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近づく、母の日

私はよい母親ではない。

それでも母の日に、夫からカーネーションの形をした
紙石鹸をもらったことがある。
夫からプレゼントなんて!どんな物でもうれしい!
「いつも母親業おつかれさま」っていう意味なんだと思う。
にこやかにお礼をいいつつ、ちょっと複雑な思いと
笑いも返しておいた。・・・私は、夫の母親じゃないから。

夫は、母(私にとっては義母だが)をとても大切にしていて、
毎年母の日には何かしらプレゼントしていた。
義母は、持病を持っていたので、
「いつプレゼントを贈ることができなくなるか
わからないから」と、夫は話してくれたことがある。
後悔しないように、実家にもよく顔を出していた。
親思いの夫である。

さて、私はというと、実家まで車で1時間以上かかることも
あって、近頃は「母の日カード」を送るくらいだった。
でも、母は毎年送っていたカードたちを何年も、何年分も
全部、玄関に飾ってある。今でも。

私が学生の頃は、カーネーションの鉢植えやアクセサリーなど、
いろいろ毎年贈った。
バイトをしていてお金も手元にあったので、よく一緒に出かけた。
「あ、こういうのが似合いそう」
「おかあさんって、こういうデザイン好きなんだな」
と、よく観察したものだった。

しかし、働き始めて自分の時間が優先になると、母と出かける
ことも少なくなるので、観察もしない。
そうなると、好きな食べ物やハンカチ、と、ありきたり。

それでも、いつも喜んでくれていた。
何を贈っても、「またそれ?」なんてことは、絶対に言わない。

今、私は母となって、よい母親ではないのに子どもから
「母の日のプレゼント」をもらうようになった。

ドライフラワーの置物や、ハーバリウムが埋め込まれた
ボールペンを贈ってくれた。
今年は置時計。

でも一番の思い出は、初めてもらった「母の日」の
プレゼントだ。

「枯れたカーネーション」だった。

おそらく、世の中が「母の日」が近くなって騒ぎ出し、
母の日といえばカーネーションというのを見たか聞いたか。

ずいぶん前に買っておいたのだろうか。
花は水に差さないと枯れる、ということも知らなかった
のだろうか。

ずっと部屋に、「母の日」になるまで隠していたのだろう。

その気持ちが伝わったから、この枯れたカーネーションは
とてもとてもうれしかった。

長い間、一輪挿しに差し、キッチンに飾った。

「母の日」という日を通じて、母という存在を
少し思い入れてくれたことがうれしいのだ。

どんなものでもいい。
「なにあげよう?」とか、「なににする?」とか
母に対して、何かを考えてくれたことがうれしいのだ。

こうして贈ってくれる子どももいれば、何もしない
子どももいる。
だからといって、差別することは決してない。

彼らには彼らの考えがあって、「何か贈ろう」とか、
「別に贈らなくていいよね」と、考えているのだから。
「母の日」は義務ではないのだから。 
自分はどうするのか、と自分で考えることができるように
なったことも、母はうれしいのだから。

私が今、年老いた母に対して思うのは、
今年も「母の日」のプレゼントを贈ることができる。
母が元気なことがうれしい。
「おかあさん、ありがとう」っていう言葉の意味を、
改めて感じた。

父が亡くなってから、母に会う機会が増えたので、
もうカードは送っていない。
だから今年は、母の好きなマロングラッセを
持って行って、一緒にお茶しようと思う。



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