はじめに
早稲田から日韓の未来をつくる連載企画「ワセミレ」。第2回は前回につづき、日韓両国の高校で使用されていた「韓国史(한국사)」と「日本史」の教科書を、主に近代史の内容を中心に比較していきます。韓流ブーム真っ只中の今、日本・韓国における自国および周辺国に対する歴史認識の違いについて、少しだけ覗いてみましょう。
①派閥について
比較検討:
日本の教科書と韓国の教科書とで「親日改革派」「急進開化派」と用いられている単語が異なる点が目立ちますね。また、派閥についての説明も、日本の教科書だと日本と結んで近代化をはかる、韓国の教科書だと日本を見習って近代化をはかる、というように表現が多少異なります。そして、清の干渉から脱すべきであるとの主張がされた点は韓国の教科書にのみ含まれています。
②甲申事変
比較検討:
日本の教科書では「甲申事変」、韓国の教科書では「甲申政変」と、事件の呼称が異なりますね。また、韓国の教科書では「急進開化派」が日本との関係そのものよりは、清との事大関係の清算および近代化の推進に重きを置いていたと捉えられる書き方がされている点も大きな特徴の一つです。
そして、日本と韓国、両国の教科書ともに、失敗に終わった原因として清の動きが挙げられている点には変わりありませんが、日本軍が約束を破って撤収したと書かれているのは韓国の教科書のみです。
③防穀令
比較検討:
韓国の教科書では、朝鮮の地方官が防穀令を下した背景が具体的に述べられています。日朝通商章程に言及している点も特徴的ですね。
二度の外交扮装については、日本の教科書では言及されておらず、韓国の教科書にのみ登場します。
また、損害賠償の要求に関しては、「むしろ」という単語を用いることで、日本側が不当な要求をしたとする旨を強調している印象を受けます。損害賠償要求の結果については、韓国の教科書では省略されている一方、日本の教科書には実現したと明記されています。
そして、韓国の教科書では最後に、防穀令を下す回数が減ったことで、つまり日本側の対応の影響で、朝鮮農民の状況が悪化したと捉えられる文章を入れることで、当時の防穀令の重要性について強調している印象を受けました。
④清国の日本の朝鮮への出兵
比較検討:
日本の教科書と韓国の教科書とで「甲午農民戦争」「東学農民運動」と、用いられている表現が異なる点が特徴的です。
また、韓国の教科書には日本が朝鮮に出兵したという記述の際に「朝鮮内の日本人保護を口実に」という文章が書かれており、口実と実際の目的が異なっていたという点が強調されている印象を受けます。日本の教科書では、天津条約に従って清が日本に朝鮮政府の要請について知らせたため出兵したという流れで書かれています。
⑤日清戦争の開戦
比較検討:
日清戦争(韓国の教科書では「清日戦争」)の始まりについての記述は、日本と韓国の教科書とで少々異なります。
日清戦争自体を開始したのは日本であるという記述は共通していますが、日本の教科書では、日清両国が朝鮮の内政改革をめぐって対立を深めたと、その背景が簡単に述べられています。一方,韓国の教科書では、韓国側が日清両国の撤兵を要求したにも関わらず、特に日本がこれを拒否し、清に共同で朝鮮の内政を改革しようと提案したところ、清との交渉に失敗したと流れが詳細に記述されています。さらに、戦争がどのようにして始まったのかについても具体的に述べられています。
一方、日本の教科書には、韓国の教科書にはない、イギリスの日本に対する態度が変わり、国際情勢が日本に有利になったという記述がされていました。
⑥下関条約
比較検討:
日清戦争が日本側の勝利で終わった点は、日韓両国の教科書において共通しています。しかし、日本の教科書では韓国の教科書と違って、日本軍や日本軍が使用した兵器の優位性が強調されているのが目立ちます。また、韓国の教科書には、日本の教科書には書かれていない日本が帝国主義国家となったという文章が含まれているのも特徴的ですね。
⑦親日政権の成立
比較検討:
日本の教科書では、日本軍による福景宮占拠の内容が注釈部分で登場します。日清戦争の部分(p.290-291)には記述がありませんでした。また、韓国の教科書では日本軍が朝鮮にて新政権を樹立し改革を推し進めたという内容が具体的に述べられています。一方、日本の教科書では、朝鮮にて親露派によって倒されたという文のなかで、その政権の樹立過程が比較的簡単に言及されています。
⑧親露政権の成立
比較検討:
親露政権が成立するにいたるまでの背景の説明が、両国の教科書間で多少異なります。日本の教科書では清国の敗北が挙げられている一方、韓国の教科書では、三国干渉に日本が屈服するという、力関係で当時日本がロシアを含む西洋諸国より下にいたと強調していると捉えられる表現が用いられています。
⑨閔妃殺害事件
比較検討:
日本の教科書では三浦梧楼が興宣大院君を再び擁立しようとしたと、彼が単独で殺害を試みたと捉えられる文章となっています。一方、韓国の教科書では日本が危機意識を感じたと書かれており、日本という国全体が関与したと捉えられる文章となっています。
さいごに
お読みいただきありがとうございました!今回は壬午軍乱後に生じた派閥についての内容から閔妃殺害事件までの出来事について、日韓両国の教科書がどのように記述しているかを見てきました。
次回は日韓議定書についての出来事から見ていきます。お楽しみに。改めて最後までお読みいただきありがとうございました!
備考
【※】は教科書本文ではなく注釈部分に内容が書かれていることを指します。
*は、補足説明のために追加した注釈です。教科書の原文には記載がありません。
半角のカッコ()は原文に記載のもの、全角のカッコ()は原文にはなく、こちらで追加したものを指します。
各サブタイトル等の引用文以外の文章では、便宜上日本の教科書に登場する名称を基準として用いています。
引用・参考文献
笹山晴生ほか10名,2014,『詳説日本史B』山川出版社(2012年検定済).
도면회 외 8인[ド・ミョンフェほか8名],2020,『고등학교 한국사』[高等学校 韓国史],ソウル特別市: 비상교육[ビサン教育](2015年の教育課程).(本記事には拙訳し引用)