「だりむくり」感想

こんにちは。れすです。
11月17日に開催された夏川さんの一日ツイ廃体験、とても楽しかったですね。仕事しながら(全部のツイートに即リプしてて本当に仕事してる?)ではありましたが、夏川さんとわいわいするだけじゃなく、TLのフォロワーさんたちともわいわいできてすごく楽しい一日になりました。そんな中、ありがたいことにだりむくりの歌詞について言及してくれました。

リスアニさんのインタビューでも、お酒を呑んで酩酊して、ダメ人間であることを確認しないとというお話がされています。

なんか酩酊してる様が浮かんで、じゃあお酒をテーマに書いてみようかなっていうとこから始まりました。「だりむくり」って言葉も元々どこかで知って、いつか何かで使いたいワードだと思ってメモしてたんです。なのでこの曲はタイトルから決めました。

夏川椎菜が紡ぐ恋愛の歌は、攻撃的で情熱的にリスナーを挑発する。7thシングル「ユエニ」リリースインタビュー – リスアニ! – アニソン・アニメ音楽のポータルサイト https://www.lisani.jp/0000228174/2/

夏川 そうですそうです。こういう場がないとやってらんねえよな!みたいな。やっぱり時々お酒を飲んで、自分がダメ人間なことを確認しないとな!みたいな。

夏川椎菜が紡ぐ恋愛の歌は、攻撃的で情熱的にリスナーを挑発する。7thシングル「ユエニ」リリースインタビュー – リスアニ! – アニソン・アニメ音楽のポータルサイト https://www.lisani.jp/0000228174/2/

ぼくがこれまで投稿した楽曲に関するブログは、作品に込められた意図を解釈するような内容が多かったのですが、上で引用したようなツイートや記事を読む度、どうもぼくは込められた意図と違う形でだりむくりが刺さっているように感じていました。ぼく自身ほとんどお酒を呑まないので、へべれけに、前後不覚になって自分がダメ人間であることを確認する歌詞にあまり共感できなかったのかもしれません。

こうを書くと、フォロワーの皆さまは事あるごとにだりむくりを#Nowplayingタグとともにツイートしているのはなんなん?と思われることでしょうが、たしかにぼくにはだりむくりがぶっ刺さっているのです。夏川さんが詞に込めた意図とは違うかもしれませんが、そういう解釈が聴き手に広く開かれた楽曲であることこそが、ユエニ/だりむくりで作詞家・夏川椎菜の表現が一歩先のフェーズに進んだことの証左でもあると思うのです。そして何より、作り手が作品に込めていないことで刺さっているのは、何なのかはぼくにしか書けないことでもあるので、ブログに残しておきたいと思います。

同じことの繰り返して過ぎていく時間

だりむくりは夏川さんが作詞された楽曲ですが、ユエニ/だりむくりが発売され、歌詞カードを読んだときに衝撃を受けました。「作詞家」として、これまでとは格段にレベルが違う楽曲が来た。ただそう思いました。「作詞」の凄さというのは、情緒的な言葉選びであったり、風景や情景を思い浮かべずにはいられない歌詞だったり、一度聴いたらつい口に出して言いたくなるワードセンスだったりと本当に多様だと思います。その中でだりむくりの作詞で感じた凄さは、その技巧さです。特に「同じ」ことを「繰り返して」いて、それはまるで一つの場所に留まってぐるぐるしているようなのに、時間が「過ぎ去って」いる。そういう逆説な時間の経過がぼくには刺さりました。

具体的な歌詞を挙げるとやはり冒頭からすごい。

馴染みの場所で
同じようなことで競って

だりむくりの歌詞より

まず「馴染み」がいいですよね。一度きりだったら馴染むなんてことはないし、馴染むほどには何度も何度も同じ場所にいたってことが伝わってくる言葉選びです。そしてそこで競う。だりむくりの1番Aメロ〜Bメロは子ども時代を歌っているので、鬼ごっことかそういう遊びで競っていたのかもしれません。

馴染みの場所で
同じようなこと繰り返して

だりむくりの歌詞より

2番でも繰り返し同じ歌詞が登場しますが、5時が17時に変わり、一人称視点も子ども時代から社会人に変わります。時間の経過の表現が良すぎる。

子どものときは24時間表記じゃないのもいいですよね。子どもの頃って、デジタル時計を見る機会が少なくて、家でも学校でも壁に掛かるアナログ時計を見ていた記憶があります。それこそ5時の鐘(チャイム)が鳴るときに見た校舎中央の時計はアナログでした。でも今は定時の時間をパソコンの右上にあるデジタル時計やスマホで時間を見ます。同じ時間を確認するという行為をしているのに、アナログからデジタルに移り変わってしまっていることにも時間の経過を感じますよね。

ところでこの「鐘」には2つの役割があるように感じました。一つはこれまでも伸びたように時間を知らせる役割。もう一つは別れを告げる役割です。子どもの頃、5時の鐘は遊んでいた友達と別れることの合図でした(鐘というかよい子のみなさんと呼んでいた気がします)。じゃあ大人にとっての別れってなんなんでしょうね。

砂に描いた物語

ところでぼくは社会人になってそこそこ時間が経っているのですが、半分以上の職業人生で事業の立ち上げに携わっています。新しく事業を立ち上げるとなると、既存のお客さんからの信用などもないし、それが有望な市場であればあるほど、当然に競う相手がいるわけです。そういった環境の中で馴染みの場所には一緒に「どこまでも追いかけて」くれる仕事仲間がいて、小さくてもなにかの成果を「捕まえて」一喜一憂する時間があります。

“あのひ” の事も
“いつか” 起こるだろう事も
止まらず話したな

だりむくりの歌詞より

そういう人たちと、こういうことを話すんですよね。本当に。それこそ17時(弊社の定時はもっと遅いのですが、定時の意の17時)を過ぎても、どういう事業でどういう世界を作りたいのかなんてクサい“いつか”を恥ずかしげもなく話して。砂......ではないですが、壁一面のホワイトボードにかいて、あーでもないこーでもないと言い合ったりしていました。

belong belongって信じていたら
ムダな何かをくらいそうさ

そうやって戦友みたいに一緒に仕事をしていても、組織に所属していたら、異動なんかがあって、別に死に別れるわけじゃなくても、もう一緒にお仕事ができなくなることもあります。ずっと一緒に仕事ができるって、ずっとチームの所属しているって信じていたら、何かをくらってしまうこともあって、そしてそれはくらわせてしまうこともあります。

ぼくも転職しました。

転職自体は少し前になりますが、ここまでの文章で「馴染みの場所」として思い描いていた職場は今の職場じゃなくて、昔の職場なんですよね。
昔の職場はすごく一緒に働くのが楽しかったし、何かを決めたり、合意に至るのも阿吽の呼吸でした。転職してからも、戻りたいなぁと思うことが半年くらい続いていましたし、コロナでなかなか会うことはできなくなって、2年くらいしてやっと会うことができたんですけど、そのときも戻ってきてほしいと言われたり、ぼくが転職したあとに入社してぼくのことを知らないはずの方も、ぼくが残したコードや資料で名前を見て、熱心に声を掛けてくれたりしたんですよね。ものすごくありがたい。

ボクじゃなくても

繋がるんだ

物語

だりむくりの歌詞より

そう言ってもらえて嬉しい反面、当然のことのようにぼくがいなくても昔の職場は仕事が回っているんですよね。時間とともに砂が均されていくように、物語が繋がっていく。仕事が回っていく。

だりむくりの歌詞カードを見ると意味深な改行に気づきます。ここまで書いてきたものと同じように、ぼくはこの改行も時間の経過の表現だと思っています。砂にかいた物語はすぐには均されないけど、それでも徐々に徐々に均されていく。均されていってしまいます。

ねぇ、いい?

“砂に書いた物語は?”

ボクだけじゃもう
繋げないから

一緒にしよう

だりむくりの歌詞より

昔の職場の話ばかりしてきたんですが、今の職場で得たものもものすごく大きいんですよね。よく強いエンジニアと一緒に働けるのは福利厚生だなんて言ったりしますが、まさにそういう環境にいることができています。より抽象度の高い考え方を上司さんから盗んだり、お客さんに向き合って仕事できたりで、もう何年も月曜日が憂鬱だなんて思ったこともないくらいです。それでもやっぱりベロンベロンになりたい日もあるので、そういう日はいつかまたあの人たちと働きたいと思いながら、堕ちずにもう少し踏ん張ってみようと思います。

だりむくり、めちゃくちゃいい楽曲です。愛してます。

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