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Birth

今日、風邪をひいて家に引きこもっていた。
数日前から体調はおかしかったが、ついに昨晩高熱が出た。
一日中、鼻をかみ、熱をはかり、すすまない食事を摂り、寝ていた。
別に死に近づくような病気ではない、ただの風邪だったが
普段ほぼ毎日どこか外に行って働いている私は虚像で
寝込んでいる私が本当な気がしてきて
どんどん、意識が死の世界へ向かって戻って来られない。

「全然学校に行ってないのにストレートで進んでいくよね」
人が私についてそう言ったことがあった。
思えば小・中学生の時はクラスの中心とはかけ離れた位置にいる真面目な生徒だった。周りが優しかったからか、浮いていることにも気が付かないくらいに、あまり身近な人々に関心を払っていなかった。高校に入ると周囲との小さな差がいきなり気にかかるようになり、ストレスから学校へ行かなくなった。それでもストレートで卒業させてもらい、大学に合格した。不登校癖は抜けず、大学にもまともに行っていなかったが、これもストレートで卒業した。

そんなことだったので「しっかりしたキャリアのある人」と評されることもあった。しかし実際の私は漠然と「生」に違和感を抱えていた。世の中で、周りを見ると手首に傷がある人も、何かを過剰に頼ってしまう人もいる。私は彼等のように、「死にたい」わけではなかった。お金を稼ぎたいと思えない、衣食住を整えたいと思えない、人と話すことが苦手、つまり、外側のほうに向けて輝きたいという風に思えなかった。それが甘えとみなされることはわかっていたから、矯正することばかり考えていた。

音楽を仕事にしてのべ2年経った。
私にとって音楽を仕事にすることは、「お金をもらう」ということではなく「ずっと音楽について考えていて良い」という特権だった。
子供に楽器を教えていると、しばしば「正しく振舞おう」とする子供たちや「振舞わせよう」とする親たちに出会う。
少なくとも私のレッスン中では、全くその必要はない、と伝えたい。お母さんが、礼儀に厳しい方針でさえなければ。
音楽とは、もっと、心の内側と対話する行為であると思うからだ。それが「正しい気持ち」ではなかったとしても。
そのためならば、私などごあいさつされなくても、レッスンを欠席されても構わない。
そう言いながら、私という人間からその要素を感じることはあまりないだろう。ふだんのレッスンでは、普通の教則本通り、リズムや音符の長さ、楽譜の読み方を教えて、弾けたら喜ぶ。「先生」と呼ばれて、ごあいさつされて、返事をする。その繰り返しから、生徒はシンプルに「先生の前で、楽譜通り弾ける喜び」を感じて奏法を習得していく。
それで良かったのだが、どうしてもその先に何かを感じようとしてしまう自分がいる。

今、私は音楽を前にして苦しんでいる。
最近は難曲や超絶技巧に挑戦しているのではないので、テクニックの問題で苦しんでいるのではない。
問題は、「自分の音楽」がわからないということだった。ルーツとでも言えばよいだろうか。
日本に産まれて、絶対にその精神性を100%は理解することのできないクラシックピアノの教育を受けるために、時代の流行の音楽から目を背けて、課題の曲ばかり弾いてきた。
本当に懐かしさや心地良いグルーヴを感じる曲、衝撃を受けた音楽の記憶、そういったものが思いつかない、もしくは、思い出せない。
そうすると、何故私は音楽をすることに執着し続けたのかも、疑問となってくる。あこがれたアーティストも、好きな曲も無く、お金を稼ぎたいわけでもない。

音楽を「生」の材料としたいのに、「自分の音楽」がわからないということは、私にとってそれは、心臓が止まることよりも、「死」に近いことだった。ほんとうに「自分の音楽」を、弾くことができたら、踊ることができたら、書くことができたら、描くことができたら、それによって人と繋がることができたら。それは言語となり、私はこの世に生まれることができるのではないか。

私は、探している。

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