月120時間を超えて残業していた私が得たものと失ったもの


過労死ライン超過! 社畜だった頃を振り返る!

月120時間を超えて残業

以前、月120時間を超えて残業していました。

正確に言えば何時間働いていたのかは定かではありません。120時間を超えたところで怖くなって計算を止めました。

毎日終電帰りは当たり前。
ひどいと徹夜。
帰宅後1時〜2時に就寝するも、4〜5時頃起きだして自宅で仕事をし、それから出社してまた終電まで働くという日々でした。

昼食をとることもできない時や、夜9時になることもしばしばでした。
土日はどちらか休めたらラッキーです。

休みのはずが朝電話で出勤命令

休みだと決め込んで寝ていたら、朝上司から電話が来て「子供との約束があるから代わりに出社してほしい」なんてことも言われたものでした。
こんな時も代休は出ないです。
代休をもらえたのは5パーセントくらいの確率でした。

大型連休は“ゆっくり仕事ができる時間"

連休なんてものは存在しない

年末年始やゴールデンウィークは休みではありませんでした。大型連休は休みではないです。ただ“ゆっくり仕事ができる日”です。

一ヵ月に一日も休みがない日もありました。最大およそ34日連勤だったかな。本当に社畜でした。
定時帰りなんて年に2度あるかどうかです。

プライベートもないし、好きな事を学ぶ時間も当然ないです。

残業代は固定4万円、ボーナスなし

こんな過酷な環境にいたのですが、零細企業でしたので、残業代は固定残業代として月4万円程度。
それを超える額は当然、もらえませんでした。

ボーナスももらったことがありませんでした。私だけではないです、役員さんも。
結果私がもらえていたのは、大卒初任給にも及ばない金額でした。

自炊もしている時間がなかったので、当然毎食外食か食パンをかじるのみ。貯金なんてできませんでした。

当然病気になった

仕事をしてから1年半が経った頃、体に異変が出てきました。下腹部に刃物で刺されるような激痛が襲い、病院に運ばれます。

それで通院と称して遅番出社できるようになったのですが、メンタルもおかしくなってきたので、なんとか仕事の合間をぬって4時に会社を抜け出し、労基署に相談に行く前に、法テラス的なところに電話をしたのを今でも覚えています。

専門家の見解「それは違法」

労働相談の専門家の人は「それは絶対違法だから訴えられる」とがばってくれました。
不幸中の幸いにも、会社の管轄の労基署は全国でも厳しいらしく、絶対問題にしてくれるとのことでした。

立証のための準備と、訴え後の業界での立場

ただ問題だったのが、タイムカードがなかったことと、もし訴えてしまったら業界から永遠に白い目で見られる可能性があるということ。

ひとまず会社のパソコンの画面をスクリーンショットして帰る日が始まりましたが、結局
私は労基署に訴えることもなく、ほかの会社に転職をしました。

失ったものと得たもの

失ったもの

結果、失ったものは心と体の健康です。
その後の私の人生は、なし崩しのようにどんどん不幸になってきました。
頑張りたいときに頑張れないのです。
今、週2日ですら働けない状況です。

得たもの

今、得たもの。
それは仕事のスキル、と言いたいところなのですが、誰にでも身に着けられる浅はかなスキルのために、何よりも大事な、健康に働ける心身の健康を失いました。
代償は大きかったです。

当時を振り返ると、なんであんなに会社のために尽くし、自分の体の悲鳴を聞いてあげられなかったんだろうと後悔しています。

早期離職は社会的に体裁もよくないとされますが、そんなつまらない価値観にとらわれて
いる人なんて一蹴すればいいのです。
心身の危険が及ぶ職場からは一刻も早く逃げるべきでした。
その人が置かれている環境は、その人にしかその辛さは分からないのですから。

社長について振り返る

自分たちが遅くまで社畜のように働いている一方で、定時に帰り、都会の一等地に住み、高級スポーツカーなどを乗り回していた社長を思い出すと、つい閉口してしまいます。

はたから見て、お金は持っているし家族にも恵まれているけれど、彼が幸せなのかは疑問でした。私はそんな幸せは要らないなと思っていました。

と、こんな風に好き勝手しゃべっている私ですが、自分を育ててくれた恩も感じています。
辞めるときに感謝の言葉を述べて辞めています。
社長がいなければ 今の私はいないからです。

今はただ、自分一人を幸せにできるよう、それだけを目指して人生を再構築しているところです。
超絶貧乏生活ですが、貧乏なりに食事も工夫して、それなりに生きています。
自分のために食事を作ることがこんなに楽しいことだったなんて知りませんでした。
今まで私は、誰かのためにしか生きてきませんでした。

年の瀬にこんなことをふと、社畜だった頃のことを思い出したので、投稿してみました。


せっかくなので年末年始らしいお話を一つ。
年の瀬というと、紫式部日記で紫式部は「あぁもう年末。年を取ったなぁ」と嘆いています。
なぜ年末に、年齢について愚痴っていたのでしょうか。
これは数え年といって、昔は正月に、皆一斉に一歳年をとったからなのです。
だから「あけまして“おめでとう”」なんです。
誕生日はおめでとうってお祝いしますよね。
昭和24年までは数え年が取られていたようです。

元旦になったら、一つ自分が年を重ねた気持ちで、仕切り直しができればいいなぁなんてぼんやり考えています。
できるかわからないけど。

それでは皆様、新年まで残りわずかですがら良いお年をお迎えください。

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