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田舎娘がクリエイターを目指した末、キャリアアドバイザーになるまで。~ミライフれなの自己紹介~

はじめまして。1月にミライフへジョインしました、髙橋怜奈と申します。
怜奈と書いてレナと読みますが、父親が海外かぶれなので(笑)この名になったそうです。

人材業界は今年で6年目です。長いような短いような…
ただ、これまで会ってきた人の数・広さは、誇れるものがあるのではないかと勝手に思っています。

また、この業界の人間としてはかなり特殊な経歴になると思います。
その分長くなってしまいましたが、ぜひ楽しんでもらえたら嬉しいです。


■大田舎時代

福島県いわき市(ハワイアンズが有名)出身です。

この画像大好き

いわき市はとても広いのですが、その中でも山奥の、周りに田んぼしかないようなところで、高校生まで過ごしました。
とにかく町内は狭く、どこかの家で何かあれば、翌日噂になるような環境。
町内の人間は、生まれてからずっとこの地で過ごしてきた人たちばかり。

そんな中、私の家族はかなりレアで、
父:東京の大学を卒業して田舎に戻ってきた一匹狼
母:証券会社の経理出身でとにかく気が強い美人
父方祖父:公務員出身の頑固オヤジ。新しい電化製品が大好き
父方祖母:公務員出身のお嬢。趣味は海外旅行とフラダンス
こんな家の長女だったので、良くも悪くもとにかく目立ちました。

ただ、町では浮いているけれど、家族はそんなことを誰も気にしていません。ひとりひとりが自我を持ち人生を楽しんでいました。
そんな中で育ったので、自分の生き方と他人の生き方が違うことは当たり前で、むしろなぜマイノリティが目立たなければならないのか不思議でした。

大人になったらこの土地から離れて、もっと広い世界を見るんだ!
子供ながらにそんなことを考えていました。

旅立ちを夢見る

■サウンドクリエイターを目指す

小学生の頃、ゲーム音楽にドハマりします。
たまたま家族がゲーム好きで、たまたま家のピアノが電子だったということもあり、電子音で紡がれるゲーム音楽は、クラシック畑で生きてきた私に新たな刺激を与えてくれました。
年齢が上がるにつれて知識も増えていき、PCを使用して音楽が作れること、そういう作業をする人を「サウンドクリエイター」と呼ぶことを知ります。

中学2年生の夏。忘れもしません。
図書室で勉強していた時、突然「自分の好きなゲーム会社の、サウンドクリエイターになろう」と閃きました。

ゲーム会社に行くなら東京に行こう。
会社に入るなら大学を出よう。
大学に行くなら進学校に行こう。

と、一気に自分の歩む道が鮮明になり、未来に希望が持てました。

じゃあ、大学はどこに行くのか?
音楽の勉強なら音大に行きたいと考えていましたが、サウンドクリエイターの知識が学べる大学なんて聞いたことがないし、そもそも音大は学費が高いことも懸念としてあったので、どうしたものかと考えていました。

高校2年生になり、進学先を検討している時、部活の顧問に相談すると「日大の芸術学部、良いんじゃない?れなちゃん向いてそう」と言われました。

日大の芸術学部…?日大は知っているけど芸術学部って何?

よく見るロゴ

早速調べてみると、そこは音楽だけでなく演劇・文芸など様々な「芸術」を扱う学部で、音楽科の中には演奏科だけでなく、PC音楽を取り扱う学科がありました。
学費も、普通大学の音楽科なので、音大より断然安い。
更に卒業生の就職先に、なんと憧れのゲーム会社の名前が…!!
もうここしか行くところはないと思いました。

■普通が普通じゃない環境

日本大学 芸術学部 音楽学科 情報音楽コースへの入学が決まり、ついに東京へ。
同期はとにかく個性が強く、それぞれが強烈なアイデンティティを持っており、かと言って柔軟性もあり、芸術と呼ばれるものはジャンル問わず心から愛している。そんな人間たちとの日常は正にアヴァンギャルドで、素晴らしい日々でした。

手前で寝てる奴らは全員同期です

ただ、早々に挫折がありました。同期たちの即興性の高さ。音楽知識の豊富さ。型に囚われず次々に音を紡ぎ、ふとした瞬間に作曲する。
私は、音楽を知らなすぎたと気付きました。この領域には達せないし、それを越えていく程の想いや力もない。
ですが幸せでした。こんな環境に身を置けることが、そんなクリエイターたちの側にいて勉強できることが、何よりも楽しかったのです。

しかし、やはり夢は夢。就活の際はゲーム会社を受けました。
それ以外に興味は持てなかったし、音楽が作れなくても何かしらで貢献できないだろうかと考えたからです。
ですが、就職活動を舐めてました。とにかくこの大学4年間、個性を売る力だけはついたので、書類や面接の対策をすることなんて考えもせず、とにかく個性アピールに力を入れました。今思うとかなり無茶苦茶だったと思います…。

■天職現る

大学卒業後は、結局OBが立ち上げた会社に拾っていただき、お世話になることを決めました。
ボーカルスクールで、歌を習いに来る生徒さんたちの接客が主な仕事。他にも発表会なるライブイベントを企画運営するなど、大学の続きのような環境でした。
元々人とのコミュニケーションが好きだったので、たくさんの生徒さんや講師の先生方と仲良くさせていただき、充実した毎日でした。

講師の先生のお誕生日。社長も。みんな仲良し。

2社目は塾で勤務しました。メインカスタマーは受験を控えた生徒。
塾を就業先として選んだ理由ですが、学生時"職業適正診断"を無料で色々と受けていた際、必ずと言っていいほど「教師」が挙がっていたことがきっかけです。

残念ながら教職には興味が湧かずでしたが、塾なら近い体験ができるのかも…?と思い、興味半分でアルバイト講師から入り、その後社員登用していただき、室長として勤務することになりました。
この時、生徒の将来を考えた志望校選択をすることや、思春期で迷いも多い生徒の支えになれることに、とてもやりがいを感じました。
それを、親御さんや講師の先生たちと一緒に考えていく。自分の得意なコミュニケーションを使って、誰かの役に立てている実感がありました。

職業適正診断は当たっていました。
これが"天職"ということなのだろうと感じました。

この画像とてもわかりやすい

ただ、人のために仕事をしているはずなのに、常にどこかで犠牲が出る。
関わる全ての人がハッピーになることは無理なのかと、組織の中で働くことに疲れてしまいました。

■人材紹介業界へ

もう人と関わるのは嫌だ、責任ある仕事もしたくない…と、塾を辞めた頃は失意のどん底にいました。
あれだけ離れたかった実家に帰るなどして休暇を取りましたが、面白いことに、2ヶ月もすると何もしないことに飽きてきました。やっぱり何か仕事がしたい。

つまらん。

でもこの時は、人と関わらない仕事をしようと思い、縁もゆかりもない経理のアシスタントとして社会人復帰しました。
これはこれでとても良い経験になりましたが、あの時感じた天職の感覚はありません。
私はこの先何年もずっとこの仕事を続けるつもりなのだろうか…?
本当にそれで良いのか…?

戸惑いのようなものが生まれ始めました。

そんな時、塾の同期から「自分も転職したのだが、今勤めているところで人を募集している。室長の仕事ができるなら向いていると思う。やってみませんか?」というお誘いをもらいました。
詳細を伺うと、なんと、ゲーム会社の紹介をする仕事だと言うのです。
まさか、こんな風に巡り巡ってゲームの仕事ができるとは思いませんでした。
人材紹介は初めてでしたが、同期が言った通り塾の仕事に似ていると思いました。やるしかないと思ってお話を進めていただき、無事内定もいただきました。
これがまた、私の人生の大きな転機となりました。

■最高の職場

前職・シリコンスタジオは、元々グラフィクスなどの技術に強く、ゲーム会社とも多くパイプを持つ会社でした。そこで、ゲーム業界特化型のエージェント事業があり、CAを担当することになりました。

入ってすぐの頃!誰だこれw

しかしながら、人材紹介は未経験の私。
いくらゲームに詳しくても、営業経験があっても、どうしたら会社の数字になるのか?全然わかりません。これまでは、どちらかというと気合いで何とかしてきた節もあります。
そんなこんなで1年目は全く結果を出せず、むしろダメな奴のレッテルが貼られた落ちこぼれでした。

が、そんな私のめちゃくちゃな生き方を面白いと思い、プライベートまで面倒を見てくれた上司がいました。
また、私はクリエイターの気持ちがわかる貴重な存在なんだと、手取り足取り仕事を教えてくれた上司もいました。
1年目何の結果も残せなかった私に、「お前はいつかMVP取れる」と酔っ払いながら話す先輩もいました。

とにかく人に恵まれたと思います。
顧客であるクリエイターは、そもそも私が挫折した夢を今も追っているという、心から尊敬する存在。
自分ではなく周りの人たちのためにまずは頑張ろうと思い、だんだんやり方がわかってくると結果もついてくるようになりました。
そして4年目にしてついに、年間MVPを獲得することができました。

■予期せぬ出会いと転職

仕事で結果が出るようになってからは、今度は業界のために何ができるかと考えていました。
目の前のカスタマーやクライアントは、我々よりずっと業界のことを考え、業界のために動いています。そのためには部内ももっと変わっていかなきゃ…

このままじゃアカン

とは言っても、まずは経営のために、数字を上げなくてはなりません。
塾の時に経験があるのでよくわかります。利益が出ない教室は、潰れます。そこに生徒がいても。
そんな悲しいことは避けねばなりません。そのためには利益を出さないと…
私はピュアな気持ちで頑張っている人たちを支援したいだけなのに、なんでなかなか上手くいかないんだろう。モヤモヤとした日々を送っていました。

そんな中参加したセミナーで、ミライフと出会いました。
個人起点100%…?!
それが可能なエージェント、いや営業職がこの世に存在するのか?!
正に目から鱗、まず信じられないと思いました。
ですが話を聞けば聞くほど、代表のスケさんのお話に魅力しか感じません。

ゲーム業界で、成果を出すつもりで奔走してきました。ですがこの出会いを、きっかけを、逃してはいけないような気がしました。
でも、今転職を考えるべきなのか…?とモヤモヤしていたのですが、ミライフはモヤモヤ期からキャリア相談できるということを思い出しましたw
とりあえず相談してみよう!と、問い合わせたのが、今日に繋がっています。

■これからの私

キャリア相談の際、改めて私が将来成し遂げたいことを考えました。
私は、私のできる範囲で、人生の動き方で困っている人たちを、一人でも多く支援していきたいと思っています。

私は本気でサウンドクリエイターになりたいと思っていました。そのおかげで、上京できました。
その後夢は叶いませんでしたが、結果として現在自分の能力が活かせるキャリアアドバイザーとして仕事ができ、とても幸せです。
でも、ここに至るまでたくさんの葛藤がありました。闇深い日々もあったし、正直、こんな現在があるなんて想像もしていませんでした。
人生何があるか、本当にわかりません。

でも色々な出来事がある度、いつも誰かに手を差し伸べてもらっていたように思います。あの時あの人がいなかったら、私はどうなっていたんだろうとよく思います。
だからこそ、私も困っている方に手を差し伸べていきたいし、それによって一人でも多くの人が幸せになるように、全力を尽くしたいと思っています。

…と長々と書いて最後もカッコいい感じになってしまいましたが、私自身は結局芸術学部出身の、表現を止められない奇想天外なヤツです。
正直クリエイターでなく、アーティストになりたかったんだなと最近思っています。それもなかなか、気が付けないものですね。

また次回、音楽についても書いていきたいなと思います。
みなさん今後ともよろしくお願いします♪

いつもの私と奇想天外家族(一部)


私が所属するミライフのHPはこちら↓
モヤモヤがあればぜひ気軽にお話しにきてください❤

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