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レジ袋有料化で、住まい選びに変化。


自治体の指定ごみ袋への抵抗感薄れる。

 地方移住から四半期が経過して、初めて不燃ごみを出した。別に出し方が分からなかった訳でも、村八分にされて集積場の使用が許されなくなった訳でもなく、ただ単に電気ケトルが壊れるまで、わざわざ出すほどのごみがなかったためである。

 しかし、20Lの指定ごみ袋に入っていたのは、それと缶詰の蓋部分のみ。可燃ごみや資源回収を出すことはあっても、不燃ごみで袋をいっぱいにするのは至難の業で、3ヶ月目にして電気小物が壊れてようやく出すタイミングとなった。もちろん袋はスカスカだが、しみったれて満杯になってから出そうと思ったら、何年掛かるのか見当も付かない。

 某世襲政治家が空回りしたお陰で、レジ袋が有料化されて久しいが、私はこれまで自治体がごみ袋を有料指定する地域は、居住先の候補から外していた。

 ごみの総量を削減したい気持ちは分からなくもないが、レジ袋が無料だった時代に、わざわざ捨てる用の袋を買う気にはなれなかったからである。

 しかし、レジ袋が有料化したことでマイバッグを持参するようになり、結局ごみを捨てるために45Lのポリ袋を買うようになってから、どうせ袋を買わされるなら、指定ごみ袋の販売で儲けようとする悪質な自治体でもない限り、どこに住んでも大差ないと思うようになった。

 ビニール袋を抑制すれば、単純に考えると化石燃料が減らせるように思えるが、ごみとして焼却するのに、ビニールが燃料代わりとなっている側面があるため、ビニールの排出が減少すると焼却炉の火力が低下し、最終手段は石油を投下して燃焼を促さなければならない。

 レジ袋がサービスだった頃なら、手提げとして利用し、ごみ袋として出し、焼却炉のエネルギーになっていたが、レジ袋有料化で抑制した分が、焼却炉のエネルギー不足を生み、追加で燃料を投下しているなら、以前の方が手提げ袋として利用できる分、便利だったと思わざるを得ない。

 文句を言ったところで、現状がひっくり返るわけではないため、現状のルールの範囲内でハックするまでで、それが持ち物の総量を抑え、そもそも大量消費しない方向につながる。

 結果として、自治体の指定ごみ袋への抵抗感が薄れ、住まい選びの懸念材料がひとつ無くなったことで、僻地でもない限り、案外日本全国どこでも住めるのではないかとすら思う節はある。

見た目は持たざる者、実態は持てる者。

 現状でも周囲からミニマリスト呼ばわりされる始末だが、将来的にはバックパック+100L位のキャリー程度の容量で、すべての所有物を収納できる程度に持ち物を厳選したいと思っている。

 そう思うのは、モノを増やしても何かが満たされるどころか、制約が生じてしまい、自由な生き方を損なう恐れすらあると考えているからだろう。

 20代半ばで死亡する確率の方が高かった大病を患ったことで、墓場に何も持っていけない事実を、まざまざと感じた影響も少なからずある。そうして宅急便5口におさまる程度に整理整頓して、気の赴くまま地方に移住した。

 四半期が経過しても、キッチン周りを除いて、ほぼほぼ明け渡し時の状態を保っており、家具は全く購入していない。購入したら、転居する際に粗大ごみとして処分するか、高い移送費を支払わなければならない。

 それならば、公共施設などを拡張現実(AR)ならぬ、拡張居住空間に見立てて、コンビニやスーパーが冷蔵庫代わり、図書館が学習席代わり、コインランドリーが外部洗濯機、Amazonが外部倉庫代わりとすることで、必要な時に必要なものやサービスだけ購入したりレンタルすれば、多くのものは無理に所有しなくても大丈夫だと思えるだろう。

 とはいえ、レンタルするよりも購入した方が安上がりな場合があるから、そう言ったものは無理に手放さず、使えるうちは最大限活用して、壊れて買い換える時に、その是非を自問自答すれば良いだろう。私も冷蔵庫や洗濯機は所有しないくせして、スキャナやデジタル一眼は所有している。

 いかにもバブリーな物質的豊かさの権化のような人からすれば、典型的な持たざる者として、相当見窄らしく映り、理解不能な価値観かも知れないが、迫害の歴史を持つユダヤ人が有形資産はいつか誰かに奪われる真理から、無形資産を重視する価値観に近いのかも知れない。

有形資産を積極的持たない者。

 ホロコーストの時代と異なるのは、デジタル技術が大幅に進歩しており、見た目だけではその人が持たざる者なのか、持てる者なのかの判別がつかなくなっている点だろう。

 証券は典型で、株券が電子化されて現物がなくなった上、ネット証券なら引き出すにも口座は本人名義で、確認も必要なため、盗もうと思って盗めるような隙はないどころか、誰がどれだけ持っているかすら、自ら公言するか大量保有報告書で名前が出ない限り把握不能である。

 最近になって、失われた30年の1億総貧困社会が顕在化したかのような強盗事件や、政治家の襲撃事件などが増加している印象で、日本は性善説が前提のセキュリティとなっており、住宅もベランダから窓ガラスを破れば容易に侵入できてしまう。

 これから徐々に治安が悪くなると思うのであれば、いかにも貧相な見た目や住まい位がちょうどよく、金目のものはおろか、そもそもモノがない住宅を、窓ガラスを割ってまで物色する前に、他をあたるだろう。

 それに地震大国なのだから、大地震で室内にモノが散乱したら避難時に障害となる。それらを踏まえると、物質的な資産は保有せずに電子的な資産を持つ、見た目は持たざる者、実態は持てる、積極的持たない者だと、これからの日本社会で生きるには都合が良いのかも知れない。そう考えると、整理整頓も捗ることだろう。


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