サッカーほど危険なスポーツはない。【ペレVol.1】
あのペレが導いたイエローカード、そしてレッドカード!Vol.1
今回は”悪質ファール”の始まりを紐解いてみようと思う。
ご存じの通り、サッカーの最高峰は4年に一度開催されるワールドカップである。
今日のスポーツ界では、ワールドカップと言うタイトルのスポーツが、ラグビー、バスケットボール、バレーボールなどの競技で使われ出したが、かつてワールドカップとはサッカーの”固有名詞” であった。
サッカーワールドカップは、単独競技の世界大会なのにオリンピックをもしのぐ大会と言われていた。
第1回ワールドカップ(Copa Mundial)は1930年南米ウルグアイで開催され、参加国は、
group1
アルゼンチン
チリ
フランス
メキシコ
group2
ユーゴスラビア
ブラジル
ボリビア
group3
ウルグアイ
ルーマニア
ペルー
group4
アメリカ
パラグアイ
ベルギー
ここからアルゼンチン、ウルグアイ、ユーゴスラビア、アメリカがセカンドラウンドに進み、ウルグアイが優勝。
この時代は今では考えられないのだが、11人のみで戦い、選手交代はなかった。
怪我で退場の場合は数的不利のまま試合を続けるのだ。
この第1回大会から28年後の 第6回スウェーデン大会で、私が尊敬してやまない”キングペレ”が17歳の若さでブラジルを初優勝に導いている。
それから4年後のチリ大会、大会中ペレを大怪我で欠くも連覇を成し遂げる。
そして4年後のワールドカップイングランド大会!
世界のサッカー基準を一変する悪質ファールが”キングペレ”へ. . . .
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