社会不適合者の私が初めて「この人についていきたい」と感じた日
私は社会に馴染めない。
社会で当たり前とされていることができない。
というより、やろうと思えばいくらでもやれるが自分に嘘をついているようで、それが心地悪くてできない。
嫌なものは嫌というし、嫌いな人は嫌いだし。
嫌いな人と顔を引きつらせながらコミュニケーションをとるのは嫌だ。
歳上というだけで威張ってくる連中には、すぐに「ふざけんな」という姿勢になる。だからフリーランスという道を選んだ。
もちろん一般教養とされるような「お決まりのビジネスマナー」なんてものは私は無視だ。私は絶対に社交辞令はしない。(もししてしまった時は謝る)
しかし、「人に不快な思いをさせよう」とか「あいつが嫌いだから嫌な態度をとろう」なんてことはしない。
ただ、誰にでもフラットに付き合うように意識しているだけだ。
だから、初めて出会った小学生にも、〇〇会社の社長にも基本的に同じような態度で接する。
そしてエライ人には生意気ということで嫌われる。
しかしこんな私でも生まれて初めて「この人についていきたい」と感じた人がいるのだ。
それは私が趣味として習っている合気道の先生だ。(ここでは仮にタケウチ先生としておこう)
タケウチ先生は70過ぎのおじいちゃんだが、私が道場に入って半年間(お互いに関係性が出来上がるまで)は「森田さん」とずっとさん付けで呼んでくれた。もちろん敬語だ。
70過ぎのおじいちゃんが、会社の関係でもないのにこの姿勢はなかなか出来るものではない。
普通、「先生」と「生徒」という立場では必ず主従関係が生まれる。よって「エライ先生」が出来上がってしまう。構造的に仕方がないことだ。
しかしタケウチ先生は、先生だからといって決して威張ったり、自分の意見を押し付けたりしない。
自分が間違えたら「これは私のミスです」とニコニコ笑いながら頭を下げるし、「私はこうゆうやり方でやってるので納得したらやってみてね」というスタンスを貫いている。これほど柔軟な思考をもった70歳はなかなかいない。
だからと言って、ただヘラヘラして生易しい性格というわけではない。ダメなところはダメと指摘するし私も何度か怒られたことがある。
ダメなところは個人的にこっそり指摘してくれるし、褒める時はみんなの前で褒めてくれる。
普段からリスペクトをもって接してくれているので怒られた時も全然ムカつかないし素直に受け入れることができる。
なんか私がやたら短気で怒りっぽい性格なように描いてしまったが全然そんなことはない。(むしろかなり穏やかなほうだ)
ただ、心の中では嫌いだけどヘラヘラ合わせておこうという姿勢ができないのだ。
私は、一度良い関係性ができたら基本的に「なんでもオッケー」だ。よっぽどのことがあっても怒らない。
いつか私もタケウチ先生のように大きな器を持った男になりたいものだ。
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