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いつもの眺めを整えて家時間の至福度を上げる

みなさんはどんな景色に幸せを感じますか。

好きなお店であこがれの商品が並ぶようす。
大好きな祖父母が並んで歩く後ろ姿。
のどかな田園風景とそこで遊ぶ子どもたち。

人によってさまざまなはず。

私にとっては、以前勤めていた職場まで車を走らせていると出合う景色がそうでした。

山を一つ越えたあたりで(片道山越え20kmでした)突然視界が開け、走っている道を挟むように田畑が広がる景色に出合います。
周辺は山に囲まれているのにそこだけ別世界。
モクレン、桜、藤、イチョウと季節ごとの色どりも重なります。

時々、まだ低い朝の光が山間から差し込むと、濃淡を含んだ景色が不思議なほどきれいでした。
何度と車を止めては、分刻みで変わっていくその様子を眺めました。

写真に残したいと携帯電話をかざしてみても、記録した物を見るとちょっと違うんだよなぁという感覚です。

目というレンズを通してのみ心に響く景色なのかもしれません。
そんなことをしているおかげで、遅刻しそうになるんですけれどね。

疲れたなあというときも、いい一日だったなあというときもそこにたどり着けば落ち着く心の支えでもあったなぁと思います。

家の中にもそんな風にいつも心を置ける場所があったらいいい。

自分が気に入っている眺め、いるだけで心癒されるような場所で過ごす時間は、体と心の疲れをじんわり溶かして明日また頑張る力をくれそう。

だれにでも家の中には、
多くの時間を過ごす場所があると思います。

私の場合はキッチン。

その場所やその場所からの眺めの心地よさを追求していくと、居場所としても眺めとしてもよい空間へと育ちます。

私の場合、料理に向かう気持ちにムラがありまくり。
(料理は嫌いではないけれど得意でもありません。)

それでも台所に立つ時間が長いことを考えると、そこがどれだけ自分の気に入った空間なのかということが、料理という家事と穏やかに付き合っていくためにとても大切だと感じます。

好きなものに囲まれている眺め

料理は得意ではないと言いましたが、料理をあきらめたわけではありません。

生きていく以上手放すこともできません。
というより手放さずにいるということを考えると、料理は得意というわけではなくても好きではあるんだよなあと思うんです。

でも、どうしても気が向かないときや疲れているときは料理する時間が億劫に感じるものです。

お気に入りの道具をもっておくことは、料理と私をほどよい距離につなぎとめて置いてくれる綱のような存在です。

気に入って手元に置いている道具たちに助けてもらいながら、台所に立つ日もあります。

お気に入りが集まるキッチンの眺めは夜のリセットで欠かせない時間です。

今日も今日とて台所に立ちます
朝起きたときによしがんばるぞ、と思えるように
おぼんやかご、ざるは使っていないときは
ディスプレイとして雰囲気を楽しみます

開けた時の眺め

引き出しは上から順番に使用頻度の高いものを収納すると決めています。 

一番上は布巾類。
毎食必ず開ける引きだしです。

食器を洗った後に器を並べる手ぬぐい、器を拭き上げる綿布巾が入っています。

ここを開けた時にぴしっと整列する布巾たちを眺めるのが密かな楽しみです。

手ぬぐい集め、趣味です

オウエンシテルヨ
ガンバッテルネ

と言葉が聞こえてきそうだというと、お疲れ気味ではと思われてしまうかな。

道具が背中を押してくれるという感覚。
料理をするというより、その道具を使う時間を楽しんでいると感じます。

目に入る情報はほどほどに


目に入るものの量が多いと情報過多になりやすくで疲れるなぁと感じています。

落ち着ける場所であるように、色味にも気を付けて道具を購入したり配置したりしています。

茶色

シルバー(ステンレス)
時々黒

と、数種類を意識しています。

色を意識づけているともの選びがぐんと楽になります。

ものを購入していざ家に持ち帰った時に、
「なんだか浮いている?」
なんて残念な思いをすることが、ほとんどなくなりました。
あらかじめ決めておいた色合いのものであれば家の中のどこかにはフィットするだろうなと、インテリアとしての振り幅も感じています。

黒、茶、白

自分の居場所を気持ち良い眺めに整えておくと、毎日しなくてはならないタスクに対して向かうピリッとした気持ちが少し穏やかになるかもしれません。

そんな場所がもっと作れるように、私も家の中を少しずつ整えていきたいなぁと思います。


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