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自然の流れとともに手を動かすと心の居場所が見えてくる

季節を感じる手仕事を無性に欲してしまうことがある。
それは、決まって疲れを感じている時。体というより、心の方。
人と話すことは好きなのに、その中で聞こえてきた言葉や見えた表情が自分の中に残り続けてなかなか切り離せない、そんな感じ。

そんなとき、手を動かして自然や季節を感じられるものを探すようにしている。風、光、匂い、など五感が気持ちよく刺激され、ゆったりと深呼吸できそうな時間をイメージして。
最近、そんな時間があったなといくつかお話したいと思います。
(今回は文末が、~だ。と常体になっています。そんな気分だったのね。)


ぬか床づくり

今年再挑戦になるぬか床づくり。
ぬか漬けを毎日食卓に並べたいという野望のもと父から米ぬかをもらってきた。
実際に作ってみると、ぬか以外に必要な材料は水、塩、昆布、鷹の爪といったスーパーで手に入るものばかり。
沸騰させたお湯に塩を溶かし昆布を入れ、冷めたらぬかに混ぜていく。まんべんなく混ぜて味噌のような柔らかさにまとまったらよし。
そこから1週間ほど毎日ぬか床を混ぜて空気を入れ続けるのだが、前回はとても面倒に思われたこの行程が今回はなんだか楽しみになっている。
それはもしかしたら、先日始めのぬか混ぜを末っ子が率先してやってくれたからかもしれない。
腕まくりをしてぬかに手を突っこみくちゃくちゃと音を立てる様は、まるで泥んこ遊びそのもの。容器からはみ出したぬかを一応気にはしながらも、下から下から乾いたぬかを掘り当てては宝物を見つけたかのようにキラキラした目でぬかを揉み込んでいた末っ子。

遊んでいるとしか思えないが、まぁぬかはたくさんあるのだからいざとなったら後で新しいものを作ればいいか、と一旦その場を離れしばらくして戻ってみると、まんべんなく混ぜ込まれしっとりしたぬかが容器の8割あたりの深さまでぴったり隙間なく収められていて、最後の仕上げにまだまだ小さな6歳の手でペタペタと手押ししているところだった。

あぁ、末っ子の中ではこれは遊びではなくちゃんと責任ある仕事として認識されていたんだな、とその仕上がり具合を見て思った。

それでも、仕事の中に楽しさを見出だして実際に楽しんでいるその様子は、なんだか胸に響いてくるものがある。
そんな末っ子は、きゅうりのぬか漬けを楽しみにしている。
ぬか床完成まで2人でぬか床の成長を見守っていこう。

末っ子手押し後のぬか床

小さな畑の手入れ

日当たりが良くない。
雨が続くときのこが生える。
そんな場所に畑を作った。

賃貸住まいの我が家の敷地にはもともと畑などなく、庭の植木と植木の間に土を入れて小さな畑を作っている。(大家さんには相談済みです。)
幅1.5メートルほどしかないから、畑と呼んでいいかわからないくらい小規模だけれど、地植えできる場所があるということが今はとても嬉しい。
何というか、ふわふわ浮いていた足が地にちゃんと着いているかのような安心感がある。

そこに毎年数種類の野菜とハーブの苗を植えてきた。
トマトと青じそ、レモングラスは私が選んだ。
その他のハーブは夫セレクト。聞きなれない名前の苗だったけれど、料理やお茶に使えるものをいつも選んでくれる。
土を掘り起こして、心持ち程度の畝を作り苗をはめ込んでいく。この過程で土に触れている時間が私は好きだ。

生き物はみんなここから生まれてきたんだと感じられる。
ここから生まれたものに生かされている存在だと思える。
自分で食べるものを自分で世話できる。
当たり前のことだけれど忘れがちで、覚えておきたいしいつも実感していたいことって、確認するたびに心はふんわり温かくなる。
私はこれで大丈夫、と思える時間。

アイコ、ぺぺなど数種類のトマト
プランターでは葉物を少し。

コンポスト再始動

コンポスト生活は3年目に入る。
冬の間はどうしてもコンポストに入れた食べかすの分解が遅くなるので、4月になったら再開することにしている。

味噌汁の具材の皮、ちょっとした食べ残し、使った油など角型の琺瑯に一日ためると結構な量になる。燃えるごみの重量の多くは食べ物や食材に含まれる水分量なのだそうだ。
確かに、生ごみ入りの琺瑯はいつもずっしり重い。

コンポストが機能している季節は、ごみも軽く少なく、しかもたい肥ができるといううれしいおまけ付きで、上にも書いた小さな畑に出来上がったたい肥を加えていくのが楽しみにもなっている。

勝手口外にポジショニング

以前の記事でコンポストについて詳しく載せているのでよろしければ↓



フラットでいたいのになかなかそうできない毎日の中でも、移ろいでいく自然はいつも寛大で暖かさや色や香りを変えながら、いるべき「今」に気付かせてくれる。

そして、自分にできることがあって、自分やもしかしたら他のだれかもうれしくさせることがあると感じられると、「今」がぐっと手元に感じられる
自分の時間を紡いでいる実感が持てる。

揺らぐことはあるけれど、ささやかで確かな幸せを感じる「今」を体に感じながら毎日を繋いでいける人でありたいなあと思います。

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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