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Norico 自分史

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私の半生の記録を書こうと思ったら、一回ではすまないくて、でももう書かなくてもいいような気がしてるケド.....(笑)
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離婚の理由...私の場合

離婚の理由...私の場合

元の旦那とは
DVを理由にして離婚した

現在の私を知る人は
決して信じられないだろうが

15年の結婚生活の中
おおよそ10年ほどで、
私は見事に旦那のマインドコントロール下に堕ちていった

良かれと思ってしてきたことが

家族の形を守るため、また、
大黒柱として父として、彼の存在を立てるためにしてきたことが

さらには、私が私の本心を
一度たりとも旦那に見せなかったことが

知らない間に私に私

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自分史短編集  15

自分史短編集  15

美容師時代

私は自分の知らなかった自分のいい面を数多く発見した

一つは結構几帳面であること

一つは貯金ができる人間であること

一つは結構協調性があるということ
(学校では協調性がないのがよろしくないと言われ続けたのに⁉️)

一つはバランス感覚に優れているということ

一つはスピーディーに動くことが好きだということ

一つは1人で2人分の働きができるほど気が利く人間であるということ

一つ

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自分史短編集 14

自分史短編集 14

私の人生の最初の目標は
美容師になることだった

その夢を持ち
叶えるきっかけをくれたのは
誰でもない母だった

私が幼稚園生のある日
母の長い髪をとかす私に母が言った

「のりちゃん髪とかすの上手やね」

この一言で
私は美容師になることを決めたのだ

5歳のことだった

それから41になるまで
まさにストイックな職人気質なまんま
美容師人生を歩ませてもらった

自分史短編集 13

自分史短編集 13

長男を産んだ後から
母のことを
ただのテキスト(手本)だと捉え始めた

母が普段吐き出す
世間への苛立ちこもる言葉と

母となった私に吐く
さもありなんと子育て指南をする
その言葉の間に
あまりのギャップがあったからだ

なぜなら娘としては
母の口から出る汚い言葉は嫌いだったし
できるだけそれをしてほしくなかったから

そこに
私にとって恩恵であると言う
意味を持たせるとしたら

人のいうことは一

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自分史短編集 12

自分史短編集 12

母に

幼い頃から
実にドス黒い人の心の闇を生で視せられたおかげで

常に人の心を推し量り
時には人の心の裏の声が
聞こえてくる子供になっていた

それは大人になるにつれて

人に対する私独自の勝手な不信感を募らせ
それは自分への不信感へと派生し
何をも寄せ付けないオーラを身につけさせるがための
数多くの出来事を創り出した

もちろん
そこには多大な恩恵もあった

が..…

そのほとんどは

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自分史短編集 11

自分史短編集 11

さて、

自分を振り返る意味も込めて
もう少し母について書こうと思う

私たちの母親という人は
自身の両親に対し

自分を産み落としたことさえも恨んで生きる人だった

「お父さんは死ぬんぢゃないかと思うほど棒で叩く人やった。
殺されると思ったし
そんなことするほど可愛くないならなんで産んだんやと思ってた。」

「母親がもっと賢かったら自分はこんな人生にはなっていなかった」

「親が馬鹿だからこんな

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自分史短編集 10

自分史短編集 10

母は2021年11月に他界
父はつい先日 
2022年3月30日に息を引き取った

私には姉がいるが

その姉は

母がそうであったように

両親へのシコリを心に持ったまま私より5年先を歩いている

その姉は

母については
母が他界するその時まで

父については
母も残すところあと1週間ほど...という時まで

胸に秘めた思いをセキララに口にすることはなかった

今回の父の死も

私からの報告に

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自分史短編集 9

自分史短編集 9

2021年の再会時 

父は
当時の浮気相手だった女性と再婚していた

その後体調を崩して
施設入所

私は 父の嫁
(母をそれまで以上に人を恨み妬む女にするトドメになった人物)
とも普通にお付き合いしている

実は再会した32年前に会って
その時から存在を認めていた

両親の離婚は

夫婦として
男と女として

大人が下した決断であって
子供の私には関係のないことだと認識していた

よって

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自分史短編集 8

自分史短編集 8

父との再会は
思いがけないこと気づかせてくれた

よくよく感じて自分の中を視てみたら

40年近く
私の中に高く分厚く
そびえ立っていた城壁は崩れ去り

打ちつけられた鉄槌は溶かされ

代わりに
別の何かが流れ込んで来ていた

それは

どこかに置き去りにしてた
ちっちゃくて無邪気な
少女のままの私の意識だった

そこで初めて

父を失うことで
実はとっても大切なものを
知らないまま生きて来たこと

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自分史短編集 7

自分史短編集 7

最終的に

大きな勘違いをしていたと
はっきりしっかり認識できたのは
昨年2021年の7月だ

就職のため上京し
埼玉県大宮市のサロンで勤めていた22歳の頃

父は私を探して来てくれた

その後London店で仕事をすることになり
渡英前に帰郷した際父と会ったが

そういった動きを母に気付かれ
身内中から大反対を喰らった

おかげで父との縁を再び切った私は

❝ 寂しい思いをさせたに違いない...

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自分史短編集 6

自分史短編集 6

17歳で「強くなる」と決意し

肩に力を入れて生き続けてきた

結果

「強く在らなければ」

という思いは

「私は弱い」

という思いの裏返しとなり

これでもか.....というほど

ハードな人生を送ることになった

**************

自分史短編集お読みいただきありがとうございます

この、私の思考の大本となった経験のおかげで

どんな人生を送ってきたのかは

おいおい出てくる

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自分史短編集 5

自分史短編集 5

父が家を出ると同時に

漠然と感じた

❝ 大きな後ろ盾を失った..… ❞

という喪失感からだろう、

無理やりに

「強くならなければならない 」
「自分だけの力で立ち続けなければならない 」

と心を頑なにし

「人には決してわからないし
     誰も助けてはくれないのだから.....」

と、多大な勘違いをした

自分史短編集 4

自分史短編集 4

高校生の私は

大人の事情に

「大丈夫」

と思っていたが

それはただの「つもり」だった

いつもと変わらず勉強したのに
無意識に成績はガタ落ちになり
先生が母を呼び出した

がきっかけで
母は離婚を決意した

母を尊敬できたのは

そのあと一度たりとも

「あんたのせいで」

的な言葉を吐かなかったことだ

と同時に疑問も残った

子供にそれができるのに
なぜ彼女は自分の親にはそれができない

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自分史短編集 3

自分史短編集 3

父は離婚する時

姉と私に宛てて
自身のこれまでの想いを綴った手紙を書いて置いて行った

双方言い分があるのは当然

それが理解できるほど
私は早熟であったし

夫婦のことにどうこう言う権利はないと
十分に認識していた

それでも

17歳の私には

「美容師になる‼️」

全てを受け入れ
その夢に向かって
ただひたすらに突き進むしかなかった

今だからわかる......

この時
夢があったから

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