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日韓の教科書って何が違うの?~近代史記述から捉える歴史認識~Ⅱ

はじめに

早稲田から日韓の未来をつくる連載企画「ワセミレ」。第2回は前回につづき、日韓両国の高校で使用されていた「韓国史(한국사)」と「日本史」の教科書を、主に近代史の内容を中心に比較していきます。韓流ブーム真っ只中の今、日本・韓国における自国および周辺国に対する歴史認識の違いについて、少しだけ覗いてみましょう。

①派閥について

日本:日本と結んで朝鮮の近代化をはかろうとした金玉均らの親日改革派(独立党)

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 3.立憲国家の成立と日清戦争 朝鮮問題(p.288)

韓国:急進開化派は文明開化論を掲げた日本の明治維新を見習い、西洋の技術だけでなく思想・制度までも受け入れようとの立場をとった。彼らは清の内政干渉からも脱すべきであると主張した。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 2.東アジアの変化と近代的改革の推進 ④甲申事変が起きて列強の対立が強まる 開化派の分化(p.104)

比較検討
 日本の教科書と韓国の教科書とで「親日改革派」「急進開化派」と用いられている単語が異なる点が目立ちますね。また、派閥についての説明も、日本の教科書だと日本と結んで近代化をはかる、韓国の教科書だと日本を見習って近代化をはかる、というように表現が多少異なります。そして、清の干渉から脱すべきであるとの主張がされた点は韓国の教科書にのみ含まれています。

②甲申事変

日本:日本公使館の援助を得てクーデタをおこしたが,清国軍の支援で失敗した(甲申事変)。

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 3.立憲国家の成立と日清戦争 朝鮮問題(p.289)

韓国:閔氏政権を追い出す計画を立て、日本の軍事的支援を受けることにした。(中略)(甲申政変)。(急進開化派によって構成された)新政府が発表した改革政綱には、清に対する事大関係を清算し、内閣制度を樹立し、門閥を廃止し、人民平等権を保障する内容が含まれていた。(中略)しかし、開化党政府の改革は、清が政変を鎮圧し、日本軍が約束を破って撤収したことにより、三日天下で終わった。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 2.東アジアの変化と近代的改革の推進 ④甲申政変が起きて列強の対立が強まる 甲申政変の展開(p.105)

比較検討
 日本の教科書では「甲申事変」、韓国の教科書では「甲申政変」と、事件の呼称が異なりますね。また、韓国の教科書では「急進開化派」が日本との関係そのものよりは、清との事大関係の清算および近代化の推進に重きを置いていたと捉えられる書き方がされている点も大きな特徴の一つです。
 そして、日本と韓国、両国の教科書ともに、失敗に終わった原因として清の動きが挙げられている点には変わりありませんが、日本軍が約束を破って撤収したと書かれているのは韓国の教科書のみです。

③防穀令

日本:(日本政府は)清国の軍事力を背景に日本の経済進出に抵抗する朝鮮政府との対立を強めた※。
【※】1889(明治22)年から翌年にかけて,朝鮮の地方官は大豆などの穀物の輸出を禁じた(防穀令)。これに対し,日本政府は同令を廃止させたうえで,禁輸中の損害賠償を要求し,1893(明治26)年に最後通牒を突きつけてその要求を実現した。

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 3.立憲国家の成立と日清戦争 日清戦争と三国干渉(p.290)

韓国:開港以後、朝鮮に入ってきた日本の商人たちが穀物を買い入れたことで、朝鮮の穀物価格が大幅に上がり、また凶作で国内で穀物が不足した。食糧事情が悪化すると、地方官たちは1883年に改定された朝日通商章程の規定に基づき、防穀令を下し穀物の輸出を禁止しようとした。 しかし、防穀令は日本側の抗議で度々解除された。 このうち1889年と1890年に咸鏡道(ハムギョンド)と黄海道(ファンヘド)で実施された防穀令は、朝鮮と日本の外交紛争にまで拡大した。(中略)むしろ日本は、防穀令で自国の商人たちが損害を被ったと主張し、韓国に損害賠償を要求した。 以後、防穀令を下す回数は大きく減ったが、穀物価格が大きく上がり穀物の購買層である都市貧民や農村の賃労働者の生活はより一層厳しくなった。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 5.開港以降の経済的変化 ②商工業の振興と経済的救国運動に尽力する 防穀令の実施(p.143)

比較検討
 韓国の教科書では、朝鮮の地方官が防穀令を下した背景が具体的に述べられています。日朝通商章程に言及している点も特徴的ですね。
 二度の外交扮装については、日本の教科書では言及されておらず、韓国の教科書にのみ登場します。
 また、損害賠償の要求に関しては、「むしろ」という単語を用いることで、日本側が不当な要求をしたとする旨を強調している印象を受けます。損害賠償要求の結果については、韓国の教科書では省略されている一方、日本の教科書には実現したと明記されています。
 そして、韓国の教科書では最後に、防穀令を下す回数が減ったことで、つまり日本側の対応の影響で、朝鮮農民の状況が悪化したと捉えられる文章を入れることで、当時の防穀令の重要性について強調している印象を受けました。

④清国の日本の朝鮮への出兵

日本:清国は朝鮮政府の要請を受けて出兵するとともに,天津条約に従ってこれを日本に通知し,日本もこれに対抗して出兵した。

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 3.立憲国家の成立と日清戦争 日清戦争と三国干渉(p.290)

韓国:(朝鮮)政府は,清に軍事支援を要請した。清軍が牙山湾に上陸すると、日本も朝鮮内の日本人保護を口実に大規模の兵力を仁川に上陸させた。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 3.近代国民国家樹立のための努力 ①東学農民運動が起きる 第1次蜂起(p.110)

比較検討
 日本の教科書と韓国の教科書とで「甲午農民戦争」「東学農民運動」と、用いられている表現が異なる点が特徴的です。
 また、韓国の教科書には日本が朝鮮に出兵したという記述の際に「朝鮮内の日本人保護を口実に」という文章が書かれており、口実と実際の目的が異なっていたという点が強調されている印象を受けます。日本の教科書では、天津条約に従って清が日本に朝鮮政府の要請について知らせたため出兵したという流れで書かれています。

⑤日清戦争の開戦

日本:農民軍はこれをみて急ぎ朝鮮政府と和解したが,日清両国は朝鮮の内政改革をめぐって対立を深め,交戦状態に入った。当初は日本の出兵に批判的だったイギリスも,日英通商航海条約に調印すると態度をかえたので,国際情勢は日本に有利になった。同年8月,日本は清国に宣戦を布告し,日清戦争が始まった。

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 3.立憲国家の成立と日清戦争 日清戦争と三国干渉(p.290)

韓国:このような状況が起こると、農民軍は廃政改革案を提示し、政府軍と全州和約を結び、全州城から退いた。(中略)(朝鮮政府は)清日両国の撤兵を要求した。しかし、日本はこれを拒否し、清に共同で朝鮮の内政を改革しようと提案した。 清との交渉に失敗すると、日本は景福宮を占領し、牙山湾に上陸していた清軍を攻撃した(清日戦争、1894~1895)。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 3.近代国民国家樹立のための努力 ①東学農民運動が起きる 第1次蜂起/清日戦争と三国干渉(p.110)

比較検討
 日清戦争(韓国の教科書では「清日戦争」)の始まりについての記述は、日本と韓国の教科書とで少々異なります。
 日清戦争自体を開始したのは日本であるという記述は共通していますが、日本の教科書では、日清両国が朝鮮の内政改革をめぐって対立を深めたと、その背景が簡単に述べられています。一方,韓国の教科書では、韓国側が日清両国の撤兵を要求したにも関わらず、特に日本がこれを拒否し、清に共同で朝鮮の内政を改革しようと提案したところ、清との交渉に失敗したと流れが詳細に記述されています。さらに、戦争がどのようにして始まったのかについても具体的に述べられています。
 一方、日本の教科書には、韓国の教科書にはない、イギリスの日本に対する態度が変わり、国際情勢が日本に有利になったという記述がされていました。

⑥下関条約

日本:戦局は,軍隊の訓練・規律・兵器の統一性などにまさる日本側の圧倒的優勢のうちに進んだ。(中略)戦いは日本の勝利に終わり,1895(明治28)年4月,日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章とのあいだで下関条約が結ばれて講和が成立した。

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 3.立憲国家の成立と日清戦争 日清戦争と三国干渉(p.290-291)

韓国:戦争に敗れた清は日本と下関条約を締結した(1895)。(中略) 以後、日本は帝国主義国家として肩を並べるようになった反面、清は朝鮮に対する影響力を喪失した。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 3.近代国民国家樹立のための努力 ①東学農民運動が起きる 清日戦争と三国干渉(p.110)

比較検討
 日清戦争が日本側の勝利で終わった点は、日韓両国の教科書において共通しています。しかし、日本の教科書では韓国の教科書と違って、日本軍や日本軍が使用した兵器の優位性が強調されているのが目立ちます。また、韓国の教科書には、日本の教科書には書かれていない日本が帝国主義国家となったという文章が含まれているのも特徴的ですね。

⑦親日政権の成立

日本:【※】日清戦争開戦の直接のきっかけとなった日本軍による王宮占拠で成立した大院君の親日政権は,三国干渉後,まもなく閔妃らの親露派に倒された。

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 4.日露戦争と国際関係 中国分割と日英同盟(p.294)

韓国:日本軍は景福宮を占領し、興宣大院君を前面に押し出し、金弘集(キム・ホンジプ)を首班とする新しい政権を樹立した。新政権は軍国機務処を設置し、甲申政変の改革案と東学農民軍の要求を一部受け入れた改革法案を制定・公布した(第1次改革、1894)。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 3.近代国民国家樹立のための努力 ②甲午改革を推進する 軍国機務処の設置と第1次改革(p.114)

比較検討
 日本の教科書では、日本軍による福景宮占拠の内容が注釈部分で登場します。日清戦争の部分(p.290-291)には記述がありませんでした。また、韓国の教科書では日本軍が朝鮮にて新政権を樹立し改革を推し進めたという内容が具体的に述べられています。一方、日本の教科書では、朝鮮にて親露派によって倒されたという文のなかで、その政権の樹立過程が比較的簡単に言及されています。

⑧親露政権の成立

日本:宗主国であった清国の敗北は,朝鮮の外交政策にも影響を与え,ロシアの支援で日本に対抗する動きが強まり,親露政権が成立した※。

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 4.日露戦争と国際関係 中国分割と日英同盟(p.294)

韓国:ロシアが主導した三国干渉に日本が屈服するのを見た高宗と明成皇后は、ロシア勢力を引き入れて日本の圧力から抜け出そうとした。 この過程で朴泳孝(パク・ヨンヒョ)が明成皇后廃位陰謀の疑いで日本に亡命すると、高宗は朴定陽(パク・ジョンヤン)、李完用(イ・ワンヨン)など親露親米的な人物で内閣を構成した。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 3.近代国民国家樹立のための努力 ②甲午改革を推進する 明成皇后被殺(p.115)

比較検討
 親露政権が成立するにいたるまでの背景の説明が、両国の教科書間で多少異なります。日本の教科書では清国の敗北が挙げられている一方、韓国の教科書では、三国干渉に日本が屈服するという、力関係で当時日本がロシアを含む西洋諸国より下にいたと強調していると捉えられる表現が用いられています。

⑨閔妃殺害事件

日本:【※】日本の公使三浦梧楼は大院君をふたたび擁立しようと公使館守備兵に王宮を占拠させ,閔妃殺害事件をおこした。

第Ⅳ部近代・現代 第9章近代国家の成立 4.日露戦争と国際関係 中国分割と日英同盟(p.294)

韓国:このような状況に危機意識を感じた日本は、軍人出身の三浦梧楼を朝鮮に公使として派遣した。 三浦公使は日本軍守備隊と日本人の浪人、解散された訓練隊の武官などを景福宮に侵入させ、明成皇后を殺害した(乙未事変、1895)。

Ⅱ近代国民国家樹立運動 3.近代国民国家樹立のための努力 ②甲午改革を推進する 明成皇后被殺(p.115)

比較検討
 日本の教科書では三浦梧楼が興宣大院君を再び擁立しようとしたと、彼が単独で殺害を試みたと捉えられる文章となっています。一方、韓国の教科書では日本が危機意識を感じたと書かれており、日本という国全体が関与したと捉えられる文章となっています。

さいごに

 お読みいただきありがとうございました!今回は壬午軍乱後に生じた派閥についての内容から閔妃殺害事件までの出来事について、日韓両国の教科書がどのように記述しているかを見てきました。
 次回は日韓議定書についての出来事から見ていきます。お楽しみに。改めて最後までお読みいただきありがとうございました!

備考

  • 【※】は教科書本文ではなく注釈部分に内容が書かれていることを指します。

  • *は、補足説明のために追加した注釈です。教科書の原文には記載がありません。

  • 半角のカッコ()は原文に記載のもの、全角のカッコ()は原文にはなく、こちらで追加したものを指します。

  • 各サブタイトル等の引用文以外の文章では、便宜上日本の教科書に登場する名称を基準として用いています。

引用・参考文献

笹山晴生ほか10名,2014,『詳説日本史B』山川出版社(2012年検定済).
도면회 외 8인[ド・ミョンフェほか8名],2020,『고등학교 한국사』[高等学校 韓国史],ソウル特別市: 비상교육[ビサン教育](2015年の教育課程).(本記事には拙訳し引用)

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