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消費、投資、浪費。

 マネーリテラシーの高い方であれば、お金や時間、労力を投じる際に、これは単なる消費なのか、それとも投資なのか、あるいは浪費かを意識すると思う。素晴らしい心掛けだが、私は手のひらを返す。

”消費”した段階で投資なのか浪費なのか決めるのは時期尚早。

 なぜなら、一見浪費だと思っても、巡り巡って将来の投資になっている可能性があるからである。趣味が仕事につながった事例が典型例だと思う。

 だからと言って浪費を繰り返して良いということにはならないが、浪費は心に潤いをもたらして、人生を充実させてくれる性質のものだから、質素倹約な生活で限界まで消費を切り詰めて、心が乏しくなるくらいなら、適度に浪費した方が健康的だろう。

 ここからは、私の考える消費、投資、浪費に関して紹介していく。

欲求と必要経費。

 消費に関しては、「バビロンの大富豪」の7つの教えにも記されているように、

「自分の欲求と必要経費を混同しない」

バビロンの大富豪|ジョージ・S・クレイソン、大島 豊

 この一言に尽きる。生活する上で、必要に迫られて消費するなら必要経費だが、大抵の場合、自分の欲求がどこかに混ざっていて、投資か浪費のいずれかに分類されることになると思う。

 だから大事なのは、自分の欲求を理解して、健康で文化的な最低限度の生活に必要な経費を常に把握しておくこと。

 横山光昭さんの「貯められる人は、超シンプル」の本でも、収入はさほど多くなくても、貯めている人の特徴として、

「自分の生活に必要最低限の基準があり、それをきちんと把握している人です。もっと言うと、自分の価値観をしっかり持っている人です。こういう人は労力なしで自然とお金を貯めています。」

貯められる人は、超シンプル|横山光昭

 このように記されていることからも、不変の黄金法則と言えるだろう。衣食住も含めたほとんどの消費は必要経費よりも欲求が混ざって、より多くの消費をしている側面が大きい。

 着る物に求めるのは、清潔感があって小綺麗な身なりに整うこと。高価なブランド物である必要も、似たような服を何着も用意する必要はないはずだ。

 食事に関しては、極論になるけど、日本人は完全栄養食である玄米と味噌さえあれば生きていけるのは私たちの祖先が実証済みだ。

たった1日の労働でも1ヶ月は悠に生きられるだけの玄米と味噌が買える時代。

 比較的容易にそれだけのお金を手にすることができるのだから、一人暮らしで自炊するなら、材料費として1日5百円もあればそれなりに良いものが食べられる。

 外食などの贅沢をするから高くつくだけで、生きるための最低限の食事を心がけていれば、1人で月に2万円も掛からないだろう。

本質的には雨風凌げる建物に居住できれば良い。

 多少暴論かも知れないが、生活レベルを気にしなければ、実はそんなに多くの費用は要さない。

 私は東京の23区で月3万円のボロ物件に住んでいる。風呂はないし、築年数も半世紀超えだから、夏場は害虫と蒸し暑さ、冬場は隙間風に悩まされるけど、雨風は凌げる。何よりうさぎ小屋と揶揄される都内のワンルームと違って2Kだし、山手線の駅に徒歩圏内の好立地だ。

 東京にこだわる必要性がない方は、大分県杵築市が単身者向けの築浅物件が1万円前後で投げ貸しされているから確認してみて頂きたい。

フルタイムで働くことの疑問。

 そんな最小限の必要経費を意識したことで、私が生きるために必要な毎月の経費は6万円ほど。

 四隅大輔さんはこれをミニマムライフコストと表現している。年収400万円程の鉄道員である私の時給単価であれば、月に6日間の労働で最低限の生活費は賄えるけど、実際には税金や社会保険料の負担があるから、そのために4日程度余計に働く必要があるのは頂けない。

 裏を返せば、正社員として月に20日以上、時間にして170時間前後働いて賃金を得ているけど、半分程度の賃金でも十分に対応できる程度の生活レベルを保っている。これは「となりの億万長者」の本で紹介されている特徴にもある

「彼らは、収入よりはるかに低い支出で生活する」

となりの億万長者|

 これに合致する。半分は税金や社会保障を含めて生活のため、半分は資産所得を増やすための種銭集めに労働している具合だ。もちろん、こんな生活スタイルを未来永劫続けるつもりは微塵にもなく、30歳までに生活費用を金融資産の所得から得られるだけの経済的自由を手に入れて、好きな場所で創作活動に取り組める人生を目指して今を生きている。

”投資”とは。

 人生で限りある時間やお金を投じて、将来に投じたリソースよりも価値のある何かと交換していく行為全般と言うのが私の考えである。

 投資と聞くと財テク的なものを想像するだろうけど、何も金融投資だけが投資ではない。

 例えば、読書に書籍代と読書時間を投じても、知識を蓄えたことで、書籍代以上のリターンを得られるなら自分への立派な投資だ。旅行だって、交通費と休日を投じて、かけがえのない思い出となったり、築いた人脈が後の人生でプラスとなるなら投資と言って良いだろう。

 これらは自己投資と呼ばれるもので、金融投資と違ってリターンが予想できない。

自分に賭ける自己投資か、他人に賭ける金融投資か。

 リターンが大きくなると思う方に賭ければ良いけど、私としては、双方をバランスよく取り入れるのがおすすめだ。

 お金は限られるけど、それなりに時間と体力がある20代のうちは、自己投資に比重を置く方が、自分の可能性を広げられる筈だ。その傍らで金融投資を少額で初め、投資経験を積んでおくと、歳を重ねてから金融投資への比重を上げる時に困らないだろう。

 私は自己投資には慎重な部分があったこともあり読書に留め、それ以外のお金のほとんどを株式に投じ、年間の配当金が12万円を超えたあたりで通信制大学に入学した。

 その結果、学位を取得するという人生最大の自己投資を、金融投資で得られた不労所得によって、実質的に学費を負担することなく行なえている

 現実に大学生の奨学金利用者は平均288万円の借金を背負い社会人になっていて、返済義務者の9%が延滞している中、高卒で社会人になり、金融資産への投資によって、経済的に恵まれない環境で育っても無借金で学位の取得に踏み切れたわけだ。

 費用面の懸念から新しいことを始められない人ほど、まずは生活コストを最低限まで抑えて、手元のお金を運用することで得た資産所得で何かを始めると、時間は要するが実質的に身銭を切らずに色々と挑戦できるようになるので、精神面はかなり気楽でおすすめの手法だ。

”浪費”の正体はチリツモ。

 何事も最終的には運が良いで片付ける私でも、実は後悔していることがある。

 時間のある高校時代、高校2年生から学業に支障が出ない範囲のアルバイトで、月2万円程度稼いでいた。総額にして40万円ほどになる。お小遣い制の同級生よりもお金があった筈だ。それなのに、

何に使ったのかも覚えていない小さい出費を繰り返して、使い切っていた。

 一応、心当たりとしては、十数万円で購入したVAIOを除くと、学校帰りの買い食いとか、ネット通販だと思うが、その程度のものに無駄金を使うくらいなら、旅行などの経験に変えたかった。

 40万円あれば、エコノミークラスの世界一周航空券だって買えてしまう。時間のある学生時代なら、世界を一周するチャンスがあった。それなのに目先の快楽に溺れ、小さな出費を積み重ねて浪費した。社会人になってしまうと、世界一周旅行ができるだけの長期休暇が取れるのは、基本的に転職時の有休消化か定年退職後しかない。

浪費により、千載一遇のチャンスを逃したのである。

 買い食いなんて文字通り消化していて何も残らないし、通販で買ったものだって5年も経ったら価値観が変わり、整理してしまったからほとんど残っていない。将来に価値のある何かと交換できる要素が見当たらず、浪費していたことを後から気付いたわけだ。

 当時の最終学歴であった高校時代に今の知識があれば、もっと有意義にお金を使えていたと思うと悔いが残ると同時に、思考の変化によって今の自分が形成されたことを鑑みると、人生において必要な経験だったのではないかと考える今日この頃である。


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