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縛られず、結ばれる。 #ことばの赤い糸展



ことばの赤い糸展へ行ってきた!!

7月16日、ことばの赤い糸展へ行ってきました!
昨年受講していた、企画でメシを食っていく2022のメンバーで、チームを組んで企画されたイベント。

発表されたときから、手帳に書き込み、赤い糸がいつ巻きついてもいいように小指を長くして待っていました。

がしかし実際のところ、長くしていた期間、
なかなか、自分的に自分のことめっちゃ許せなくて。
やさぐれていました。

「必要なこと」には、縛られる。

就活含め、そのさきの自分のこと。
考えすぎて不安になって、
いろいろと、まっすぐに頑張ることができず。

何か違う違うって思うけれど身動きできないし
でも、
「こうありたい」「これだっ!」て夢が近くにできたりして。
寝たら
次の日には、「そうはいっても…」って、脆い夢になってる。
遠い目をしてる自分が全然、愉快じゃない。

今日こそはって思っても今日もダメ。
お風呂に入ることが、忘れもんを最寄り駅から家まで取りに帰ることくらい、足、取りがおもい。

そんな自分で迎えた7月は
カレンダーに対して、自分は何もめくれていないことが嫌すぎた。

でも手帳を見たら、
「ことばの赤い糸展!」の赤いことばがあって。

2ヶ月前の自分が、もう待ち合わせ場所にいるようでした。

そうだ。この日、出会うことばにきっとヒントがある。
何か自分のなかで、軌道修正できるかもしれない。

赤い糸の待ち合わせがすごいパワーになりました。
ありがとうございます…

「必要なことば」とは、結ばれる。

入場して、ちゃんと流れの説明を聞いて、いざ没入。

ストーリーをたどりながら、「自分は、どのことばをかけられたいか」物語の主人公の気持ちになって、ことばを選んで、新たなストーリーに向かう。
感情移入が得意なものでワクワク。
不思議と、選んでいくお話の主人公みんな、どこか自分の心情にリンクするところが多くて。特に、隠したいような弱さがリンクする。

ある物語の中にあった「私って偽善者なのかな?」のことば。
ドキッとした。

ちょうど、ここ最近自分の人との関わり方、会話に対して疑っていたことでした。

本当に自分は心からそう思っていっているの?
嘘ついていない?
さっきまでの会話、どこからどこまでが本音?
好かれようって喋ってない?

てな具合に、誰かと話すことをすれば、その度に嘘をつく気がして結果、
1人に落ち着く。みたいな。

人に嫌われることを恐れている主人公に、深く感情移入していました。

どうしてこんなに自分に寄り添うことになってるんだ、どうなっているんだ、すごい、すごいと、
本当に赤い糸で導かれていく感覚が、心地よくも新しく。
ここでしか味わえない時間がありました。

導かれた運命のことば。

変わるも強さ、変わらないも強さ。

ちゃんと、今の自分が必要としていた、ぴったりな言葉に出会えました。
阿部広太郎さんが「ことばは、洋服を選ぶように、自分の心にピッタリと似合うものを探す。」
とおっしゃっていた。まさに、そんなふうに自分の心に似合うことばだ!と感じました。

後半の、「変わらないも強さ」が個人的に、沁みます。
やっぱり変わることって勇気がいるし、それができたら強いなって。
変わることに対しては、自然とプラスなイメージを先に持つんです。
だから、変わることは優で、変わらないことは劣。
こういう思い込みで、焦ってしまうところがあったかもしれない。

変わらない」も、ただじゃできない。
そこには確固たる何か、どうしてもっていうものが守られていないと。
油断したらすぐに変わる、無常のなかに生きているとしたら。

どうしてもこれは守りたい。どうしても、これはやりたくない。
どうしても、これが自分の個性だ。
どうしても、この関係を壊したくない。
どうしてもどうしてもって、無意識であっても何か、切実なもの。
周りに流されず、飲まれず、小学生の顔のまま仁王立ちしてる。

変わらないねって言われて、ちょっと嬉しい時があるのは、そういう何かを守り抜けたと感じられるからなのかもしれない。

「変わらない」を選ぶことも、「変わる」を選ぶことも、
どっちもまず、自分と向き合っているから実感できる。

「変わったね」「変わってないね」
「変われたね」「変われてないね」
「変わってしまったね」「   」ここが一気にわからなくなる。

なんにせよ。どっちも、楽じゃない。

変わりたいのに変われない自分も、変わりたくないのに変わってしまう自分も、ゆるしていきたい。
変わりたくないところを守るために、変わろうとしていた気持ちを、たとえ変えたとしても(ややこしい)

自分で決めた時点で、それはちょっと先に、
自分のなかで強さになると思った。

と、自分で読んでいてもなんだか、言語化が難しいのですが…
私はいったん木綿、そんなふうに解釈しました。

今、届くべきことば。

あのとき一生懸命に迷って考えて決めたことだって、間違っていたわけじゃない。
自分で決めたことだから、というかそもそも正解を選ぶこともできない。
正解なんて元から分からなくて、正解の数だけ不正解があると思わなくていい。
じゃあ正解だらけにしちゃった方が、進みやすいか。

なにがって一番は自分自身が、好きな自分でいられるか

迷ったら楽しそうな方へ。
でもどっちに行っても正解です。

企画生で、そして偶然、春期のコピーライター養成講座でもご一緒のさむさんから。
しおりのことばでは、変わる選択も、変わらない選択も、どちらも強さだと肯定してもらえたけれど、
次はその選び方。選ぶなら、楽しそうな方。
そしてまた、どちらを選んでも正解、と肯定してもらえた。

両方が重なって、さらに背中を支えてもらえたような、強い納得感がありました。
そしてMUSUBUバーのバーテンダーさんに、今自分がモヤモヤしていることをありのままに話して、いただいた言葉。
こちらもお守りになるなぁと感じました。

「まだまだ全然、何でもできる」

温かくて、まっすぐ、嬉しいって思いました。

22歳とは

24卒という名の、特殊な時間の流れだと、
もうこんな時期なのにと焦ったりする。

大学4年生という囲まれた空白の中だと、
もう卒業まで時間がない…と嘆きたくなったりする。

22周年というと、
ディズニーより18後輩で
忍たま乱太郎より8年後輩。
スカイツリーより11年先輩。
関ジャニ∞より3年先輩。
ジャニーズWESTより13年先輩。

けど、そういうのとっぱらって、「歳」として考えたときは?

22歳。

人生のまだ半分もいっていない。
いくつまで生きられるかは分からないけれど、100年だとして、
まだ5分のいち。

1で考えたら0.2
そりゃぼやけて何も見えない。

まだまだ全然、序章。
何かが始まっていないとしたら、終わってもない。
上がり下がりの波がすごくても、何かもっと広く、長く、自由でいたい

私ももっと旅しよう。
小さなことでも、やってみよう。

軽やかになれた1日でした。

その反動で、帰りの電車は何も考えずに乗り込んで、真逆にいったった。
せっかくならと降りて、でっかい観覧車1人で乗ってみたった。
(これがたまらなく良かった。)

新木場のお隣、葛西臨海公園

ことばの赤い糸チームの皆さん、素敵な時間を本当に
ありがとうございました!!

そしてお会いできた企画生の皆さまも、元気をたくさん、
ありがとうございました!!

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