竹内郁代

白血病患者だった息子の母親から見たあれこれを書いていきたいと思います。 アイコンは息…

竹内郁代

白血病患者だった息子の母親から見たあれこれを書いていきたいと思います。 アイコンは息子の著書『いつか、未来で』 https://amzn.asia/d/cBUO7vC のカバーイラスト(北村みなみさん)より。

最近の記事

白血病児、大学へ行く

大学が決まったのは3月に入ってすぐのことでした。 それから1人で岡山へ行って、不動産屋巡りをして、同じ物件が出ていたらそれぞれを訪ねて行って交渉をする。そういったことを何度か繰り返して、やっと自分の城を見つけて来ました。 やっぱり時期的に遅かったから日当たりは決して良いところではなかったです。日当たりとか交通の便とかが良いところは早い段階(1月から2月の頭にかけて)からどんどん埋まっていって残っているところが少なかったのでしょうがなかったのかもしれません。 初めての城 そ

    • 白血病児〜浪人時代〜

      高校卒業後、大学に行くために1年浪人してっていうことは決まりましたが、どこの大学っていうのは全く決まっていませんでした。 勉強と通院の日々 それに息子は寛解を保っているとはいえ、白血病サバイバー(白血病を経験した人)です。通院も月に何度か行っていました。小児科と皮膚科と歯科と眼科と、いろいろ回らなくてはいけないので、1日ではとても回り切れなくて受診日を分けたり。検査(CTやMRI)が入ると更に受診日が増えたり時間が長くなったり。下手したら朝行って、帰るのは夕方、みたいな日

      • 白血病児、高校卒業後の進路

        白血病児の勉強事情 息子は小学校の時、ほんの一瞬ですが進学塾に通ったことがあります。 やはりなんだかんだと言っても将来的には普通の社会に戻るわけで、それがどの段階からか分からないから、親としてはやはり焦りがあったのだと思います。 一応、息子にも承諾をもらって、本当に一瞬ですが塾に通いました。でもやはり進学塾だけあってタイトなスケジュールだったので続きませんでした。学校の時と同じように、いや、それよりももっとハードにみんなで一斉にテキストをどんどん進めて行きます。それにテスト

        • 入院生活〜うちの場合〜

          ずっと子どもの入院中、笑わせてあげてくださいって言ってますけど、実際、うちの場合、どうやって過ごしていたのかを書きたいと思います。 「しっかりせんと」は呪いの言葉  入院したばかりの頃は、白血病のことが分からなすぎてただただ呆然としながら病院に通っていたと思います。知り合いの人に「白血病になって」って話すと、だいたいの方は「大変やね。お母さんがしっかりせんと」って言って泣いてくれたりしました。病気のことが分からない上に「しっかりせんと」って言う言葉は本当にしんどかったです

        白血病児、大学へ行く

          大学の講義への参加

          この前、また嬉しいことがありました。静岡の大学で小児看護を学んでいる学生さんの講義に参加させて頂きました。 親の立場から望むこと もともと息子が白血病YouTuberとして発信していた動画をたまたま見つけた先生から息子にお話が来て、息子も一度講義に参加して患者側から看護学生さんに望むことなどを話していました。 息子が亡くなってからあとで先生とお話ししていると「ぜひ、親御さんの立場からお話しして頂ければ」と言われて、去年は実際講義しているところへ参加させて頂きました。 息子

          大学の講義への参加

          白血病児の普通高校への進学

          息子は高校は特別支援学校の高等部に進むのではなく、普通高校に進学しました。 籠の中の鳥 本人もそうでしたけど、私たちも「いつまでも籠の中の鳥では居られないから、どこかで普通の社会に戻らないといけない。それならばいきなり社会に放り出されるより、少しでも早い段階で慣れていった方がいいのではないか」という思いがあったので、そうすることにしました。小学校時代にあんなにしんどい思いをしたにも関わらず。 でも小学校時代と大きく違っていたのは、同級生との関わり方でした。 小学校の時は

          白血病児の普通高校への進学

          特別支援学校のこと

          今回は特別支援学校について書こうと思います。 息子が白血病になって初めてお世話になったのが病院の院内学級でした。そこの先生たちには本当にお世話になりました。病気の治療中だったから精神的にもしんどい時に、時間がある時は勉強が出来なくても病室に顔を出してくれたり、長期入院で遊びらしい遊びもなく退屈しているだろうからと、いろんなボードゲームも仕入れて頂いて一緒に遊んでもらったり。すごく支えてもらいました。 初めての登校 退院後に訪問学級を経て学校に通うことになりました。病気のこ

          特別支援学校のこと

          「若年がん患者在宅療養支援制度」

          最近、嬉しいことがありました。 高知でこの4月から「若年がん患者在宅療養支援事業」という制度が新たに開始されたのです。40歳以上の介護保険を払っている人たちが受けられる支援を若年層の人たちも受けられる支援制度です。 「制度の狭間」 息子が入院中、転院か家に帰るか迫られたことが度々ありました。その時にソーシャルワーカーさんに「家に連れて帰るんだったら介護の方たちが受けるサービスを受けることは出来ませんか?」と聞いたことがあります。「無理ですね。若いから」 …即答でした。

          「若年がん患者在宅療養支援制度」

          白血病児の普通小学校への思い

          普通にならんと… 息子が22歳の時に言いました。「お母さん、僕ね、ずっと普通にならんといかんって頑張って来たけど無理やったがよ。だってそもそものスタートが違うかったき」って。 最初は「どういう意味?」って思ったのですが、息子は幼稚園の年中さんの時に発症して、そこから入院して、抗がん剤、骨髄移植をしてから退院まで5年という日数がかかりました。治療の合間に勉強をして、教科書的には同じ学年の子どもさんたちと同じぐらいのところまで進んでいたとは思います。 でも、その間に普通に元気

          白血病児の普通小学校への思い

          白血病児への普通小学校の洗礼〜6年生編 その2〜

          6年生の3学期、息子は学校の6時間が終わってから夜9時ごろまで塾で勉強とかは体力的にももちろん無理だったので、校区の公立の中学校に行くことが決まっていました。 言葉の暴力 私立の中学校の入試前でイライラしている子どもさんも増えて来ていたと思います。言葉遣いも乱暴になって来るし。 息子は小学校3年生まで入院していたので、周りは先生含めみんな大人ばかりです。もちろん小児科なので子どももいますけど、人数的には断然大人の方が多かったです。そんな人たちは病気の子供に対してそこまで

          白血病児への普通小学校の洗礼〜6年生編 その2〜

          白血病児への普通小学校の洗礼〜6年生編 その1〜

          6年生に上がる前にも新しい担任の先生とお会いして、やはり前年同様「病気のことに詳しくなくて」と言われたので主治医に会いに行ってもらいました。そこでも注意事項を説明して頂いたのですが、やはり前年同様メモを一生懸命取られていました。 5年生の時と違っていたのは、去年散々な目にあったので体育は最初から見学ということと、肌の状態が良くないので体育の時は保健室で休ませてもらうというところでした。 腕に発疹… でも新学期が始まってわりとすぐぐらいから腕に発疹が出て来ました。聞くと、体

          白血病児への普通小学校の洗礼〜6年生編 その1〜

          白血病児への普通小学校の洗礼〜5年生編〜

          5年生になる前に新しい担任の先生とお会いすると「病気のことに詳しくなくて」と言われたので病院に一緒に行って、主治医の先生から学校での注意事項(体育は団体競技は絶対だめとか骨が弱いので強くぶつかると骨が折れるかもとか)を説明してもらいました。担任の先生は一生懸命ノートにメモを取っていました。 そうして学校が始まってしばらくは楽しそうに学校に通っていました。新しいお友達もでき、学校から帰ったら公園に遊びに行ったりして。 バレーボール… でも少し経つと「学校に行きたくない」っ

          白血病児への普通小学校の洗礼〜5年生編〜

          白血病YouTuber「にゅーいん」のこと

          息子がYouTuberとして活動を始めたのは、20歳の時、大学へ通っていた時に白血病が再発してからのことです。 自分のことを誰も知らない県外の大学へ行って一人暮らしをするっていう夢が叶って楽しく暮らしていた矢先(6ヶ月は経っていましたけど)のことでした。バイトもして友だちとも楽しく過ごしていた時だったので、その時の落ち込みは半端なかったと思います。 再発が分かった時に電話して来て「お母さん、ごめん。再発したかもしれん」って言われて。 次の日、夫と2人で岡山へ行き、息子と一

          白血病YouTuber「にゅーいん」のこと

          白血病児への普通小学校の洗礼〜4年生編〜

          小学校4年生の3学期から体験授業という名目で地元の小学校に何度か行きました。 その頃は一応寛解はしていたので、特別支援学級ではなく普通のクラスに入ることになっていました。 私もその時はついて行っていたのですが、息子は最初、生徒の多さにびっくりしていました。クラスは35人学級だったので、教室も後ろの方まで机が並んでいます。 今までの養護学校では同級生は自分ともう1人だけ。教室にも2人の机だけ並んでありました。もしかしたら1年生から6年生、全部合わせてもそんなにいなかったかも

          白血病児への普通小学校の洗礼〜4年生編〜

          白血病患者の学校事情

          息子は幼稚園の年中さんから入院して、化学療法で治療していましたが、残念ながら再発してしまい骨髄移植をすることになりました。年中さんの9月から入院して、退院したのが小学3年生の時だったので、足掛け5年になります。 初めての学校は院内学級 小学校入学の時はちょうど退院している時で、でもすぐに治療のこともあるから入学式だけ地元の小学校に参加して、次の日から病院の院内学級に転校することになりました。 それから小学校3年生までは院内学級で、病室に先生が来てくれて治療の合間に勉強を

          白血病患者の学校事情

          全部自分で受け容れる〜白血病の息子の生き方〜

          受け容れるだけの人生 退院してから地元の小学校に戻った時、小学5年生の時だったと思います。 同級生は私立の中学校受験のため8割強の人が塾に通うようになります。 4年生の頃はまだそんなに本格的ではなくて週に2日とか3日だったのが、5年生になるとだんだん本格的になってきて、週4〜5日になって来ます。時間も少しずつ増えて来て、宿題も増えて来るからみんなピリピリし始めて。学校にストレス発散しに来る子も出てくるわけです。そんな一番の解消法はいじめですよね。 息子の場合、転校した当

          全部自分で受け容れる〜白血病の息子の生き方〜