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ポジティブという病

ホント、このネタもうこれで終わりにしますね、すみません。(;´Д`)

はっきり言って、なんでこんなにこのネタで書けるかって、もう恋愛のよくあるパターンがてんこ盛りで、ついつい解説したくなるからなんだよね~

で、本題ですが、このネタの本丸ベッキーについて。

もー、いろいろ突っ込みどこは満載ですけど、(センテンススプリングとか!)正直、世間でバッシングされてるほど私は、ベッキーがやらかしたことについて、なーんとも思ってないっていうか、超自分に関係ない話なんで(当たり前か)怒ってる人がまったく意味わかんないなって感じのスタンスです。

そのうえで、あまりに情報が詳細に入って来るもんだから、ついいろいろ考えちゃったって感じ。基本は、マジで、ベッキーが不倫していようが、広告から締め出されようが、私の日常にはなんの関係もないです。

そもそもベッキーって人にこれまであんまり興味なくて、ちゃんと考えたこともなかったんだけど、今回、「あーベッキーってこんなにポジティブ教の人だったんだね~」っていうのと、「こんなに優等生さんだったのね」ってことを知りました。今さらですが。だからみんな怒ってる??のかしらね。(だとしても怒られる筋合いないっていうか、芸能人が実はどんな性格でもほっとけよって感じだよね。誰だって、表で見せる顔と裏で見せる顔はちがうでしょ。)まぁ、ベッキーの場合、あまりに埃一つ出ない私生活だったのがスポンサーに受けて、そこに大金が支払われてたので、スポンサーが、契約違反を怒る、それは仕方がない。それはまぁ契約違反ですもんね。でも、それ以上の、実はキレイに見せていた内面がちょっと陰った(とも私は思わないんだけど)というだけで、怒る人の意味が分かりません。

一個ベッキーを本気で擁護するなら、最近の世間の皆さんの反応はちょっと異常ですよね。正論を吐けば誰でも王様状態??(それが本当に正論かすら検証されてない状態で)間違ったことをした人は死ぬまで叩かれても仕方ないって風潮?マジで怖い。あと、ある人格が世の中に確立されている人に、実は別の面が見えたり、弱ってたりすると、そこを突いてくる人がいるってこと。例えば私は、ベッキーなんかの足元にも及びませんが、たまーに何か卑屈なことでもブログで書こうものなら、すごい剣幕で「失望した!」「私の好きな恋愛部長はそんな人ではなかった!」と書いてくる人がいる。マジで、知るかよ????!!!!!って叫びたくなること多々。勝手に私のイメージから偶像をつくりあげといて、それを裏切られたからって本人に怒るって、ちょっと考えれば異常だって分かるでしょ?知らんがな。私は生身の人間で、つねに変化するし、自分でも自分がどんな存在かなんかわからないんだって。養老孟子先生も、『自分の壁』かなんかでそんなようなこと書いてましたよ。

だけどね、やっぱり他人から見られる商売してるベッキー、イメージを売り物にしてるベッキーみたいな人は、すごく極端なストレスにさらされてると思うんです。つねにポジティブで、つねに素直で、いつも正しくて清純で、そんなキャラクターを望まれるからその面だけを出して、もしかすると、自分自身もそうやって、ポジティブであることの呪いにかかってたんじゃないのかなー?と思う。そこから外れたことを言ったり書いたりできないという呪縛。

私は、自分自身、30代後半に、恋愛部長の肩書に振り回されてたときがあって。なんていうか、うまくやらなきゃって自分で肩に力入っちゃってさ。私は恋愛部長で恋愛ブログ書いてるんだし、いろいろ失敗する理由もわかってる、だから、私はうまくやらなきゃって。そのころ、ポジティブって言う宗教にも一瞬傾きかけた。「つねにポジティブな発想だけをして、後ろ向きなことは心に思い浮かべるのもダメ!」って。引き寄せの法則とか読んでさ(爆)今思うと、自分の中のネガティブな部分や、卑屈で劣等意識の強い部分を、なんとかしたかったんだと思う。その方策のひとつで、「ポジティブシンキング」(笑い)ですよ。まぁありがちな道通ってますよね。(;´Д`)

で、私自身の経験なんですが、結論としては、「ポジティブ思考でなければならない」っていうのは、一種の強迫観念。病気なんですよ。無理なの。そんな人間いないの。なんでもポジティブにとらえる。そうすればポジティブな状況を引き寄せる。そうポジティブ教の人は言うんだけど、かなり発想に無理が出てくる。「あぁ、あの人が嫌い・・」→「ううん!あの人を嫌いって思うからあの人が嫌な面が見えるのよ!」(心の声、でもやっぱり顔見るのも嫌なくらい嫌いなんだよ!!!!!!)→「そんな風に心で思うからいけないの!本心から好きって思ってみよう!」(心の声、ああああ~でもいまいっしゅん心の中で、あの人の嫌なとこ思い出したーっ!もう心で何も考えちゃダメ―!)ってな感じで、メタ心理がどんどん下方に深く潜って行き、ものすごく疲れる・・・。自分がほんのちょっとでもネガなことを口にすると、「ああああー!」って自己嫌悪が襲うし、その自己嫌悪の感情がまたネガで、ダメダメ!って思うし、そのダメダメって感情が・・・・→→ようは、きりがないんです。

何が言いたいかと言うと、ポジティブ教の人はすごく制限された、呪縛に囚われてる気がする。本心からポジティブなことしか思わない人がいるなら、知りませんが、私のように普通の人生を送っていて、劣等意識もあるし、自分に自信ももてない、他人が妬ましいこともいっぱいあるような、そんな人間が、ポジだけの人間になれっこない。そこで、私も気がついて、ネガティブなことを思ってもいいじゃない。その代り、それがどうこからやってきて、どういう意味があるのか、考えることに変えました。「あの人が妬ましい」→「どうして妬ましくなっちゃうんだろう?」→「あの人の、こういう成功がほしいからじゃない?」→「じゃあ自分も、そうなれるように、学べばいいじゃん!」ってね。妬ましい気持ちから逃げないで、しっかり味わって、その嫌な気持ちを、手放す。その繰り返しをすることで、ようやく前を向くことができる。

人間は弱い生き物だから、不安だってあるし、自信を失うこともある。相手を疑うことだってあるし、相手に怒りをぶつけたくなることだってある。そういう自分から見ても「嫌な部分」を、持ってない人間などないんだから、それと折り合いをつけて生きていくしかないんです。

ベッキーみたいに、外に向けてすごくいい子で、ポジティブで、清純な子は、すごく危なっかしくて、実は、そういうきれいな自分でいることを強迫観念のように思っている可能性があるってことです。弱みを見せることができない。醜さを許容できない。本音はどうだかわからないし、身近な人には、ちゃんと弱い自分を見せられてたらいいんだけど、そうじゃない可能性も感じる。LINEのやり取り見てて、不安を隠して、必死に事態を明るく見せようとしている。自分と彼を鼓舞しようとしてる。そういう強がりの部分が、すごく痛々しいんだよね。たとえば、最初の卒論の奥さんへの「配慮してます」感とか。(「待ってあげて」とかそういうのね。)自分が圧倒的に優位にいるという気持ちの余裕もあると思うんだけど、基本的に、恋愛でも「いい子」でいることを自分に課してたんじゃないのかなーって。そして、そういうある種夢みたいな関係?かわいくて素直で純粋、ポジティブな、ベッキーとの恋愛は、そりゃ川谷さん、夢心地で楽しかったでしょうね。奥さんと違う面がベッキーに会ったらなおさら、天使のように思えただろうし、そりゃ不倫ですから、会えない制約も手伝って、そりゃふわふわと美しい恋だったと思うんです。

不倫の恋ってホント、しょーもねーなっていつも思うんだけど、何が厄介って、この、エゴとエゴのぶつかり合いの中の妥協点とか、生活の中で朽ち果てる恋の残酷さとか、そういうすべての恋愛がいずれ迎えるであろう汚い部分のすべてを取っ払って、純粋にきれいな恋愛だけで成立しちゃってるように見えることなんですよね。本来は、生活の部分や、制約、重荷、責任、そして人間同士のドロドロの感情のぶつかり合いの部分があっての、恋愛→結婚なんですけど。そこがない。ふわふわと美しく、悲しいまでの純愛、でいられる部分が、実は不倫の怖いところなのです。なぜなら、それ以上に純粋に恋だけで存在する恋愛はないから。こんなに陶酔しているだけの関係はない。本来であれば、どんなにキラキラした恋愛も、結婚するにあたって親族など社会とのかかわりが生まれ、お互いの違いによる摩擦も生まれる。好きなだけでは生きていけない。だからこそ、男性は、その現実から逃れるために、夢のような恋をしたがる。つまり、不倫をね。

ただの性欲を満たすだけの関係ならいいんですよ。だまされてるよって言うだけで済むから。厄介なのは、恋したくて恋してる既婚の男性。恋していることは間違いなく、純粋なわけだから、相手の女性も見誤ります。100%見誤ります。自分を好きなんだから、彼を信じようって。

でもね。ダメなんだよ、それを信じちゃ。唯一信じていいのは、目に見える行動だけ。つまり、離婚するなら、してきた結果だけを信じるべき。今回は、たとえば、自分の実家に連れてってくれたし、奥さんに離婚を切り出してくれたんだから、だいぶ彼も本気だったと思われる。なので、つくずく、離婚届を出す前にことが露見したのがまずかったと思う。でも、こうなってしまうと、もう男は、夢から覚めるよね。ふわふわした浮かされたような恋の熱情から、一気に冷や水ですよね。

私が川谷さんだったら、自分の仕事がここまで制限され、この先もどうなるかわからないとなったら、もう恋どころじゃないと思いますね。会いたくないと思うね、その元凶をつくった女性二人には。もうほっといてくれよ、俺が悪かったから、もうどっちも俺に近づかないで!ってなるね。(っていうか、一般に、モテる男子は甘ったれなとこがあるので、そういう、みんなほっといてくれ拒絶モードになると思われる。仕事がうまく行かなくなった忙しい男が、みんな恋愛を遮断するようにね。手負いの虎みたいなもんですからねえ・・。)

だから、ベッキー、信じちゃダメだったよ。やっぱり。どんなに本気に見えても、離婚届を出すのを見るまでは、油断してはダメだったし、いい女ぶって、ポジティブな余裕発言してる場合じゃなかったよ。っていうか、誰よりも不安だったはずなのに、もしかしたらもう二度と会えなくなるかもしれないって時に、無理してポジティブに「ありがとう」だの「センテンススプリング」って笑おうとしてたベッキーが、ホント不憫な気がするんだ。そして、それがまた、彼の前で、変わらぬいい子でい続けたかった、ベッキー自身の呪縛だったんだなぁって。しみじみと思うわけです。

今回の件で思うことは、やっぱり不倫の恋は、何を信じていいかわからなくなるというただ一点において、女性は絶対に手を出すな!ということだね。誰よりも信じたい、誰よりも愛している、相手の男を、信じることができない。その根拠が見つけられない。その苦しみは、恋愛において何にも増して女性を不安定にすると思うんです。自分で自分を偽って、すべてを肯定してしまいたくなるくらいに。でも、どこまで言葉を尽くそうと、信じられるものがない。相手の言葉でさえも。

その恐怖がわかるかと。若い女子の皆さん。不倫の怖さはそこなんですよー。女性は不安定な場所では生きていけないんです。精神の不安定は、すべてを破壊して行きますよ。自分に自信を持てなくなるし、卑屈な気持ちが生まれるし、つねに相手を疑いたくなります。関係のもろさが、女性を病気にさせるのです。女性は、本来は、安定した状態を好むのです。子供を産み育てるためには、安定した状態で、安定した住居、守ってくれる男性がいて初めて、ニコニコと笑って優しく強くあれるんです。不安定な状態が好きなのはむしろ男性。そのハラハラ感で高ぶれるのは狩猟本能を持つ男性ならではです。女性はダメですよ、不安定なのは。そういう状態で長く持つような精神構造してませんから。不倫は、女性の人生をむしばむんですよ。

というわけで、長々とあれこれ書いてきましたが、最後はやっぱり不倫はダメだったよね、ベッキー。って結論になりました。でも、私は、世の皆さんが怒ってるようなことではなくて。ホント、こういうことになると、損するのはやっぱり女なんだから。ちゃんとリスクを分かったうえで行動しようねと、言いたい。いくら自分がファンの男性に誘われたんだとしても。どんなに、顔見てるだけで幸せ、声を聞くだけでも幸せ、なんだとしても。恋をして、相手を信じて、のめり込んで、その先ではもう戻ることなどできなくなるんですから。

この先、二人がどうなるかはさっぱりわかりません。もしかしたら、二人の想いが強くて最後に結ばれるのかもしれない。だったら、せめてベッキーの気持ちは報われるんだからそうあってほしいような気もしますが、(奥さんも、そこまで本気だったらしょうがないって思える・・・はず。だよね?(;´Д`))でも、私は経験上、彼が戻ってくることはない、ような気がしています。ベッキーは、せめて自分の仕事だけは投げ出さないように。どうか、恋を切り落としてでも、自分の生きる世界へ戻って来なさいな、と思う。

人間、失敗など誰でもする。その時道を踏み外しても、自分の力で戻ってくることはできる。そして、最後にすがるべきは、かりそめの情熱的な恋ではなしに。うつろいやすい男の気持ちなんかではなくて。自分の立つ場所、仕事、生きる世界、だと思うので。ベッキーには、表面的なポジティブの呪縛なんかじゃなくて、本音を堂々と語り、弱さをきちんと吐露できる本当の強い女性になって戻ってきてほしいものだと思うのです。いち女性として。恋に振り回される女性の典型例として。陰ながら応援しています。

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