素直施術者の目線で伝える「パートナー」

パートナーと長く付き合うって難しくないですか?
僕は難しいです。
特に家族の難しさがあります。
妻とは家族の他人です。子供といえども他人です。
考えてることなんてわかりません。本当の意味では分かりません。
だから命令したりコントロールしようとします。
その結果、相手の心の中にどんな反応が生まれるのか分かりません。
かといって、無視するわけにもいきません。仮に無視されたとしても。

〜 今回の要点〜
〜私の過去〜
〜お客さんを 愛することができない〜
〜愛とは〜
〜尊敬と感謝〜


〜今回の要点〜
「何かを愛するにはまず自分を愛すること」

〜過去〜
 僕は昭和世代です。バブル期をしっかりと肌で感じました。
僕の実家は大分県の漁村にあります。 18歳まで過ごしました。
父親は漁業ではなく鉄工所に勤めていました。次男坊でしたが、実の母を引き受けて実家で 介護しました。
 もっとも、全て母ちゃんに押し付けたわけですが。

 親父はあまりコミュニケーションが得意でな買ったように思います。
近くのみかん畑を買って手を入れたり、自宅の 小さな庭を盆栽で埋め尽くしたり、 週一回詩吟の会に参加したり、ナイターを見るのが好きでした。
 僕の記憶の親父も母ちゃんも常にイライラしていました。
それが10代の僕の日常でした。
父も母も嫌いでした。 学校の勉強も嫌いでした。
当時のブームから僕もスーパーカーに傾倒していきました。

〜愛とは何か?〜

 僕にとって愛とは何か?は、ずいぶん長い間 課題だったように思います。
と言うのも、勝手にそこにあるもの。映画やドラマのようなものだと思ってました。
 勝手に燃え上がるもの、自分もそうだし、きっと相手もそうだと思ってました。だから恋との違いがわかりません。
家族のつながりとは縛りに過ぎない感覚です。責任です。

 結婚する以前は自由に恋愛を体験するのですが、1つルールがあって
SEXは結婚を意識した相手とする、でした。
 勝手にそんなルールを作っていました。
今思うと身勝手で、意味がなかったかな、とも思います。
 その理由は、相手の意思確認をしない、
自分の独りよがりな判断だからです。

 やがて僕は思い知らされます。おめでた婚で一緒に暮らした10歳下の女性と9年後に離婚になるからです。
 彼女はある日失踪するのですが、その失踪の当日でも、僕は彼女のことを愛してると思っていて、彼女もまた愛してくれていると思っていました。
その朝も玄関先で、いつものように二人だけのアイコンタクトで出勤したくらいです。

 再会した彼女からのドロッドロの調停紛争で
結論、結婚当初から愛してなどなかったと伝えられます。
 今でこそ憎しみはありませんが、当時は全て彼女のせいにして、
彼女とその家族のせいにして恨みました。
 顔を見ると興奮してしまい、放火衝動に駆られたりするので
僕は決断して距離を取ることを選びます。
 そして、新たな人生を歩み始めるのですが、
そこで改めて突きつけられます、
愛がわからない、でした。

〜 お客さんを愛することができない〜

 修行時代を経て接骨院の経営を始めます。
当初は順調だった集客も、コロナを機会に減少します。
お客さんが減っていき、商品が売れなくなり、広告費だけが増えていきます。
そんな時に師匠に言われた一言は
「お客さんを愛さなければいけない。お客さんを愛せば、買ってくれる」
 お客さんを愛する意味がわかりませんでした。
全く悩むことなく愛せる人と、できない人がいるとすれば、
私は不器用で、できない人です。全てにおいてですが。
 何でもそのまま受け入れることができません。
改めて愛とは何か?とグルグル悩み始めます。

いろんなコーチングを受けて、
いろんなセミナーに参加し、
いろんな本を読みました。
時間や費用に自己投資をして 、はっきりとわかったのは、
同じ悩みの方だらけだと言うことでした。
 そういったセッションやセミナーに驚くほど多くの人が
お金と時間をかけて参加していると言うことでした。

 僕はその時、みんなと繋がった気がしました。
普通になりたいと願う自分自身に気がつきました。
 みんな愛を求めて、知りたくてその場所にいるのです。、
 みんな普通に愛が分からなくて求めている人間です。
みんなそのことに悩み、同じようにお金と時間を投資しているのです。
その場のみんなを愛しく思えました。そして、
愛しいと感じた人と同じ「自分」を誇りに思えました。
自分を愛することができました。

〜 愛とは〜
 愛の反対語は”無関心”だとマザーテレサさんが語ってます。
もともとはユダヤ系の女性作家さんの言葉らしいです。

 つまり、愛を高めようと思ったら、関心を高めることです。
そこで僕は目の前の人の「何でも」に
関心を持ったように振る舞いました。
しかし、相手の目には気持ち悪く目に映ったでしょう。
 何に関心を持つのか?関心を持つべき内容は何なのか?
この答えは相手に聞く事はできません。
聞いても 教えてくれません。
みんな知らないからです。

 何に関心を持つべきか?は実は、自分自身が知ってます。
自分に関心を持って自分を観察することです。それができると、
相手が何に関心を持っているかかが分かります。
つまり、自分を愛すことが先なんです。

  僕たちの問題は、自分を愛せてないことです。
自分を愛せてないのに、誰かを愛そうとしてるんです。

愛とは依存ではありません。
代償を必要とするものではありません。
覚悟を決めて、誰かに深い関心を持つこと。
そのためには覚悟を決めて、自分のことを愛することが先なんです。

〜尊敬と感謝〜
 パートナーと一緒に人生を歩む事は容易ではありません。
流されてしまう習慣があるかもしれません。
不足している部分に思えて、癪に触ってしまうかもしれません。

 他人は変わりません。自分は変われます。
愛は相手に求めない、期待しません。
 この瞬間に、関心を持ち続け、愛を注ぎ続けます。
過去でも未来でもなく、今です。
世界の誰にも負けない位、パートナー本人よりも関心を持つ位。

 愛とは、尊敬と感謝を持って関心を持ち続けることです。
尊敬と感謝の感情は、押し付けたり強要することができません。
だから得難く尊いです。

 尊敬と感謝は意識すれば自分の中に見つけることができます。
尊敬とは魂の評価です。人間の魂とは、
誰か他の人のことを思いやる心のことです。
 自分以外の人のことを気遣ってあげる心が皆、備わっています。
これはたとえどんな大きさであっても尊敬に値すると思います。

 園児や小学生であっても、間違いなく周りの人のことを
気遣ってあげることができます。
 人間が社会性の動物であるが故、貢献と幸せが一体であるが故
とも言えます。

 人間は1人では生まれて来ません。必ずパートナーが必要です。
僕の心臓が動いているのは、自分以外の人間のおかげです。
プレゼントです。
 どんな些細な事でも、あるいはどんな悪い事であっても、
視野を広くすることで、良いことを含んで見えます。
ポジティブに変換して、誰かに感謝することができます。
 だから僕もあなたも自分を尊敬し感謝し、愛するに十分に値します。

 まず自分自身のことを愛しましょう。
それから相手のことを愛しましょう。
時間がかかっても大丈夫です。
時間をかけるほど、多くの人を愛することがきっとできます。

 最後まで読んでいただいたあなたにも、心から感謝をいたします。
あなたにとっての1日が素晴らしい1日でありますように。






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