【読書論】難しい本を難しいまま読むことで脳は鍛えられる。
今日は読書の話をしようと思う。
私は学生時代から本を読むことが好きで、今まで沢山のジャンルの本を読んできた。
読書をする上で、私なりに大切にしている本の読み方が一つある。
それは、「難しい本を難しいまま読む」ということだ。
今や書店を歩けば「1分で身につく!」や「教養としての〇〇」なんてタイトルが多く見受けられる。
なんだか、「知性というやつはここまでインスタント化されたのか」なんて感じてしまう今日この頃だ。
だからといってそういった本を読まない訳ではない。むしろ、めちゃくちゃ読む。(どないやねん)
しかし同時に、理解の難易度が高い本も読むべきだと考えている。
難しい本を読むと当然疲れる。
全然理解できない上、だんだん眠気もおそってくる勢いだ。
しかし、そうやって理解できるように努力をしていけば、少しずつ脳が拡張していく感覚がある。
今まで理解できなかったことが、理解できるようになる瞬間があるのだ。
例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』なんかは今や様々なバージョンが書店に並んでおり、簡略化された書籍もたくさん存在する。
しかし私は、あえて岩波文庫などの難しいバージョンの本を読むようにつとめてきた。
原文に近い書籍でしか得られないことは絶対にあるのだ。
しかしまだまだ私には課題がある。
ハイデガーや、ロールズなどのゴリゴリの哲学はあまりに難しすぎて今の私のレベルではサッパリわからない。ロールズの『正義論』なんかは、買ったもののあまりの難易度の高さに3ページで読むのをやめた。(8000円もしたのに、、)
しかしこれもまたトレーニングで、分からないなりにとりあえず1ページだけは理解できた。という積み重ねをしていく内に、スラスラと理解できる日がいつか来るのではないかと思う。きっとくるはずだ。
そう、読書は脳の筋トレなのだ。
絶対にムリと思っていた100キロのバーベルだってトレーニングを続ければいつか上げられるのだ。
知性は、一朝一夕に身につくものではない。
何度も思考を繰り返し、自分の頭の悪さに絶望しながら天才たちとの対話を続けていく作業だ。
いつか『正義論』も読破したいなあ、、なんて考えた一日だった。
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