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#216 心療内科通院記&「うつ病ブランド」についての雑文 240509

 本日は心療内科の受診日であった。これまでと同様、noteの皆様と家族への報告を兼ねて、受診記を残しておく。ただし、相変わらず心身の回復については、進捗に乏しい内容である。ご了承いただきたい。

医師:ここ2週間の調子はいかがでしたか?

 毎日ぐったりしていて、あまり調子のいい日はありませんでした。睡眠の方も、寝つけない日とか、中途覚醒する日が多かったです。朝起きて、外出できそうなら喫茶店に行って軽く読書をする。それ以外は特に何もありませんね。債務整理でやらなきゃいけないことのプレッシャーが重すぎて、それがとにかくしんどいですね。

 以上である。今週はあまり話をしたくもなかったのでサラッと話した。というより、会話に使う体力が絞り出せなかった。noteでは饒舌なイメージに見えるかもしれないが、現実のわたしは明らかに人と対話していない感じの小さくてしゃがれた声でしか話せないし、会話の反応も遅い。返事ができなくて会話が止まった途端に視線も泳ぐ。医師からは現状維持を勧められた。とにかく悪化させるな、無理するな、ということのようだ。以下、受診記とは関係のない雑文である。


 さあ、ここからは饒舌に(笑)くだらない妄想みたいな話をするよ。「うつ病ブランド」って、あるよね。わたしは心身症と診断を受けて2年数ヶ月後に、うつ病に診断名が変わった訳だけど、そのとき安堵したのよ。ああ、これで自分の病気が分かりやすく伝わるとか、自分はメジャーに昇格したんだとか、これで手帳をとって行政サービスにもアクセスしやすくなるとか。

 実際、noteの記事タイトルにも「うつ病」とか「鬱」って入れるとアクセス数が伸びます。まあ、それだけ苦しんでいる人が多い病気ということだけど、もしこれが「心身症」というワードなら、そこまではいかない。同じく、苦しんでいる人はいっぱいいるはずだろうし、辛さの度合いにそれほど差がある訳でもない。でも、タイトルやハッシュタグに「うつ病」があるかどうかで、カテゴリが変わってしまい、アクセスは減る。

 あ、うつ病であることを喜んでいるわけではありませんよ。正直、初めて心療内科にかかった頃にはもう、まともに食事が摂れていなかった(固形物は吐きそうなので、カロリーメイトリキッドを飲んでましたね…)し、深夜2時とか3時まで寝付けませんでした。仕事中以外はほぼ寝たきりです。

 で、翌日は猛烈な眠気を抱えながら働くという生活。医療にかかって、薬が効いてきて気分が緩和される前は、もう毎日死にたかったですね。睡眠薬で寝るっていうのも、翌日に眠気が残るので辛かった。この段階でさっさと休職していれば、違っただろうな。たらればだけど、数ヶ月の休養で復帰できたのかもしれなかったな、と思っていますね。

 そんな診察初期の頃に「あなたはうつ病じゃないですよ、安心してくださいね」と言われたことが、逆にわたしの頭から「休職する」という選択肢を奪ったのは間違いないのね。医師が悪いって訳じゃないけど、当時のわたしが、そう言われたことにより判断を鈍らせたのは間違いなかった。

 だからですよ、医学的な分類とは別に、心療内科及び精神科領域の病気の人を包括的に表す言葉が必要だろうな、と思いました。病名が何かとか、そういう実務的な話の前に、助けを求めやすくなったり、医療にかかるハードルを下げたり、自分は(あなたは)休むべきなんだと分かりやすくするためにね。

 現状は「精神障害者」というカテゴリがあるけれど、これは行政の区分という意味合いが強くて、そもそも診断書がいるし、包括的なイメージにはなりえない。ちなみに、「メンヘラ」はダメです。基本的に悪いイメージのネットスラングなので。現在では「病み」文化に昇華されて、ある種の格好良さもあるけど、まあダメだよ。

 どんな言葉ならいいのか。「(サポートを受けないと)そのうちマジで死ぬひと」という意味合いの言葉がいいね。外来語でもいいので、何か良い表現はないものか。定義はある程度、ゆるい方がいい。使いにくくなるし、医学的社会的に分類する言葉はもうあるからね。例えば「ハラスメント」と同じくらい、幅広く使える言葉ってことですよ。

 「障害者」を「障がい者」と書くか?という話で、健常者サイドがよかれと思ってネガティブな意味合いの「害」を目立たないようにとひらがなで書いたところ、当事者によっては実際に「害」があることが見えなくなる!という声も上がったそうで、この手の話は一筋縄に行かない。

 その「害」が何を指しているのか?当人の病気を指して「害という字を使うことでネガティブな印象が助長される」と見た人なのか、社会が健常者の目線でしか作られていないことにより、実際に「害を受けているのに」と見た人なのか。立ち位置による目線の違いで、ディスコミュニケーションが起こるんですね。だから難しい。

 この手の話で笑ってしまうのは「チャレンジド」という言葉で、まあ日本ではあまり流行なかったので幸いですが、もしわたしがそう言われたら「ええ、望んでもいないチャレンジを強制されていますね」と言いたいところです。

 でさ、こういう話をさ、一応は当事者ですよという立ち位置から書けるってのがまた「うつ病ブランド」なわけ。なんか自分の歪みを感じるなあ。もし診断名が「心身症」のままだったら、精神障害者手帳を持っていなかったら、気後れして書かないような話ですね。そこなんですよ、そこ。

 「メンタル疾患当事者」としての体験や社会への提案を気後れせずに発信できるような、当事者全体を表す言葉があればいいのにね、ということです。

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