見出し画像

テストは何のため

年末なので、2学期末のテスト時期である。もう終わっているところもあるだろう。0点を取ってママに叱られるのは、のび太くんのパターンだが、そうでなくても結果に一喜一憂した経験は誰でもあることだろう。

結果が悪かった時に、本人が落ち込むのもよくないことだが、周りがガミガミ言うことも問題である。結果が悪かったから叱られると思うと、次のテストに向けて勉強しようという気がなくなってしまう。

だが、考えてみてほしい。テストは、文字通り「テスト」なのである。日本語で言えば試験、試すと験す。両方とも同じ意味を成す熟語である。今までやってきたことを"試す(験す)"機会なのである。だから、その結果に対して、周りがいちいち文句を言っていては仕方がない。

むしろ、その結果を出す過程がどうだったのか?ということを評価する場にしたい。たとえば、すごく勉強した科目は点数が良かったけど、勉強できなかった科目は点数が悪かった。やったことと結果がシンプルに繋がっているなら次回の改善点も明確である。もし、準備したのに結果が良くなかった場合は、取り組み内容に問題があるわけだから、そこが改善点となる。テスト問題で間違えたところを再度解き直して正解が求められるようならば、本番を想定して問題を解く訓練が不足していたのかもしれない。

このように、結果に対しては何らかの原因がある。テストがたくさんあればあるほど、そのサンプルがたくさん取れるわけだから、一つ一つ改善していけばよい。ある意味、定期テストでの失敗は、肝心のテストで失敗しないための糧にすればよいのである。肝心な時とは、今の日本においては入試である。入試がすべてではないかもしれないが、極端にいえば、それ以外のテストでは失敗するチャンスがあると思ってよい。

自分が中高生の頃、上記のようなメンタルでテストに臨むことはできなかったが、大人になって考えてみると、そういうことだよなと思い直す。どうか、結果が悪かったことを責めるのではなく、次はどうしようかと作戦を練られる関係性が多くなってくれるといいなぁと思う。

よろしければサポートをお願い致します。頂いたサポートは新しいことを生み出すための活動に使用させていただきます。