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正直者が馬鹿を見る世の中


バカでもわかるように説明に工夫したところで、そもそもバカは説明を聞いてない。

 2026年から自転車に青切符が導入される旨が報道された際、地方で自転車を足としている身としては、「余計なことしなくてええんとちゃう?」と思ったのが正直なところだ。

 しかし、先日SNS上に投稿された逆走ママチャリが、裏庭の焚き火レベルで炎上し、ネットのおもちゃ化しているのを見てしまうと、悪質な輩を野放しにしないために、一定程度の罰則はやむを得ない状況であり、結局のところ、いつの時代も正直者が馬鹿を見るのだとつくづく思う。

 鉄道員の出自と相まって、規則や法律などを遵守することが自衛手段のように思い込みがちだが、いくら自分自身がルールを守ったところで、相手がキチガイなら貰い事故は起きるわけで、馬鹿正直にルールを守ることで、却って不自由な目にあったり、損をしたりすることが多いのもまた事実である。

 そうして、バカを基準にした低レベルな制度設計となるが、そもそもバカは説明を聞いてない。故に制度上で締め付けようが締め付けまいが、俺がルールだ状態が変わることはないため、効果は今ひとつだ。

 結局のところ、正直者だけが以前よりも締め付けられ、バカはバカのまま野放しにされて、余計に生きづらくなるのがオチであり、それであれば、何のために罰則を設けるのだろうか。この罰則に意味はあるのだろうかとも思い、冒頭の「余計なことしなくてええんとちゃう?」に繋がる。

行き着く先は、方法的懐疑

 世間一般では、自転車=チャリカスのステレオタイプが強いと思われ、道路上では邪魔者扱い、歩道上では危険因子扱いと、自転車乗りの肩身は狭く、だったらどこを走ればええねん!と思うことが往々にしてある。

 技術に罪はない。自転車は燃料を使わずに、人間の移動効率を高めることができる画期的なアイテムで、やれSDGsだ、EVシフトだと声高に叫ばれているが、自転車こそ究極のエコロジーである。

 1960年代にイギリスの都市計画専門家であるブギャナン氏が、車の保有台数が550台/千人の状態(日本はこれよりも多い)で、一斉に使用できる道路計画は物理的・財政的に不可能であると結論づけており、高度経済成長とセットだったモータリゼーションに綻びが生じている以上、サイクリゼーションを推進した方が良いとすら思う。

 それにも関わらず、クソみたいな乗り手のせいで、世間から自転車が敬遠され、輪業そのものが尻窄みになってしまったら、これまで培ってきた自転車全般の技術そのものが失われてしまう懸念すらある。

 私はかつて電車を運転していたため、乗り物は違えど、運転に関してはプロと言っても過言ではない。息を吸って吐くように信号表示や標識、通行区分、周囲の状況を確認した上で、ベストと思しき判断を自問自答しては実行し、思うような結果が得られなければ検証するプロセスを繰り返す。

 そこまで徹底しても、ヒヤリハットがゼロにはならないのは、プ○ウスを代表とする乗用車にも、クソみたいな乗り手がごまんと居るからで、行き着く先は全てについて疑うべしという方法的懐疑となり、中世ならデカルトのように近世哲学の祖として崇められたが、現代では単なる性悪人間の域を出ない。

 しかし、この方法的懐疑という革新的な哲学の出発点は、不確実性を否定していき、確実なものは何か?と自問自答して真理に辿り着こうとするアプローチであり、それが「我思う、ゆえに我あり」へと繋がっていくと考えると、哲学に対する見方が変わってくるだろう。

確実なものは何か?

 例えば自転車で車道の左端を走行しているとする。車と並走している中で、交差点に差し掛かり、自転車である自分は直進したい。車はウィンカーを出していない。

 左折の合図を出していないから、確実に巻き込まれる心配がないと言い切れるだろうか?もちろん否である。ウィンカーが玉切れしている可能性。そもそも乗り手がキチガイでウィンカーを使わない可能性…考え出したらキリがない。

 では、確実なものは何か?フロントタイヤの舵角が真っ直ぐ向いている車なら、摩擦係数が著しく低下しない限り、左に曲がって巻き込まれることはない。

 そもそも、車が居なくなるまで様子を見て、単独で渡れば物理的に巻き込まれる要素は無くせる。教習所に引っ掛け問題にありがちだが、青信号は進んでも良いであって、必ず進まなければならない訳ではないのだから、危険を感じたら一旦停まり、自分のタイミングで進むのが確実ではある。

 確実なものは何か?と考える癖は、別に交通安全に限った話ではなく、日常生活全般で役立つスキルである。

 例えば、昨今新NISAを機に投資熱が高まっており、それに便乗した投資詐欺も活発化している印象がある。

 詐欺の目的は相手のお金を騙し取ることなのだから、確実なのは、誰かにお金さえ渡さなければ、取られようがない。

 だから絶対に儲かるとか、年率20%超とか、短期間でXXX万円が確実に○億円に的な、胡散臭い案件だと少しでも感じたら、金融庁が管轄する、金融商品取引業者登録一覧に記載されているか。お金を預かる系の儲け話を持ってきた人が、果たして投資助言・代理業の登録を受けているのか、お金を渡す前に確認すれば、詐欺被害に遭うことはないだろう。

 この方法的懐疑をマスターすると、正直者が馬鹿を見る世の中で、確実なものは何かの輪郭が浮き彫りになり、正直者でも馬鹿を見ない生き方ができるようになるかもしれない。


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