森田蓮

1999年生まれ / 高知在住 / フリーランス / グラフィックデザイナー / 暮ら…

森田蓮

1999年生まれ / 高知在住 / フリーランス / グラフィックデザイナー / 暮らしのつぶやきと、少しのデザイン。ただの日記です。

最近の記事

【前編】超我流!独学でグラフィックデザインを学んだ方法

なんかエラそうなタイトルにしてしまったが、私はまだまだ勉強中で実力不足な部分も多い。 その前提で、独学でグラフィックデザインを習得するにあたって自分なりに大切にしている要素を5つまとめてみた。 その1、とにかく作りまくる その2、毎日1つ、誰にもわからない改善を重ねる その3、再現性を見つける その4、とにかく良いものを見まくる その5、自分の感性を信じる それでは順を追って説明していこう。 まずはその1、「とにかく作りまくる」だ。 残念ながら手を動かさない限り絶対に

    • 前言撤回を恐れると成長できないと思う話

      私は自分が間違っていたと判断したらすぐに前言撤回をするという人間だ。  過去にどれだけ強く信じていたものだとしても、「なんか違うな」と思ったらすぐに手放す。執着がない。 私は岡本太郎の「過去の自分を殺していく」という言葉がとても好きだ。 そう、過去の自分というのは思い出にひたったり、思いを馳せるものではなく殺していくものなのだ。 過去の自分を否定するということは、今の自分はいい方向に前進・成長しているということだ。 私はデザイナーになる以前はアパレルで起業をしていたの

      • タネは1年2年じゃ育たない

        世の中には短期的にしか物事を見ることができない人が非常に多いように思う。 「1年2年頑張ったけど、結果が出ないんでやめました」とか「1回失敗したのでやめました」とか。 私は田舎に住んでいるので実感するのだが、自然の時間軸はとても長い。 例えば、木を植えることを想像してほしい。 タネを植えて、1年2年ではもちろん育たない。 どんなに努力をしても残念ながら育たない。 「桃栗三年柿八年」ということわざがあるように、タネを植えてから実がなるまで3年も8年もかかるのが当たり前

        • 素晴らしい作品は崇拝するのではない、超えていくものだ。

          今回の東京旅行で、沢山の展覧会を回った中で素晴らしい作品をいくつか目の当たりにした。 私は常に大切にしている考え方がある。 それは、「素晴らしい作品をありがたがりすぎない」ということだ。 いつまでも「あの人はすごい」「あの作品はすごい」なんて崇拝していると、一生その人を追い越すことはできない。指をくわえて背中を見ているだけだ。 そうではなく、「たしかに素晴らしいけどオレだっていつか追い越すことができる」と無条件に自信を持つことが大切なのではないだろうか。 これはやや

        【前編】超我流!独学でグラフィックデザインを学んだ方法

          旅とクリエイティブ、私の街の歩き方。

          今回、東京に2泊3日の旅行に行った。 私は普段、高知県のど田舎に住んでいるため、定期的に東京に来て街の刺激に触れることを大切にしている。 心をフレッシュに保つためだ。 そこで今回は、私なりの街の歩き方を書いてみようとおもう。 多分、かなり独特な街の歩き方をしているのでぜひ最後まで読んでほしい。 まずはじめに、私は旅先では必ず美術館に行くようにしている。今回は1日で 21_21 design sight ↓ 国立新美術館 ↓ 東京都庭園美術館 ↓ ギンザグラフィック

          旅とクリエイティブ、私の街の歩き方。

          「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観が嫌いな話

          私はこの言葉がとても嫌いだ。 なんか、日本特有の村社会的な萎縮したイメージをいつも持ってしまう。 人に迷惑をかけてはいけないという言葉の背景には「私はあなたの間違いを許さない」というメッセージ性があるように思う。 人は生きていたらどうしても人に迷惑をかけてしまうものだ。 例えば、自分が初めてするチャレンジで失敗したら周りの人に迷惑をかけてしまうかもしれない。身の丈以上のことをしてしまって、失敗したら周りの人に迷惑をかけてしまうかもしれない。 別にいいではないか。 人

          「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観が嫌いな話

          「道端に咲く一輪のたんぽぽ」に感動できる心をいつまでも持ち続けたい。

          歳を重ねるにつれて人の心というのは鈍化していくものだ。 幼い頃は公園の草花を見つめては心を動かされ、田んぼの虫を捕まえてはその生命のたくましさに心を動かされた。 自然は心を繊細にしてくれるが、社会というのは心を鈍化させていくシステムなように思う。そしてクリエイターにとって常に心を繊細に保っておくことは非常に大切だ。 繊細だからこそ普通の人が見過ごしてしまうところにひっかかる。繊細だからこそ人とは違う個性が生まれる。 私は「道端に咲く一輪のたんぽぽ」に感動できる繊細な心

          「道端に咲く一輪のたんぽぽ」に感動できる心をいつまでも持ち続けたい。

          私は人からのアドバイスなんて聞かない傲慢な人間だ。

          やや挑戦的なタイトルにしてみたが、枕詞(まくらことば)を付け足すと、「頼んでもないのに」だ。 もちろんお互いに意見を交換する場では素直に聞き入れるように意識している。しかしそれは意見交換であってアドバイスではない。 私は自分で人生をコントロールすることに幸福を感じる。 私はどれだけエラい人からアドバイスを受けても無視するという傲慢な人間だ。 たとえそれが、私が尊敬する人からいただいたアドバイスであってもだ。 自分の頭で考えて納得したら受け入れるが、「あの人がそう言った

          私は人からのアドバイスなんて聞かない傲慢な人間だ。

          「人それぞれ意見は自由だよね」は何も言ってないのと同じ

          先に言っておくが今日はめちゃくちゃ短い。 投稿しようか迷ったが、平日は毎日投稿すると自分の中で決めたので無理矢理にでも投稿する。 私は何かしらの意見を求められたり、発言権がある時に、「人それぞれ意見は自由だよね」という発言はしないように心がけている。 この言葉はついつい言ってしまいがちな言葉だ。 一番無難で、好かれもしなければ嫌われもしない。 あたかも、「私は冷静で客観的に物事を見ています」みたいな雰囲気を醸し出しているが、その中身は結局のところ何も言ってないのと同じだ

          「人それぞれ意見は自由だよね」は何も言ってないのと同じ

          男というのは弱くて情けない生き物だ

          男というのは弱い生き物だ。 特に、強がってエラそうな男ほど弱い。 私は女ではないので、女性の気持ちや生き物としての特性について実感として分からないが、たぶん男よりも女の方が強い。 男というのは 自分より権力を持ってる人間に対して「ふざけんな」とおもう 自分よりカネを持っている人間に対して「ふざけんな」とおもう 自分よりケンカが強い人間に対して「ふざけんな」とおもう そんな幼稚な心を持った生き物だ。 頭では「そんな尺度はくだらい」と分かっているが、男という生き物は自分よ

          男というのは弱くて情けない生き物だ

          「1年前の自分は恥ずかしい」という感情を大切にしたい話

          物事は長期的にみることが大切だ。 短期的に成果がでたり好転していくことはほとんどない。 1年や2年、3年頑張って成果が出なくてもめげない精神を大切にしている。だってそれは当たり前のことだから。 私はいつも「1年前の自分は恥ずかしい」という感情が持てるかどうかで、今歩んでいる道の正しさを再確認している。 なぜならこの感情が芽生えるということは、間違いなく現在は1年前と比べて進化しているということだからだ。そして進化というのは成長だ。 これは、常にコツコツとレベルアップし

          「1年前の自分は恥ずかしい」という感情を大切にしたい話

          社会不適合者の私が初めて「この人についていきたい」と感じた日

          私は社会に馴染めない。 社会で当たり前とされていることができない。 というより、やろうと思えばいくらでもやれるが自分に嘘をついているようで、それが心地悪くてできない。 嫌なものは嫌というし、嫌いな人は嫌いだし。 嫌いな人と顔を引きつらせながらコミュニケーションをとるのは嫌だ。 歳上というだけで威張ってくる連中には、すぐに「ふざけんな」という姿勢になる。だからフリーランスという道を選んだ。 もちろん一般教養とされるような「お決まりのビジネスマナー」なんてものは私は無視だ

          社会不適合者の私が初めて「この人についていきたい」と感じた日

          デザインは理屈よりも感覚が上回る世界がくると思う話

          近年、AIの台頭によりほぼ全ての仕事がAIに代替されうる世界に突入している。 デザイン業界も例に漏れず、仕事が無くなってしまうリスクが常にある業界だ。(まあ別にそれでいいと思うが) その上で次の10年は、デザインにおいての知識(技術)はもちろんのこと、それ以上にこれまで培ってきた感性・感覚で差別化をはかるしかない時代が訪れるような予感がしている。 なぜなら知識や技術は「論理」で固められていることが多いため、AIで再現可能だからだ。 「これがこういった理屈で、このデザイ

          デザインは理屈よりも感覚が上回る世界がくると思う話

          【読書論】難しい本を難しいまま読むことで脳は鍛えられる。

          今日は読書の話をしようと思う。 私は学生時代から本を読むことが好きで、今まで沢山のジャンルの本を読んできた。 読書をする上で、私なりに大切にしている本の読み方が一つある。 それは、「難しい本を難しいまま読む」ということだ。 今や書店を歩けば「1分で身につく!」や「教養としての〇〇」なんてタイトルが多く見受けられる。 なんだか、「知性というやつはここまでインスタント化されたのか」なんて感じてしまう今日この頃だ。 だからといってそういった本を読まない訳ではない。むしろ、め

          【読書論】難しい本を難しいまま読むことで脳は鍛えられる。

          「お笑い」を複数人で見ると気まずくなる現象

          私はお笑いが好きだ。 というか、ダウンタウンが好きだ。 「ごっつええ感じ」はもちろん全て見たし、「ガキ使トーク」も「松本人志の放送室」もほとんど全部楽しんだ。学生時代は、「IPPONグランプリ」も欠かさず見ていた。 しかし、、 私は一人でお笑いを楽しみたいのであって、複数人でガハガハと笑いたいわけではない。 というか、複数人で心からお笑いを楽しむことは難しいのではないかと感じている。これが今回のテーマだ。 これは昔から感じていたことなんだが、どうしてお笑いを複数人で

          「お笑い」を複数人で見ると気まずくなる現象

          体験してみないと分からないことがある。

          私は、自分が知らないものに対して良いとか悪いとか無闇に評価しないようにしている。 それは、世の中には口では絶対に説明ができない、体験してみないと分からないことが沢山あるからだ。 例えば、水泳を想像してほしい。 クロールや平泳ぎの泳ぎ方や、水の中に入った時の浮力感、抵抗感は絶対に言葉では説明できない。 「こういった理屈で浮力感や水の抵抗を感じることができます」と理屈で説明することはできるが、実際に水の中に入った時の感覚は説明不可能だ。 「とりあえず入って感じてみて!」

          体験してみないと分からないことがある。