素晴らしい作品は崇拝するのではない、超えていくものだ。
今回の東京旅行で、沢山の展覧会を回った中で素晴らしい作品をいくつか目の当たりにした。
私は常に大切にしている考え方がある。
それは、「素晴らしい作品をありがたがりすぎない」ということだ。
いつまでも「あの人はすごい」「あの作品はすごい」なんて崇拝していると、一生その人を追い越すことはできない。指をくわえて背中を見ているだけだ。
そうではなく、「たしかに素晴らしいけどオレだっていつか追い越すことができる」と無条件に自信を持つことが大切なのではないだろうか。
これはやや生意気な表現かもしれないが、そう思うのだから仕方がない。私は反骨精神の塊なのだ。
素晴らしい作品を見たら悔しいし嫉妬する。
だからこそ、いつかオレだってと自分を鼓舞していくのだ。
そうやって自分でつまずき、探していくから独自性が生まれる。
私は誰か特定の人を「先生」や「師匠」と支持したことはないし、きっとこれからもないだろう。主従関係が生まれることに抵抗感がある。
これはデザインに限った話ではない。
私は趣味で合気道を習っているのだが、稀にとんでもないレベルの合気道家に出会うことがある。
まさに触れただけで自転車事故のような衝撃がはしる。
しかしそれをありがたがりすぎてはいけない。
確かにすごいけど、「オレだってこの人のもっと上のレベルの技をいつかできる。」
そう自分の心に着火するのだ。
人にヘコヘコ擦り寄らない。徒党を組まない。
常に自分で選択し自分だけを信じて歩いていきたいものだ。
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