!ってのはちょーっと相手にも自分にも愛が足りなんじゃないかな?
だから、、自分のポンコツさを認めて、自分という不合理な現象に応じていこうと思う。
【自然農では、コントロールができないことだらけ】
自分という不条理な現象と同じように、自然という物は全く不可解であり応じていくしか無い。
自然は不条理でも、不合理でもないが、ただ人間の知性や知覚では追いつけないくらいカオスで複雑だから期待通りにならない。
そして、何より断然パワーが上なので、自分というちっぽけな存在のほうが自然に合わせていくしかないwww
自然ファーストで自我が後。
そうすると人生が思いのほかに楽になる。
常に間違っているのは自分であり人間で、常に自然(といのちの全体性)」は正しい。
そういう謙虚さと、ポンコツさを受け入れるってのは近い感覚だと思います。
不条理な自我というプログラムを認めて、受け入れて応じる。
自然と言う不可解なプロセスや現象を認めて、応じていく。
自分に対しても自然農的な在りかたで接していきたいなと思いました。
松井万理
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