エリア大会振り返り・感情

くろいの!と申します。
先日エリア大会に出場し、2位という結果に終わりました。それまでの過程を振り返り、感情を吐き出したいと思います。


①始まり

実は1月末までは、大阪でエリア出場出来ればいいやくらいに思ってました。自分は連打が苦手で、今回のルールでは勝ち目がないと思ってたからです。
ですが、知り合いの方(超絶上手い)とたまたま大会の話になった際、「東京で会えるのを楽しみにしてます!」と言われました。
この瞬間、これが社交辞令だとしても、期待してくれてる人がいるなら頑張ろうかな、という気持ちになりました。

「東京で会う=エリア大会優勝」

ですが、大阪エリアはレベルが高すぎるのと、ルール上他の地域で出場することが可能だったので、身内の上手い方が大阪以外のエリアで出場する場合どこで出場するか、というのを調査して、「北陸A」エリアで出場することにしました。


②連打の練習

自分で言うのも何ですが、自分は連打が苦手です。
上手い人の連打が
「振りが綺麗」「振り数が多い」「振りが強い」
だとすると、自分は
「振りが汚い」「振り数が少ない」「振りが弱い」
です。
幸いエリア大会まで3ヶ月の練習期間を確保できたため、2ヶ月くらいはほぼ100%連打の練習に費やしました。それにも関わらず、自分の打数が一向に伸びなかったのでめちゃくちゃ苦しかったです。あと、連打が速くて既に本番を想定した練習が出来ている人が羨ましかったです。


③大会1週間前〜前日

大会の1週間ほど前、連打中に右手首に激痛が走り、バチを振れなくなりました。
それまでも少し痛みがあったものの、経験したことのある痛みと似ており、その際は練習し続けても問題なかったので今回も大丈夫だろうとたかを括っていましたが、流石に痛すぎたので病院に行きました。

結果、「腱鞘炎」と診断され、大会直前まで右手を使えなくなりました

この時は流石にかなり落ち込みました。ただでさえ連打の上達が遅いのに、練習量すら確保させてもらえないのか。そもそも怪我のリスクを考慮して、他の人と比べても頻度を下げ気味にしていたのに、結局こうなってしまうのか。自分の体を恨めしく思いました。大会直前の1週間でやろうと思ってたことも全て出来なくなりました。
ですが、3ヶ月近く練習してきてここで諦めるわけにもいかなかったので、そこから1週間は左手のみで練習をしました。また、本番で極度の緊張状態に陥ることを防ぐために、さまざまなシチュエーションのイメトレをすることで対策していました。
結局、大会前日まで痛みは無くならなかったので、注射で痛みを誤魔化しながらプレイすることになりました。

④大会本番


スコア力が自分より高い方が複数名いると思っていたので、本番で120%を出すために「緊張を利用する」作戦をとりました。
予選は程よく緊張でき、本番で打数自己ベストが出るなど、120%を出すことに成功しました。予選通過もできたし、めちゃくちゃ嬉しかった。

しかし、決勝になると、イメトレをしすぎたせいか緊張が無くなってしまいました。
結局、プレイに集中することは出来たものの、連打がくるたびに意識しなければいけないことが全部飛んだこともあり、全ての連打でいつも通りの打数(つまり、とても遅い)になってしまいました。

緊張を無くすために「負けてもいいという覚悟」はしていたので、プレイ後の動揺は少なかったのですが、ただただ自分の力不足が悔しかったし、連打を教えてくれた人と応援してくれてた人に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

でも、めちゃくちゃ練習しためちゃくちゃ上手い人が勝ってくれたので、結果には納得してましたし、勝った人を素直に祝うことが出来て安心しました。


⑤まとめ

3ヶ月本気で取り組んで、収穫もいっぱいありましたし、練習内容に関してはやれること全てをやったので、あまり後悔はしていません(後悔しないために頑張ったというのもある)。
今回唯一の後悔があるとすれば、「練習開始が遅かった」です。
一応、過去に何度か連打を練習したことはありましたが、せいぜいチーム戦で足を引っ張らないようにする程度で、個人戦で優勝が狙える水準を目指して取り組んだことはありませんでしたし、一時的に少し連打が早くなるくらいに留まっていました。
今回、連打の上手さはいろんな要素の積み重ねの上に成り立つと痛感したので、これから自分も少しずつ積み重ねていこうと思います。

おわり

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