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卒業制作で土偶を作った話 日記編②


あらすじ

卒業制作で新しい令和の土偶を作る!と意気込んだはいいものの、手を動かしても動かしても完全に迷宮入りし始めたので、原点回帰しようぜ!ということで、土偶のリサーチをはじめることにするのだった———・・・!

詳しく知りたい人用の前回

夏休み到来

夏休みだ〜!やった〜!なんてことはなく、日々黙々と土偶の調査をしておりました。
具体的に何をしていたかと言うと…

なんか思いつきでスケッチしてインスタに載せたやつが結構評判良かったので、単純な私は
「これ、私がスケッチした土偶使って年表作ったらいいんじゃね?」と考えました。
これが私を苦しめることも知らずに……

スケッチは、最終的なグラフィックにした時、パッと見て時代のかたまり、地域のかたまりがはっきり見えてくるように、時代や地域で色を変えながらスケッチしていました。
まあ正直言うと私が色鉛筆を使うのが得意だったからという理由もあるんですが…

全部色鉛筆で書いてます。
かわい〜〜〜〜♪

という感じでスケッチしていくうちに、地域ごとの特徴とか、その時代の環境とかがなんとな〜く分かってきたり、取材した際におすすめしてくださった本を読んでみたり、土器のことも調べてみたり、としているうちに8月下旬になりました。

夏休み終了目前でレイアウトの進捗はほぼゼロ

血眼になって、なんとか夏明けの中間プレゼンに間に合うようにレイアウトしました。
年表とか作ったことないよーーーーーーと大泣きしながらパソコンを叩いていたのを覚えています。

ちなみに土偶は50体ほど描きました。
土偶造形の変化の流れを意識したので、結構マイナーな土偶も描いてます。資料探すのがめっっっっっっっっっっっっっっちゃ大変でした。

ゼミ室で駄々をこねるわたし。
こんな人間でも卒制作れるよ!

9月〜迷走期2〜

土偶のことは「理解」ったな?じゃあどうする?

どうしよう…………………


9月はずっとこれ。

私は土偶のことを知りすぎてしまったのでしょうか?
そんなはずはないんですけど…
まあつまり、土偶の厄介オタクと化してしまった訳ですね。

「理解」と言ったけど、ここの時点であまり結論は出てきませんでした。
結論として土偶が何者だったか、考古学的にはまだまだ色々な説があることがわかってしまったからです。
ですが作品という媒体に落とし込む上で、自分の中の軸が決まっていないと鑑賞者には何も伝わりません。
もうこうなったら、自分の中で「土偶は何か」を定めよう思いました。

調査で分かったこと

  • 地域、時代ごとに造形が大きく異なるのにも関わらず、その地域の中ではある程度造形が継承され、変化していくこと

  • 土偶と地域、時代は切っても切り離せない関係にあって、それと同時にそこに住む人たちとも深く結びついているのではと思った。

  • つまりその地域ごとに「土偶」の在り方や形状は異なる=土偶は目には見えないもの?

私にとっての土偶ってなんだ?

私にとっての土偶って、神様でも妊婦でも何でもなくて、ただのなんか面白い形をした土の人形。
遮光器土偶を、宇宙人だ!って言ってる人もいますよね。これも面白い。
これは推測でしかないけれど、縄文人から見たら集落の守り神だ!と思うかも。
そんななんでもOKな在り方がすごく美しいと思うし、好きです。
(学術的に正しいかはさておき、〇〇のように見える〜と楽しむのは鑑賞のあり方としてめちゃくちゃいいじゃん🎶と思っています。)

誰が何のために作ったのかも何もわからないのに、私たちに「何者か」にされてしまった彼らは、何も喋らず、黙ってそこに在る。
彼らが仰々しくそこに「在る」だけで、私たちは彼らに美意識や特別な感情を向けようとする。それがすごく面白い。

「土偶でもあるし、宇宙人でもあるし、神様でもある」
という鑑賞の余白感が好きなのだろうな、と思いました。

結論

「土偶とは、この世に存在するあらゆる概念(観念)を目に見える形で翻訳したもの」

以上の分析、たくさんの方のアドバイスを経て紆余曲折しながらこのような結論に至りました。


縄文人の翻訳元が何だったかは私たちにはわからない。じゃあこの翻訳元を誰もが知っているものに置き換えたら「土偶」という存在を知らない人、わからない人も楽しく鑑賞できるのでは?と考えました。


みなさん、「ムンクの叫び」と聞いてどのようなイメージが浮かびますか?

「ウニャウニャしてるやつ!」とか「頬を両手で押さえてるやつ」とか、はっきりとした絵画の全体図が浮かんでくるわけではないけど、なんとなく覚えている人が多いかと思います。

つまりみなさんの脳内に概念としての「ムンクの叫び」が構築されているとも言えるのではないでしょうか。

そんな姿形が何百年も変わらず人々に愛され、概念として形成されてきた存在、

「教科書に載っている美術品」を土偶にする

人の中にぼんやりと形成されている「ムンクの叫び」を土偶という翻訳機にかけた時、その土偶は「ムンクの叫び」という概念の具現化になります。

その土偶を「ムンクの叫びじゃん!」という人がいれば「もしかして土偶?」という人もいる。もしかしたら、ムンクの叫びでも土偶でもない、全く違う存在になりうるかもしれません。
見た人によって姿を変える、鑑賞の余白感を残した作品が作れるのではないかと思いました。


ここまで、たくさんの人の手をお借りして、なんとか結論にたどり着いたはいいものの、もうすでに10月に突入していました。
やばい。

締切まで3ヶ月あるかないかのギリギリのラインです。
特に思考を語るまでもなく必死に作り続けました。

卒業制作を頑張るみなさん、もっと早くテーマを決めましょう。

〜日記編 完〜


次回
完成した作品とその小ネタを話す土偶オタク


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